【雑記】「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」に第一章に関する文書 2024/7/24

無断転載は禁止です。
下ネタあります。
日記的な駄文なので、あまり期待しないでね。

 さて、「【ガチ書評】ロックリー・トーマス著 「信長と弥助 本能寺を生き延びた黒人侍」 第一章」を読んでいただいた方、ありがとうございました。
 【ガチ書評】では視点に偏りがないように気を付けて書いているが、【雑記】では好きに書く。

 話題の奴隷云々に関しては【ガチ書評】で修正も含めてきっちり突っ込んだつもりだ。
 私が知らないだけで、ロックリー氏が本書以外のところで「日本がアフリカ人奴隷を流行らせた」と言っているのであれば、どうか教えて欲しい。

 また、この本では、黒人奴隷をうすーく延ばして広げて「当時どこでもあったことだから仕方ないよね。隠すんじゃねえよお前もやってんだろー?」としたいような印象を受ける。
 ※個人の感想です。

 そもそも、無関係のよそ様のところに押しかけていって思想・文化・宗教そのほかを押し付けるのを正しいとする性根はよろしくない。
 大きなお世話である。

 この当時はそれは奴隷であり、宗教であった。
 現在はポリコレがそうだ。
 結局やっていることは昔から変わらないのだから困ってしまう。

 そして物語としてとらえた場合、人種と宗教と性別こそがドラマを生むので、ポリコレはつまらなくするために生み出された気がしてならない。

 次いで、【ガチ書評】では書けなかった「弥助と信長」第一章の個人的な感想を述べる。

 第一章の考察の部分では、ロックリー氏は本能寺での弥助大活躍のことを「”事実は小説より奇なり”を地で行くような冒険譚」と表現している。

 ……あれ? そこ小説でしょ。違うの?

 そもそも著者もその部分は大胆な仮説と言っており、弥助大活躍が著者の空想であることは間違いない。

 たぶん、本能寺から妙覚寺までの激戦のイメージが著者のなかで膨らみすぎて、そこが核となって、弥助は戦士である、サムライである、最強のサムライで御座候となってしまったのだろう。

 そのイメージは小説としては雑であるものの、
「うおおお! こうなんじゃね! すげえぜ弥助! やりとげたぜ! んほぉぉぉ!」
 というのがビシビシ伝わってくる。
 これが前回の【雑記】で述べた「んほぉタイム」である。
 そして、そこからの考察は「賢者タイム」である。

 読者の皆様は気づいているかもしれないが、「弥助と信長」の核は著者の空想であり、ほかの部分は結論ありきで都合よく史料をまとめただけなのである。

 たぶん、弥助は本能寺にいなくて、状況を知らずに朝の京都でぼさっとしていたら信忠に知らせを持っていく織田勢に見つかってそのまま連れまわされたんじゃないかなあ。

 イエズス会側の史料では「長い間戦った」とあるが、本能寺の変は六月二十一日だけで終わっており、数分なのか数十分なのか数時間なのかまではわからない。

誰も殺さずに逃げ回り、最終的に追い詰められて刀を振り回していたら、一緒に酒飲んだことがある人に「ダイジョブ、もちつけ」って言われて投降した……とかじゃダメ?

 弥助の人生をこういう面白外国人枠説こそ私は推していきたい。

今回は以上です。
【雑記】に関しては投げ銭設定にします。
これより下に文章はありません。

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