「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」感想

自分のためのメモも兼ねての感想。
当然ガッツリネタバレしてます。うろ覚えで書いてるので、実際の台詞や展開と違うところがあるかもしれません。
青葉シゲルがシン・ジェットアローンに乗り込んで突撃していくシーンなんてなかったと言われても責任は持てません。

――――――以下感想箇条書き――――――


・「Qは無かったことにしてください!」と全裸のアスカが土下座するシーンから始まる漫☆画太郎方式ではなかった。曲がり角の先から暴走綾波が突っ込んできて「ぶべら!」ってオチでもなかった。それもやりかねないと思ってたし、やっても許される作品だとは思うけど。

・つかQのアレなところをかなりフォローする続編になってるのがすげえ。Qの再評価まである。

・あさりよしとおデザインのサキエル仮面はやっぱいまだにカッコイイ。あの不気味さと間抜けさが同居したビジュアルデザインが「使徒」というよくわからんものをバキっと立たせた。

・松方さん……働きマン……? あんまりこの映画に庵野秀明・安野モヨコ夫妻を重ねる観かたはしたくない派なんだけど、お遊びにしても安野モヨコ周りの情報量がちょっと多めに感じた。

・と言いつつ、宮崎駿という庵野秀明のクリエイターとしての「親」へ歩み寄るような姿勢を村編に見てしまう。あの「親」は「よくやったな、ヒデアキ」って言ってくれるんだろうか。と思ってたら宮崎駿監督も出演する庵野秀明密着ドキュメンタリーをNHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」でやるのね。観よう。

・すっげえ昔、それこそ旧劇のあたりで宮崎駿監督が「シト新生」だか「EOE」だかを観て「正直な映画を作りやがって」って言ってた記憶がある。だいぶ前の記憶なので正確性は保証しないが。

・エヴァよ、お前も農業編を始めるのか……。「一粒の麦、地に落ちて死なずば」を稲でやんのか?まあ加地さんもスイカ畑やってたしな(新劇でもやってたかどうかは覚えてないが)。

・かつてはシンジたちエヴァパイロットだけが中学生なのに社会的労働を割り当てられていたが、世界が逆転して、子供も普通に働くべき社会になっている。「社会から絶対的庇護を受ける幼児と、社会に奉仕すべき大人との間の、少年少女という階層はごく近代の社会において成立したものである」ってなことを昔何かで読んだけど、何だっけか。

・トウジとヒカリが結婚してたなんて意外だろ、のくだりは劇場がひとつになって無言でつっこんだ気がした。あれは観客を一体にするための演出だったのだろうか。

・むしろ「もうシンジの知ってる中学生の頃とはちゃうねん、みんなあの頃のままなわけないやん」感を出してくるために、トウジ妻は全然知らないキャラが出てくると思ってた。

・ヒカリの姉妹にノゾミとコダマってのがいなかったっけ? 公式設定だったような気が。

・iPadというかリンゴマークが映り込んでたのは、知恵の実ってことなのかね。ネルフのマークもリンゴだったし。ワンダースワンは……カヲル君がリセットボタンを連打した結果、ワンダースワンが覇権を取った世界に辿り着いたってことか?

・無免許医、時空を越えて人類に干渉する超常的存在、人造人間……手塚先生!いやトウジが医師免許持ってんのかどうか知らんけど。

・綾波が「婆さんはしつこい、婆さんは用済み」とか言わない、婆さんに従順ないい子になってて良かった。

・黒綾波に知恵を授けた三人のババアの名前がカス婆、婆ルタザール、メルキ媼、みたいな裏設定はないのかな。ないか。エンドロールの後に画面が村に戻ってババアたちの眼が意味深に赤く光り、トウジの娘にカメラが移って終劇ドン、みたいにならずにちゃんと終わってくれて本当によかった。

・日常的風景とSF的世界観を強引に接続し、間のリアリティについては「細けえことはいいんだよ!」で強引に埋めてしまうエヴァの世界観(ビルが兵器格納庫になってたりとか)が好きなので、Qですっ飛ばされてたそういうところが描かれてて嬉しい。

・黒綾波が覚醒して地平線の彼方から稲が生えてくるとかではないのか、だってあいつ世界中に十字架生やせるじゃん。少女よ日本神話になれ。

・アスカの「ハイハイ、ノルマだから裸ね、ハイ、これでいいんでしょ、サービスサービス。……このサービス、アンタたちホントにまだ喜んでんの?」感。
・村の用心棒的存在のアスカが村外れにケンスケと住んでる設定、「バガボンド」の鐘捲自斎と小次郎を思い出した。

・ペンギンの寿命がどれくらいか知らんけど、あれはミサト家にいたペンペンなのか、それともその子孫なのか。

・「冬月副司令に試されてる」的なことを金髪角刈りたちが言ってるけど、シリーズ通して冬月が有能キャラっぽく描かれてるの初めてじゃね? 中盤まで完璧に中ボスとしての立ち回りをこなしてたし。ゲンドウの仲間、冬月しか出てこないけど、冬月シリーズが完成していたのでは、ってくらい一人でめっちゃ仕事してるな。

・ていうかそれ以前にゲンドウ君が有能な司令官だったところ、冷静に考えてみてもひとつも思い出せないんだが、なんであいつ出世できたんだろう? 研究者として優秀だったという設定も特になかったと思うし。一応旧の六分儀ゲンドウ君は婿養子先のユイのコネで出世したってことになってたように記憶してるが、確か新劇では婿養子設定はなくなってたはず。

・ナナヒカリのエコヒイキのコネメガネって六分儀ゲンドウ君じゃねーか。

・冬月シリーズは無条件で碇ゲンドウに従うように魂が作られている。

・劇中で急に冬月上げが始まったので、ちょいちょい脳内のハリウッドザコシショウが(冬月ィ……エバーにのれェ……)と言うのを、いま真剣に見てるんだから邪魔すんなや!と追い返してたけど、途中から、あれ、これひょっとしてマジで冬月エヴァに乗る展開あるか……? やたら沢山エヴァ出てきてるし……。金髪角刈たちも冒頭でプラグスーツっぽいの着てるし、そういうことか? 最後はみんなエヴァに乗って大乱闘か? と思ったけど結局乗らないんかい。ゲンドウは乗るんかい。

・新劇からのキャラまでエヴァに乗って出撃していく中、ひとりだけ封印柱が機体に出たり入ったりしてるあやしげなシン・ジェットアローンに乗せられる青葉シゲル(俺の脳内だけで上映された幻のシーン)。

・「ニアサーの姫」って言わせたいんだろ?

・オタクの現実と無様さの象徴としてのゲンドウ、オタクの夢と理想の象徴としてのケンスケ。

・ジェネリック加持さんとしてのケンケン、そのうち「俺はここで設備を直すことしかできない。だが、君には君にしかできない、君にならできることがあるはずだ」って加持ジュニアに言いそう。

・ケンスケがケンケンに進化するルートに入るために、カヲル君は何回リセマラを繰り返したのだろうか。全てのルートでトウジと委員長は結婚してそうだけど。

・戦闘シーンは正直ちょっと見にくかった。3DCGを多用してるからか、敵が大量で遠くからのドンパチがメインだからか、あのエヴァのヌルっとした生物的な動きが薄れてるように感じた。大量の相手とロングレンジからガチャガチャやるより、もっとエヴァの近接戦闘を見たかった。獺祭ファイトのあたりはたぶん演出として意図的にチャチにしてあったんだろうけど。

・「これまでの全てのカオスにケリを付けます」いやいや、またまたぁ。って思ったけど、案の定カオスを増やしながら、それでも無理矢理風呂敷に押し込んでケリを付けてくれたことに感謝。もともとカオスばらまくだけじゃなく、秩序立ってるところはちゃんとしてるからこその名作だしね。

・ミサトとリツコとゲンドウの、全部セリフで説明するやつ来た! 創作のハウツー本ではダメなやり方として書かれてるやつ! でもいいんだよ、全部喋れ! ていうか半分くらいは説明してるようで何の説明にもなってないな! いいぞ、もっとやれ! その時、観客たちはあばれ和太鼓の旋律をたしかに聴いた!

・ピンク髪がむかつくのは、基本的にネジが外れたキャラばかりの中で、こいつだけが普通で常識的なことを言ってるからなのでは。ここまで来てこの期に及んで「変よコレ!」つってんじゃねえよ、こちとらンなこた承知してんだよ、正気でここまでついて来てんじゃねーよ! という。

・カヲル君は「世にも奇妙な物語」におけるタモリの立ち位置と考えると、細かいことはだいたいどうでもよくなる。時空や世界を超えてブラカヲルしてもいいとも。何十年もの間、常に事態の中心にいながら傍観者的スタンスを取って、周りのメンバーが入れ替わっても延々と同じことを繰り返してきた彼は「笑っていいとも」におけるタモリそのもの。そしてようやくグランドフィナーレで、彼はその繰り返しから降りることができたのだ。テレフォンショッキングという円環から解放された彼の電話はもう鳴らない。タモリと赤塚不二夫が、裸で抱き合ってみたらそういう気持ちが芽生えるかもしれないとイチャイチャしてみた(しかし結局はダメだった)というエピソードがあることからも、カヲル君=タモリ説が補強されますね。字面もすげー似てるしね。

・もしや、と思って「タモリ ピアノ」でググってみたら、タモリが芸能人の中ではトップクラスにピアノが上手いという情報が出てきて笑った。エヴァって四つん這いの時ちょっとイグアナっぽいし、言語変換できるし、これはもうタモリですね。

・ごめんなさい、おれはハゲヒゲマッチョやピンク髪はどうでもいいです、代わりにEOEで他のみんなが意中の相手と補完されていく中、大量の綾波に取り囲まれて怯えながら補完されていった青葉シゲルに今回はもう少し見せ場を……。このままでは青葉が一番輝いていたのは、シンジたちがバンドを組んだ時に、ギターを教えてくれるお兄さんとして登場したときになってしまう!(セガサターン版の2)

・日向君はわりとどうでもいいです。

・刃牙外伝(世界の中心でSAGAを叫んだけものじゃなくプロレスの方)では関根勤が「斗羽と猪狩が試合するんですよッッッ!」と叫んでたけど、今回はおれの脳内の東野幸治が「エヴァと碇が戦うんですよッッッ!ホンマやったらエラいことやッッッ!」って叫んでた。まあ両方エヴァだし両方碇なんだけども。エアちゃぶ台返しならぬエア食卓エヴァバトルや!新世紀最大の親子喧嘩だッッッ!

・「これが他の作品ならば何としても喰らいたくないシロモノだが……エヴァの場合はそうもいくまい……。オタクはエヴァンゲリオンから逃げちゃダメだッッッ!」

・もっとガンガン実写をぶっ込んで来るかと思ってたけど意外と控えめ。何なら公開初日の朝イチ回の観客映像をぶっ込んでくるくらいのことはするんじゃないか、場所も池袋の大きい劇場だからあり得るぞ、でもIMAX取れなかったし、やるならそっちでやるか、いやそもそも当日は技術的に無理だろ、とか色々思ったけど取り越し苦労だった。

・実写の庵野監督がポツンと椅子に座ってる中でQについて糾弾されるシーンも1%くらいはあり得ると思ってた。旧エヴァのラジオドラマ「終局の続き」ではエヴァの声役で出演してた記憶もあるし。

・シンの描写によってQのあんまりな態度に救いが出てくる構成は見事だけど、それでもQの時にその説明の一割でもシンジ君に、そうでなくても観客にしていたら……とは思わないでもない。ヴンダーの壁に「報告・連絡・相談」って誰か貼っとけ。

・「碇シンジの行動の責任を負う」と明言する保護者としてのミサトさんと、エヴァに乗る義務だけ負わせて責任は取らないゲンドウパパ。まあどっちもコミュニケーションに問題はあるし、ミサトさん責任どう取るんだよ、言うだけならタダだぞ、という話はあるが、それでも言う覚悟があるだけゲンドウ君よりマシか。

・でも加持ジュニアにとってのミサトは、勝手な理屈をつけて親の側からコミュニケーションを拒絶してるという点において、シンジにとってのゲンドウとあんまり差がないのでは。

・いやお前が撃つんかい!

・「ウチはお前を撃たないかん。撃っとかな気が済まへんのや!」でマジで撃ってしまう鈴原サクラ。「私、鉄砲なんて撃てません!」つってたマヤさんとはえらい違い。マヤさんに「これだから若い女は……」って言って欲しかった。いや、彼女が「ここで誰かがミサトさん撃っとかな旧劇をなぞれへんのや!」という役割を押し付けられたのもわかりますけど。

・旧劇のお返しとばかりに躊躇なくゲンドウに発砲するリツコの愛人設定って新劇でも残ってたっけ?実はひそかにリツコだけはとっくに救済されてた?カヲル君そっち優先した?じゃあマヤもグッドエンディングにいけた?

・「撃っていいのは撃たれる覚悟のある奴だけだ」というフィリップ・マーロウ的(誤訳らしいけど)な覚悟ではなく、単に無敵モードに入ってるからってんですんなり撃たれたゲンドウ君はやはりきたない。そして、それでこそ俺たちのゲンドウ君だぜ!

・伝統のガバガバパーセンテージが無限大まで行きついて笑った。もうこれ以上はないぜ、という覚悟を感じる。

・はいはい、ガイウス・カッシウス・ロンギヌスね。イエスを刺した衛兵と思わせといて、紀元前ローマの政治家のほうね。(あとからググって知った)。

・虚構と現実を等しく信じる人類だけが認知できるイマジナリーエヴァンゲリオン……。いま俺たちが観てるやつのことかな? それとも俺たちが二十年以上脳内で上映してたやつ?

・冬月が言う「希望に至る病」ってのはあれだね、キルケゴールの「死に至る病は絶望である」ってやつに引っ掛けてんだね。あの頃の中学生はエヴァを通してキルケゴールを知ったからね。知っただけで別にその哲学の内容までは深掘りしてないからこれ以上は何も言えないんだけどね。

・他人には「イスカリオテのマリア君」と、まだその宗教用語を引用して微妙にズラしてフワッとさせたどうとでも解釈できる思わせぶりなやつぶっ込んでくるのかよ! 最後までサービスありがとう! なムーブをかましつつ、「冬のない世界」とか「黒き月」とか後付けでも散々引っ掛けられそうなワードがありながら、自分は最後まで中間管理職を全うした冬月先生。シンジたちがようやくたどり着いた冬のどこかに、日経新聞を読んでいる冬月がいてほしい。

・存在しないはずのマイナス零号機に乗り込んでゲンドウを握りつぶす冬月。エントリープラグ内で若返ったその姿は渚カヲルそのものであった。思わせぶりなことを喋るのとか、ひとりぼっちのゲンドウに寄り添ってくれるのとか、髪の色が同じ灰色だったのは伏線だったんだね!(ぼくのかんがえたイマジナリーエヴァンゲリオン)

・行きなさいゲンドウ君! 誰かのためじゃない、あなた自身の願いのために!

・シンジ君の「綾波を返せ!」とゲンドウ君の「ユイ……! ユイ……!」はだいたい同じ。それが引き起こす結果に対して自覚的かどうかの点においては大いに違うけど。

・この期に及んで「蒲田行進曲」かよ!いいぞ、庵野くん、キミのこういうのを待ってた!シンクロ率上がってきたね!

・撮影セットの向こう側から山岸マユミと霧島マナが現れて「後から入ってきてヒロイン気取ってんじゃねえよ!列に並べや!」とセガサターンでマリをボコボコに……という展開はもちろんなかった。山岸マユミにはエヴァシリーズの初代眼鏡っ子キャラとしてマリにマウント取りに行って欲しい。中学時代の俺はエヴァのテレビシリーズが見られる環境になく、WOWOWの無料放送で観た劇場版2作とセガサターンのエヴァシリーズでエヴァ全体のストーリーを把握していたから、そこに思い入れがあるのは仕方ないのだ。

・当然、さらにレアなエヴァヒロインであるところのマリイ・ビンセンスも松風ネネも出てこない。いや、どっかに小さく映り込んでた可能性は否定できないが、たぶん庵野総監督が関わったもの以外は面倒見きれないでしょう。エヴァは本編以外にもメディアミックスが多岐に渡りすぎて、全部を掬い取るのは無理だし、本当の意味での「さよなら、全てのエヴァンゲリオン」は各人が脳内でやるしかない。キミも自分だけのイマジナリーエヴァンゲリオンを考えてみよう!

・槍でガンガン殴り合ってたのに、腕力的に息子と互角だとわかってしまった途端に「暴力と恐怖は我々の決着の基準ではない」とか言いながら話し合いに応じて、自分語りレスバトルで息子と決着をつけようとするゲンドウ君、ホンマにお前は……。しかし、ディスコミュニケーションを貫いてきたこの親子の最終決着にはそれこそが相応しい、そうでなくてはならない、とも言える。

・ゲンドウ君は別に研究熱心なイメージもないし、地元から抜け出すために京大を志したのだろうか。地元の引力から思春期の少年少女が抜け出すためには大学への進学が一番行きやすいルートだもんな。

・「さわるな……。そいつは……オレだ。ゲンドウは……オレなんだよ……」(不破北斗の亡骸を抱き上げる陸奥九十九のトーンで)

・改めて振り返るとマリの立ち回りは完全にサークルクラッシャーのそれだし、つまり彼女はエヴァという閉じたサークルをクラッシュさせるためにサークルの外側から送り込まれてきた存在だったんだよ!な、なんだってー!

・「イスカリオテのマリア」ってのが「清純ぶった裏切り者ビッチ」という意で大学時代のサークルクラッシャーにつけられたあだ名だとしたら、最後の最後に教え子の黒歴史をひと撫でしていく冬月先生はやはりヤリ手。冬月ゼミでユイにグイグイいくマリを密かに冬月だけがそう呼んでたとしたら笑う。まあ世界をクラッシュするきっかけになってんのはユイ先輩のほうなんだけど。自覚的なやつよりも無自覚なサークルクラッシャーのほうがずっとタチが悪いという。

・「歌はいいねえ」とまでは言わないもののやたらと歌いまくってるし、距離感おかしくてボディタッチ多いし、同じエヴァパイロットだし、結局どういう存在だったのかよくわからないしで、マリはジェネリックカヲル君だと思えば、あのラストも納得。新劇で数度しか会ってないけど、カヲル君とだって一緒にいたの短期間だし。シンジ君は基本惚れっぽいんですよ。つか男子中学生にあんな胸の大きないい女がグイグイ来たらそらそうなるよ。

・マリは「キミがどこに居ても必ず迎えに行く」って言うけど、俺たちはエヴァくんがちゃんと待ち合わせ場所に来るのかどうかわからないままずっと待ってたんだからな! 行けたら行くわ、今出たわ、ちょっと遅れるわ、ちょっと寄り道するわ、みたいなことずっと言ってるし! でも本当にちゃんと来てくれてありがとう!

・ホームの向こうにアスカの姿を見つけたシンジ。そこに電車が通り、駅を通過した時にはもうアスカの姿はない、そこで流れる山崎まさよし(山崎まさよしを宇多田ヒカルに変えるとだいたい合ってる)。

・エンドロールが流れるまで、いや、明かりがついて退館アナウンスが流れるまで、いつどこでシンジ君が知らない天井を見上げながら眼を覚ますシーンがぶっこまれてもおかしくない緊張感があった。だって俺たちが観てるのはエヴァンゲリオンだもの。劇中でキャラ達が救われていくほどに、このままいけよ、変なこと考えるなよ、今回はこのままハッピーエンドに行っていいんだよ、と思う俺と、全部ひっくり返したっていいぞ! その覚悟はできてる! と思う俺がいた。

・でもシンジ君が眼を覚ました先があの世界でよかったと思う。

・たとえば加持ジュニアを主人公に、ゲンドウポジションにはミサトさん、冬月がリツコ、加持父がユイ、ミサトはアスカ、加持はケンケン、と置き換えてまた繰り返しだってできる。でも、エヴァがない世界なのでそれはもうできない。それがシンジ君の望んだ世界。

・「綾波は綾波だよ」とシンジに言われ、黒綾波は舞台を降りて行った。「アスカはアスカのままでいい」とイマジナリーケンケンに言われ、アスカは舞台を降りて行った。二人のヒロインにとっての「僕は僕だ!僕はここにいたい!僕はここにいてもいいんだ!」

・マリが「ワンコ君」だの「姫」だの呼ぶのをはじめ、ゲンドウがシンジを「初号機パイロット」と呼んだり、黒綾波の名前のくだりを含め、この連中はなかなか互いを名前で呼ばない。「破」でもアスカとシンジが互いに名前で呼ぶようになるまでのくだりを時間をかけてやっていたが、名前を呼ぶという行為がある種のイニシエーション的なもの、ATフィールドを超えて互いを承認する行為として描かれている。アスカのピンチの時にはマリはアスカを「姫」と呼ばずに「アスカ」と呼ぶ。さすがにシンジがゲンドウをゲンドウとは呼ばないけども。カヲルと加持が「リョウちゃん、そろそろカヲルって呼んでよ」「まだおあずけです」みたいなやり取りをするのも含めて、そのあたりの演出は意識的にやってると思うけどどうだろうか。

・マリが「ワンコ君」とか「キミ」でなく、「さあ行こう、シンジ君」と名前を呼ぶところで映画が終わる。

・しかしよく考えたらその直前に、神木シンジ隆之介がマリのことを「胸の大きないい女」とか呼んでたので考察が台無しである。

・神木隆之介がキャスティングされたのはもちろん演技力があるからなんだろうけど、テレビ版OPで「残酷な天使のテーゼ」の「残酷な天使のように少年よ神話になれ」のバックに描かれていたセフィロトから連想されたんじゃないかとちょっとだけ思ってしまう。エヴァは生命の樹で始まり神木で終わったのだ。

・風呂敷が! 一旦畳まれたはずがもう一度広げられ、ついに畳まれることはないのではと思われていたあの大風呂敷が畳まれた! それだけで!それだけでもう満足なのだ! ちょいちょいはみ出てるとか、綻びがあるとか、そんなことはいいのだ! 畳み切ったという事実!ありがとう庵野秀明総監督!

・自分は別にTVシリーズの最終回やEOEが「逃げた」結果だとは思わないし、むしろ全力で真摯にやった結果だと思ってるけど、今回も逃げずに作品を作ってくれたんだなあと。

・アスカ28歳にとっては「好きだった」のは14年前の過去なんだけど、シンジ14歳にとっては数ヶ月?くらい前のことなんだよな。綾波と出会ったのもそのちょっと前だし、胸の大きいいい女ことデウスエクスマキナミが空から降ってきたのもかなり最近だし。カヲル君に至ってはほんの数日。そしてその数ヶ月、あるいは14年間が、俺たちにとっては何年間だったのか。

・俺もエヴァンゲリオンのことが好きだったよ。

――――――――――――――――――

シンを見終えて、感想を書き留めるうち、あれ、俺ってこんなにエヴァが好きだったっけ?と思った。
旧劇の二作は何度も観たけど、テレビシリーズはブックオフで一巻に二話くらい入ってるビデオを買うか(新品は金額的に厳しかった)、レンタルビデオを借りるかで一度くらいは通して観たか、何なら観てない回があるかもくらい。
セガサターン版の1と2の他にミニゲームをクリアしてエヴァの名場面が観られるカードを集めるというゲームがあり、それを持っていたために、シリーズ通して観たかどうかもあやふやながら、名場面とされるシーンは大体知っている。あとそもそもエヴァの入り口が、半分総集編である旧劇の「シト新生」だったので、全体像はだいたい知ってる。
「鋼鉄のガールフレンド」はたしかwin版でやった。
そういやテレビ版の脚本集も持ってた。
でも、あれだけの大ブームの中で、十代の頃に誰かとエヴァの話をするなんてことはなかった。
設定周りの考察とかには興味がなかったので、当時乱立していたらしいエヴァ関連のサイトも見ていない。いまだにリリスが何とかアダムがどうとかよくわからない。
漫画版も、7~8巻くらいまでは持ってたけど、あとは完結してしばらく経ってから読んだくらい。
そして旧劇も十年以上、ひょっとしたら18で上京して以来観ていないのではないかと思う。
正直、自分にとってのエヴァンゲリオンは最初の出会いだった旧劇二作でちゃんと終わってるので、序も、世間で評判の良い破もとりあえず観とくかくらいでそこまで刺さらなかったし、Qはだいたい世間の評価と同じなんだけど、それでも今回のシンはよかった。と同時に、自分の中にこんなに旧エヴァが染み込んでたのか、と驚いた。
中盤くらいまでは、あれ、このテイストで最後まで行くのか……?いやまあそれも悪くないけど……とちょっと不安だったけど、後半は俺の知ってるエヴァだった。グイグイシンクロ率が上がっていった。
知ってるぞ、この感じ!ここにいたのか……エヴァ!
どうしたって10代の頃に旧劇エヴァにブン殴られた時とは比べようもないんだけど、久々に故郷の街に戻って、もう長いこと連絡もとってなかった十代の頃の友達に会ったような、あの当時の感じを思い出せた。
何だよ、お互い大人になったじゃねえか、でも中学生の頃から変わってねえとこもあるよな。まだその趣味続けてんの? あん時の傷まだ残ってんじゃん。よく行ったあの店潰れたんだ。昔ケンカしたの覚えてる? へえ、あの子結婚したんだ、マジかー。じゃあな、またいつか会おうぜ。的な。
だから「ハイ、これでエヴァは終わり。現実に還れよ」という話だとは自分は思わなかった。
「これまでもそうだったし、これからもそうだ。虚構と地続きの現実で生きていこうぜ」という話だと受け取った。
エヴァンゲリオンは終わっても、俺たちのネオンジェネシスはまだ続いていくのだ!

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