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昼下がりの蝉時雨

夏休みの自宅は地獄だ。

私の部屋にはエアコンがない上に、カーペットの敷かれた床、東と南に大きな窓がある。
冬は暖かいが、夏はこれでもかというくらい夏だ。
30分もじっとしていると全身が汗まみれになる。

なので、受験勉強などできる状況にない。
必要最低限の勉強道具をカバンに投げ入れて、家を出た。

どこか勉強ができる場所を、と思うが、頭に浮かぶのは図書館かファミレスか、あとはエアコン常備の友だちの家だが、こんな突然に行って部屋に上げてくれる友だちはそうそういない。
私だって遠慮したい。エアコンはないが。

まあ、とりあえず図書館に行こう。

車庫に放置された自転車は、ハンドルもサドルも体温より熱い。予想通り。
部屋に戻るよりはまし。勢いよくこぎ出した。

図書館までの道はそう遠くないが長い坂道だ。
表の大きな通りを行けば坂はないが、ずっと日向でしかも遠回りだ。
坂道は辛いが、木の茂る木漏れ日の道なのでそれなりに涼しい。
木々の深部から蝉の声が幾重にも降り注ぐ。

まさに蝉時雨。

坂を漕ぎ続けるのに疲れて自転車を降りた。
汗ばんだシャツをゆるい風が通り過ぎた。
坂の下に通っている高校が見える。
県内でも進学率上位の高校ではあるが、全国レベルで言ったらおそらく中の中の上くらいではないかと思う。
日本屈指の大学へ進学するような成績上位者は、名前を上げられるほどしかいない。
私も目指してるのは地元の大学だ。大学のレベルは中の中くらい。それでも模試の結果でいうと結構際どい。むしろ危ない。

まずい、勉強しなくては。

坂の上で自転車に乗り直した。坂を降り切れば目的地の図書館だ。

「どこ行くの?」

びっくりして変な声が出た。
まずいやつに出くわしてしまった。
会いたくなくて会いたいやつ。
要するに片想いの相手だ。

「お前でもそんな女子みたいな声出るのな。」

余計なお世話だ。
びっくりしすぎてまだバクバクする。

「あんたこそどこ行くの?」
「うちに帰るところ。暑いからさぁ」

帰ったら涼しいんか、とちょっと憎らしくなった。

「で、どこ行くの?」
「図書館」
「一人で?」
「そう一人で。悪いか?」

悪くはないけどさ、とだけ口にして黙り込んだ。
しばしの沈黙。なんだこの沈黙。

「ま、いいか。じゃあな。」

軽く手を上げて去っていった。
何がいいんだ?何だったんだ?

ふと我に返ると、蝉時雨がやけに大きく感じた。
もうやつの背中は見えなくなっていた。

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