見出し画像

猫の願い事

 午後十時半、私はグループトークをしていた。参加者は大学進学を機に離れ離れになった友人たちである。真鍋春人、夏目ふみ、堂本冬馬、そこに私こと秋山真帆を加えると春夏秋冬が揃う。今でも連絡を取っているのは趣味も共通していたからだ。

「送った写真、確認してくれた?」
「地蔵が倒れているやつ?」
「そうそう、山の中で地蔵が倒れてるとか絶対になにかあるよな?」
「地蔵だと弱いよ、人間が倒れていたらなにか遭ったんだろうけどさ」
「いやいや、それは普通に事故か事件だから!」
「あはははは、倒れていたのが地蔵でよかった」

 真鍋がオカルトネタを持ち込み、それを堂本が軽くあしらい、ふみが笑うまでが一連の流れだ。その後に私の役割が回ってくる。

「真鍋くん、まさか倒れていた地蔵を起こしていないよね?」
「なんでそんなこと聞くんだよ?」
「倒れている地蔵は起こすと祟られる話が多いからだけど?」
「危ねえ、俺に真心があったら絶対に起こしてたわ」
「春人、本当にオカルト好きなのかい?」
「俺は実際に見たり体験したりしたい派なの! そもそも冬馬と秋山が詳し過ぎるんだよ」

 会話の途中、仔猫の鳴き声が聞こえてくる。
 視線を向けるとベランダから部屋へ侵入してきた。
 首輪をしているので、野良ではなく、誰かの飼い猫だろう。

「話を変えて悪いんだけど仔猫が部屋に迷い込んで来たらどうする?」
「そりゃあ、保護するだろ」
「えーっ、野良なら追い払ったほうがいいよ」

 真鍋とふみが即答し、それを受けて、堂本が問い返してくる。

「それでどっちなんだい?」
「首輪をしているから飼い猫かな」
「それなら隣人の猫じゃねえの?」
「飼い猫なら保護してあげなよ」
「うーん、面倒なことに巻き込まれたくないんだよね」
「えーっ、そこで悩むなんて信じられない。人間の所業じゃないよ!」
「そうだぞ、東北魂を見せろ!」

 春に引っ越してきた土地に魂とか持てない。

「飼い猫なら保護すべきだね。朝に然るべきところへ連絡すればいい」
「わかったわよ。保護すればいいんでしょう? じゃあ私、抜けるからね」
 
 にゃあにゃあと鳴き止まない仔猫に私は話しかけてみる。

「ご主人様のところへ案内してもらえると嬉しいにゃあ」

 語尾を猫っぽくしたことに意味はない。しばらくすると仔猫が動き始めた。ちらちらと振り返ってくるので、どうやら案内してくれるらしい。仔猫はベランダに出ると仕切りの下を潜って隣へ移動する。私は見失わないようにベランダから身を乗り出した。隣室に侵入しようとする仔猫に私は声をかける。

「ちょっと待って、人間がベランダから訪問したら確実に通報されるんだよ。ちゃんと追いかけるから安心してほしいんだけどわかった?」

 身振り手振りを織り交ぜて説明すると仔猫は「にゃあ」と鳴いて部屋の中へ入っていった。私は仔猫との約束を果たすため隣人を訪ねる。

「はい?」
「えーっと、隣に住んでいる秋山と申します。仔猫についてお伝えしたいことがあるんですけど、ちょっと時間を頂いてもよろしいですか?」
「あら、お隣さん。仔猫について?」

 扉越しに聞こえてくる声のトーンが明らかに変わった。
 おそらく仔猫というキーワードが不信感を払拭したのだろう。

「ちょっと待ってね」

 扉が開いて高齢の女性が姿を見せた。
 お洒落な寝巻きを身に着けた温厚そうな人物である。
 とりあえず虎柄の服にパンチパーマとかじゃなくてよかった。

「ロシアンブルーの仔猫について覚えはありませんか?」
「あらまあ、あなた、カイトを知っているの?」

 仔猫を抱いた高齢の女性は驚きを隠さない。
 私は真剣な声で「はい」と肯定した。

「お上がりなさい、詳しく話してほしいわ」

 1LDKの間取りは私の部屋と変わらない。大きな違いは部屋に五匹の猫がいることだった。高齢の女性は「丸山絹江です。さあ、座ってください」とソファーを促してくる。

 ダイニングテーブルを挟んで対面の席に腰を下ろした。絹江さんに抱かれた仔猫は大人しくしている。三匹の猫は主人を守るように私を警戒していた。カイトだけが私の傍から離れない。

「不躾な質問をすることを許してください。カイトくんは絹江さんに懐いていましたか?」
「あなた、本当にカイトのことを知っているのね。あの子はとても賢かったの。だからほかの子と違って警戒心を解くのに随分と時間がかかったことを覚えているわ」

 カイトが私の顔を振り仰いだ。その表情は飼い主を非難するものではない。むしろ絹江さんのことを心配しているようだった。

「絹江さんの抱えている仔猫は目が見えませんよね?」
「ええ、ルカは病気で目が見えないの」
「失礼ですがこれまで飼われた五匹の猫はすべて目が見えなかったのではありませんか?」

 絹江さんの表情が強張る。

「カイトくんは本当に賢い子です。だからこそ絹江さんのことを心配しているんですよ」

 狼狽する絹江さんを私は一気に畳みかけた。

「最初に飼われた子は本当に目が見えなかったのでしょう。その子を亡くしたときの喪失感は私にはわかりません。悲しみを埋めるために新しい子を迎えたことも理解できます。ただ絹江さんは方法を間違えた」
「なにが仰りたいの?」
「目の見えない猫の代わりは目の見えない猫しかいない。その考えは非常に危険です」
「なにが言いたいのかしら?」
「二代目以降の仔猫は絹江さんが故意に失明させていますよね」
「冗談じゃないわ!」

 温厚そうな絹江さんが声を荒げた。

「絹江さんの猫に対する愛情を否定するつもりはありません。実際、カイトくん以外の猫は私を敵視しています。主人を守ろうとしているのでしょう」
「なんなの、なんなの!」
「カイトくんだけは絹江さんに視力を奪われたことを知っているんです。ただ恨んでいるわけではありません。これ以上、絹江さんに動物虐待という罪を犯してほしくないんです。普通に飼い猫を可愛がることを望んでいるのではないでしょうか?」

 私は部屋へ戻りグループトークを再開した。

「仔猫の飼い主と会ってきた」
「早っ、俺たちSNSで飼い主を呼びかける方法とか考えてたんだぞ」
「なんだかんだ言っても真帆は世話好きだよね」
「まったく、秋山さんの話が一番オカルトですよ」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?