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ルイージに会いに

 子どもの頃、ひとつ年下の従弟がよく遊びに来ていた。彼は隣町に住んでいて、叔父が家族で来訪した時にしか遊べなかったが、年が近い従兄弟はお互い他にいなかったので、会った時には兄弟のように、思い切り二人で遊んだ。
 私の方が年上ではあったが、上下の意識は微塵もなかった。学校や近所以外で会う、同年代の友人のような存在だった。私は親戚が集まるお盆や正月を楽しみにしていた。
 親に嘆願して泊まりに行ったり、泊まりに来てもらったりしていたが、実現した回数は多くない。親同士の様々な事情があったようだが、当時は知る由もなかった。
 
 よくよく考えてみれば、そのような時期は幼稚園の年長あたりから、小学校中学年くらいまでだったように思う。その後はもう本当に盆正月くらいしか顔を合わせない。高校生にもなれば親戚の集まりなどにホイホイ付いていくこともなくなり、疎遠になった。
 親同士は親戚付き合いを続けているため、情報は入って来る。彼は変わらず隣町に済み、結婚して二人の子どもと幸せに暮らしている。さらには、数年前にサラリーマンをやめて事業を興したとのこと。私と違い、立派にやっている。
 
 彼と遊んだ思い出で、強烈に記憶に残っていることが一つある。
『スーパーマリオブラザーズ3』に関連することなので、二人は当時小学生である。
 遊びに来た彼と一緒にゲームを楽しんでいた。プレイしていたのは『マリオ3』ではなく、何か別のゲームだったように思う。
『マリオ3』が発売されてしばらく経過しており、私は全クリ(全面クリアの略)していたと記憶している。1989年の出来事だと仮定すれば、その時にプレイしたのは『ファミコンジャンプ 英雄列伝』だったかもしれない。
 とにかくその時は『マリオ3』はやっていなかった。そして、私の家には、同作の攻略本があった。
 それを見つけた瞬間、彼は言った。
「強え!」
 発音は「つええ!」だった。私は一瞬意味がわからず、夢中でページをめくる彼の顔を見ていた。
 次第に私は咀嚼する。「つええ」は「強い」だということは分かる。私もたまにはそのような言葉を用いることがあった。しかし、本をその対象にしたことはなかった。
「強え」と言えば、力やら体力やら、何かしらの能力が高いことを賞賛したり、驚愕したり、狼狽したりする時に使う。
 ミニ四駆が速ければ「速え!」と言い、食べたものが美味しければ「美味え!」と言う。
 では本に対しては、どのような言葉を用いるのが正しいだろうか。
 当時の私は思った。それを言うなら「凄え!」じゃないかと。
 しかし、彼は「強え!」と言うのだ。だが不思議と、それが決して間違いではないのだと、私は妙に得心していた。すぐ隣の町でも、使う言葉が違うのだと知った。
 
 実は、彼についての情報は他にも色々入って来ていた。近況は前述したとおり、幸せそうでなによりだが、そこに至るまでは、紆余曲折あったのだ。
 人生の波乱万丈さにおいては私も引けをとらないと自負しているが、私はこの年齢になっても未だに自分に自信がなく、恵まれていることはわかっていても、心から幸せだと思えずに、かと言って死ぬ気でもがいたりもせず、温く、緩く、生きてしまっている。
 彼の言葉を借りて、私が自分を表現するならば、「弱え」の一言である。
 彼が四十を超えて起業したと聞いた時、私は素直に凄いと思った。その決断力と、覚悟を尊敬した。「強え!」という言葉こそ出なかったが、彼は「強い」人間だと思う。
 
 今気づいたが、私の体型はずんぐりしていて、彼は細身で背が高い。まさにマリオとルイージのようだ。そう思うと、久しぶりに会ってみたい気持ちになる。
 すっかり疎遠になってしまっているし、何を話したら良いかわからないが、ルイージに突然会いに行って驚かせてみようかな、などと考えて、勝手に少し楽しくなっている。

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