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博多ミチルさんの側弯症発症から術後(前編)

博多編で対談させて頂きましたミチルです。動画を見てくださった皆さん、ありがとうございます。
私の側弯症の体験談はかなり特殊なため、YouTubeでは話せなかった事や伝えきれなかった事を、ここに書き記しておこうと思います。

[ 1.脊椎損傷不全麻痺 ]

私が側弯症になった原因は、恐らく小学校6年生の組体操練習中での事故による脊椎損傷不全麻痺です。
組体操の逆立ちで背骨に雷が落ちた様な激痛が走りました。痛みとショックで何も言えず、誰も気付いてくれず。
痛みをこらえて両足を引きずりながら、普段は15分の距離を数時間掛けて家に帰り着くと、両足に痺れが起こり始め、病院へ搬送された頃には腰から下が完全に動かず感覚も無くなっていました。
母親と祖母は医師から車いすか寝たきりになると言われたそうです。
入院してしばらく経った頃、足がピクリと動き、次第に感覚も戻り始めました。
リハビリしながら少しずつ歩けるようになり、2ヶ月半で退院しました。
その後麻痺の後遺症は徐々に回復。
完全ではなく脊椎損傷不全麻痺であった、そして、外傷時のショック性脊髄麻痺だったため、奇跡的に回復したものではないかと思います。
「身体は少し壊れてしまったけど、まだまだヒトの姿で生きて行けるんだから。ドンマイ!」と思って、小学校は何とか卒業出来ましました。 

中学生になって1年生の夏。クラスの女子とプールに行く事に。私も一緒に連れて行ってもらうようお母さんに話したそうですが、「怪我した子を連れて行って何かあったら困るからダメだって」と返事が来ました。
私の悲しい思い出での一つです。
中学3年生の受験の頃に、風邪で行き付けの内科医院を受診しました。
ところが、たまたま撮ったレントゲンに、ほんの少しだけ背骨の歪みが写っていました。この時は、このままにしていました。
高校に進学して数ヶ月が過ぎた頃、親に指摘されて病院に行き『側弯症』と診断をうけました。
その頃はまだ、SNSも無くて、同じ苦労を相談し合ったり、共有したり、なんてことが出来ない時代で、16歳女子には過酷な現実でした。
側弯症は、そもそも原因がはっきりしない病です。
そして、小学校の時の脊損との因果関係も、明確にする事は出来ませんでした。
そのため、当時、経済的にも大きなダメージとなりました。

[ 2.脊損と側弯と心の病 ]

病院ではコルセット治療でしたがほとんど着用しませんでした。
そして脊損で入院した事が引き金で病院が嫌いになり、それが原因で、強迫性障害・強迫神経症を患ってしまいました。
18歳で受診した病院では、側弯症は中等度で手術をする状態ではなく、このまま進行はしないだろうとの診断であった
この診断から、病院ではなく、今後は、整体で治そうと思いました。

(①18歳・35度のレントゲン)

けれど整体は保険適用外。治療費用を捻出するのは容易ではなく続きませんでした。
20歳を過ぎた頃には、身肩こりや頭痛、重心が掛かる左足の痛み、体中に鉛を流し込んだような鈍く重い痛みが常に付きまとう状態になりました。
重心が取れないため酔ったようになり軽く吐き気がする時もありました。
やっと、整骨院で保険適用の治療先が見付かった時には43歳。それでもめげずに、週2回で治療に通いました。
病院嫌いを緩和させるため、あえて医療関係の教育機関の職場に身を置き、事務の仕事をしていました。
その関係で整形外科医と相談出来たので、病院を受診してレントゲンを撮りに行く事になりました。
通常18歳頃までで成長が止まると同時に進行も止まります。
しかし、私の側弯はかなり進行してしまっていて、重症で手術をしないといけない事態になり、このまま手術をしないでいたら更に進行する状況でした。
そして、脊椎の高度な治療を行なっている大学病院整形外科に行く事になりました。


(②76度のレントゲン)

[ 3.恐怖の手術 ]

大学病院の担当医は「手術は一回、首も腰も固定しない 」と説明してくれました。
それから毎日、側弯症の手術や費用について情報を収集しました。
職場の先生方にも相談しました。
女性の先生は心中をよく理解してくれますが、こんな事も。
あまりにも珍しいくらいに酷かった私のレントゲンを講義資料に提供してほしいという依頼でした。
これは、私にとって、手術もまだなのにさすがにショックを受けました。
そこで、写真には写真でお返しだ!と思い、手術で真っ直ぐになった背中と傷跡を綺麗な写真にしよう、といういたずら企画を考えてみました。
手術は半年後に決めました。
手術までには、術前検査や自己血輸血のための貯血が必要です。
ある日、模型を使った手術シミュレーション動画を見付けました。
ずっと自分が治したかったイメージ通りに背骨を動かす映像でした。
「これはもう手術しかない!」と思い、腹をくくれた瞬間でした。
そして、高齢の母親の事や、手術入院費用の工面も目処が立ちました。
また、占いにも行ってみました。1店目6割、2店目は7割治るとでました。
私は、7割治れば大成功だ!と考えていました。
そうこうしているうちに半年はあっという間にきました。
入院の前日、大きな虹が出ました。職場の後輩君が「ファイトです」と言って写メを送ってくれました。

(③虹)

手術以降のお話については、「後編」につづきます。
By ミチル

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