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今ないものを作ろうと決意すれば、必ずどこかに泳ぎ着く

知る人ぞ知る「ガムシャラ十勇士‼︎(1987年)」の失敗から”パクリはやらない!今ないものを作る!“と決めた。
『電波少年』シリーズは直感の積み重ねで、”アポなし”→”ヒッチハイク”などの連続企画→新人芸人から”有名人企画”→男企画から”女性企画”と変貌していったのは「今ない」に加えて「予測されない」「見ている人の予想を裏切る」も企画を考える上で足していったからだ。
『ウリナリ』シリーズはここに出演者とのキャッチボールを加えたところが電波少年と違うところだった。ウッチャンナンチャンと何をするか?二人はどんな志向を持っているか?何を提示したら興味を持つか?その上で「他でやっていないウンナン」をやろうとした。最初の『ウンナン世界征服宣言』では”ママチャリ”などのドキュメントシリーズでまずまずの成功を収めたが『ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』の”CGコント”で躓いた。心機一転『ウリナリ!』にタイトルを変えて”社交ダンス”そして”ポケビ・ブラビ”で視聴者の心を掴んだ。挑戦シリーズは”ドーバー海峡横断”まで達成した。

番組制作から新規事業開発になったが【今ないものを作る】はさらにエスカレートしていった。『CS電波少年的放送局』は24時間生放送の世界ではじめての放送局だった。それから10数年後にYoutuberだの生主だのライバーだのが出てくるのだ。『第2日本テレビ』は昭和の街並みがトップページの”喜怒哀楽のコンテンツの商店街”がコンセプトだった。『岡本太郎・明日の神話復活プロジェクト』の裏コンセプトは”テレビは表現たりうるか?”だったし『間寛平アースマラソン』はまだスタートして間もないYoutubeを使って世界中から毎日配信すると言うコンテンツモデルを作った。『LIFE VIDEO』は不特定多数の映像制作から特定少数の映像制作事業モデルであったし『ゴースト刑事』は世界で類を見ないマルチストーリーVRドラマだった。『1964TOKYO VR』は写真から3D空間を作ってタイムマシンを現実のものにした。コレは1972年の札幌の街を作って来週お披露目だ。『NO BORDER』は3Dスキャナーを使った観客参加型VRリアルイベント。

電波少年から始まり【今ないもの】をよくもここまで作ってきたと思うし、周りもよく作らせてくれたものだと思う。

そして今『電波少年W』を“コミュニティから番組を作る”をコンセプトにして始めた。そして二ヶ月(準備から含めれば約1年)さっきついに見えた!
世界で誰もやっていない”コミュニティから番組を作る”具体的な道筋が見えた!多分完成まではもうしばらく掛かる。しかしはっきりとした未来が見えて確信することができた。

スタート地点に【今ないものを作る】と言う決意がある。WOWOWがこれからコミュニティを軸にした放送局になる!と言う話を聞いたときにそこには何かがあると直感した。そして具体的な番組に落とし込むための手探りが始まった。正直に言えば絶望したこともある。不安の中で震えたことは一度や二度ではない。しかし【今あるヒットしている何か】に心奪われることなく歯を食いしばって真っ暗な海を泳ぎ続けた。師匠欽ちゃんの「テレビは勇気だ」という言葉を何度も思い出した。そして確実な光の道を見つけた!

あとはそこまで泳ぎ着くだけだ。

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