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【押川剛;50歳からのキャンパスライフ】15 学び直すことの意義

コロナだオリンピックだと落ち着かない日々を過ごしているうちに、俺の大学生活も3年目を迎えた…というか、3年生の前期も終わってしまった。若い学生ちゃんたちと勉強に取り組めるのも、実質あと半年か一年といったところだろう。

大学に行って良かったと思うことは、若者のレベルの高さと、自分の脳みその客観的な現在地を知れたことだ。昭和のおじさんである俺は、今の若い人のコミュニケーションを見ていて、「おいおい、大丈夫か」と言いたくなることもある。でも勉強に関しては、絶対的に今の若い人のほうが、レベルが高い。レポートの書き方や、データや統計をまとめる力など、同級生から学ぶことも多い。地方の一大学ではあるが、そのカリキュラム自体、遊び半分ではこなせないように出来ている。

とくにゼミで、いい先生に巡り会えたことが、俺の最大のラッキーだったな。おかげでゼミ仲間のレベルも高い。ゼミでは各々の研究発表があり、それに対する質疑応答も行われるのだが、学生ちゃんの鋭い質問、斬新な視点に「おおっ!」と唸ることもたびたびだ。俺は法律の中でも刑事学や刑事政策をメインに勉強しているのだが、その部門に関して、仕事を通じて実地での経験はかなり積んできたし、独学で学んできた自負もある。それでも俺にはない考え方や知識をもって、パッと質問をぶつけてくる学生ちゃんがいる。年長者として恥ずかしい真似はできないなあと、気合いが入る。

ゼミの先生は最年長の俺に敬意を表し、必ず学生ちゃんの質問が出尽くした最後に、「押川さん、何かありますか」と当ててくるのだが(笑)、質問や意見が出きった中でなお、頭を振り絞って発言する。そういう厳しい質疑応答の中で、(非常に僭越な言い方ではあるが)頭のクルクル回っている学生ちゃんが、さらに伸びていく様を見るのは、本当に嬉しい。

もちろん、勉強ができる・できないがすべてではない。今は何でもかんでも平等で物事を図る時代だけど、やはり「天才」「秀才」と呼ばれる人は、地頭の出来が違う。勉強するにもセンスの有無があるんだなあということを、改めて知った。大事なことは、自分はどの程度のもんかを知ることなのだろう。学歴を後生大事にする人間がいるが、大学はスタートのスタートであって、ゴールではない。どの方向に向かって走り出すか、それを知る場所であるのだろう。

それは、俺のような年配者にとっても言えることである。かつてなら、若い頃に積みかさねた “経験則”の余力で定年まで走ることができたが、今は違う。よほど、その人オリジナルの“経験則”でもない限り、ネットの情報が、あっという間に上書きしていく。

自分が大学に行ってみて、幾つになっても学びつづけること、知識を更新することの重要性を再確認した。とくに若い人に交じって授業を受け、意見を言い、ときには恥ずかしい思いをすることで、自分の現在地が客観的に分かる。これを読んでいる年長者の方々には、心から「学び直し」の機会を持つことを勧めたい。


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