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ミニマムなテレビとは砂嵐を見る人である

もう20年近く終わってから経つ番組について語るのもいい加減にしたいと思うのだが、「電波少年」が「電波少年W」として眠りから起こされてしまったのでもう一度「電波少年」とは何かを問い続けなくてはならなくなってしまった。

電波少年とは”テレビとは何か?”を問い続け、更新することを試みてきたものだと思うのだ。
「テレビとはただの現在に過ぎない」とは尊敬すべき先達が言った言葉であるが”ただの現在”であり続けることがいかに難しいかはこの先達たちの闘いの歴史を振り返れば容易にわかる。

『テレビは予定調和である』このことを更新しようとしたのが電波少年の最初の挑戦であった。アポなし、という手法で「行っても留守である」「行っても邪険にされる」というテレビを作ってテレビを更新した。
『テレビは有名タレントを使って作るものである』これもオーディションで選んだ猿岩石を使ってヒッチハイク企画で更新した。
この派生としての細かいバージョンアップであるが『テレビは毎回ゲストに有名人を呼ぶ』ということも当日その辺りにいる人にゲスト交渉をするということで更新を試みた。
『テレビはプロ用のカメラでプロのスタッフが撮るものである』これもヒッチハイク企画で同行ディレクターが民生機カメラを使って撮ることで更新した。
この辺りから電波少年が作った「テレビ」という概念を自ら更新することが必要になってきた。
『電波少年はヒッチハイク企画である』これをただ部屋に居続ける懸賞生活という企画で更新した。
『電波少年は売れない芸人が挑む番組である』ここに華原朋美・松本人志が挑む企画をやって更新した。
『電波少年は男ばかりが出ている』15少女漂流記、占いの旅で出演者全員女性にした。
『テレビの司会者は日本語が話せなくてはならない』これはチューヤンを司会に据えた。
『テレビの司会は人間でなくてはならない』これは雷波少年の方だがロシナンテを司会に据えたことがある。
『テレビは局の判断で終わらされるものである』ということも2003年自ら課したハードルをクリア出来なかったということで自殺のような形で最終回を迎えたのである。
この他にも『番組のイベントスポンサーは局の営業部門が探してくるものである』を覆して”マツモトキヨシpresents猿岩石凱旋ライブin西武球場”をやったり”冷凍麺協会presentsパー子パコデビューイベント”などなどもやった。
終いには「テレビの伝える時報は正しい」を覆して年越しカウントダウンを間違えるなんてこともあった。これは更新とは言わないか。

そして「電波少年W」が2021年に始まる時に『今テレビの何を更新できるのか?』を考えた。『コミュニティから番組を作る』これはスタートして三ヶ月で明らかに道半ばであるが、今月末に新たな展開がありその先に必ず辿り着ける予感はある。
その試行錯誤の中で『松本明子・松村邦洋ベストセレクションオンライン上映会』という企画が生まれた。テレビアーカイブを新しいビジネスモデルの中で活用できないか?というこれは『テレビコンテンツ』の根源を更新する挑戦になる。
しかしいくつもの壁に当然ながらぶつかる。今までになかったものを作るのだから当たり前である。その一つの壁が制作体制であることがわかった。一つの番組を作るのに関わるスタッフは何十人単位である。ここを見直せないか?極限まで絞り込むと何が残るのか?ここに挑戦してこそ『テレビの更新』になるのだと思って2021年版電波少年のアイデンティティの存続を試みていきたいと思っている。

『ミニマムなテレビ』とは何かを夢想する。テレビ受像機の前に人が座って画面を見ている。画面には砂嵐。ホワイトノイズ。これがミニマムなテレビ。
ここに必要なのはテレビを送信するというハードウェアなシステム。そして”見ている人”。システム+見ている人がテレビのミニマム。これに紙に書いた何かを写すと”それを書く人”が生まれる。この人が見ている人から数えて二人目。カメラの前に置く人は書く人と兼ねられる。これをパンしようとすると次の一人カメラマンが必要になる。いやこれをリモートカメラにすることができればこの一人は増やさなくていい。
こう一つ一つ考えていくことが「テクノロジーとクリエイティブの関係」になる。例えばテレビを作るのは「編集所」という場所が必要だと思われていたのだが今Youtuberで編集所使っている人なんか一人もいない。みんな自分のパソコンで編集している。それを見てテレビをその方法を取り入れている。でもYoutuberがいなかったらこのパソコンで編集するということはもっとずっと遅くなっていただろう。

電波少年とは「テレビの更新」を目指すものである。

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