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2023.12.08

誰かに会った時、アウターを脱いで座って何を飲むか考えながら、口をついて出てくる「いや、今年も言ってる間に終わりますね」の言葉を自分の耳できいて、私は本当は何が言いたかったんだっけと考える、一瞬だけ。

夜、吉祥寺の駅を降りるとロータリーの木に光るものがぐるぐる巻かれていて、駅を一周する途中、肩を組み合う4人の男性たちがまっすぐなとは言えない歩みを進めていた。今年が終わるからなんだと思いながら、私のうつ文章の端々に回顧がにじむ。流れで昨年の年越しはどう過ごしたかという話になり、わざわざスケジュールアプリをひらき、さかのぼり、そのさながらな内容を見てこれよがしに、しかし目線はスマホに向けて大きくふーんと言ってみたりした。全然、年の瀬のなにがしは私の心を占めているし、それはまったく吉祥寺だけでない中央線沿いの駅たちががんばっているというイルミネーションのおかげではないと思う。

吉祥寺で行きたかったお店はお休みだということで、一度行ったことのあるクラフトビールバーに入った。お腹が空いていたのでビールとフィッシュ&チップスを頼んだ。お魚がとろとろでふわふわで、よかったらお好みでと送れて届けられたモルトビネガーがまたおいしくて、あっという間に食べた。もう少し頼もうかと思ったけど、最近入ったのだろう若そうなスタッフさんが教えてもらいながら少しずつ進められる締め作業と、スタッフらのその圧を客に与えるまいとする態度が同時に感じられ、居心地が悪くなって出ることにした。もそもそ上着を着だしていると歴の長そうなスタッフさんが「お会計でよろしいでしょうか?」と右手にトレーと伝票を携えて近づいてきたので、拍子抜けした声で返事をしてしまった。これが一昨日の話。

最近本当に眠りたい時間に眠れない日が続き、ついに私は粘らず布団から出てしまうことにした。それが今の話。
布団の中でよなよな玉置さんのnoteの文章とスーモへの寄稿文を順繰り読む。(リンクで飛んだXの先が一丁前に青くてなんやねんと思った)特に私はスーモの記事が好きで、あれを読むたびに私の漫然とした所在なさを思う。自分で書いておいてなんだけど、漫然とした所在なさの明瞭としなさと言ったらない。積極的には好かないわと思う。

久々にビートルズを聴いている。外がうっすら明るくなってきて、自分でつけた暖房の音がしていて、少し眠くて、中途半端な体温のおかげであぐらで組まれている足が汗をかいているのと、私のものではないものにばかり囲まれた空間に私と私がよく聴く音楽だけあるこの切り取られた感触が私にとっては大阪の祖父母の朝を思い出させる。

あと数週間もしたら2024.1.1と書く日が来るのね。私が意思を持って日記を書き始めたのが2019年の元旦だった。もうそろそろ5年経とうとしている。

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