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日本の権力構造が変わり始めている

すごく難しい話なのは承知の上で、「権力」というものについて考えていることをなるべくシンプルに書いてみたいと思う。

一般的に権力は役職や職業と紐づいていて、年長者やベテランなどその業界や界隈で無視できないポジションにいる人がもっているものだと思う。ちなみにgoo辞書によると

他人を強制し服従させる力。特に国家や政府などがもつ、国民に対する強制力。

と書いてある。

この内容に異論がある人は少ないと思うが、とくにこの中で「他人を強制し服従させる力。」という部分について深堀りしたい。

まず最初に言いたいのは、みんなこの権力が強大で、権力者のことは絶対に無視できないし怒りを買うなどもってのほかだ。と考えているけど、本当にそうなのだろうか? ということだ。

特に仕事についての話になるが、昭和の時代であれば業界内での力関係はすでに固定化していて、下請けや孫請けの会社は発注元に対して大きなことは言えず、値段交渉もできずに言い値で仕事を請けるのが当たり前だっただろうし、その発注元となる会社の決裁者には大きな権力が発生し、接待などでとにかくいい条件を引き出そうと必死になるのも理解できる。


また、メディアの人間や業界のご意見番と呼ばれる人も機嫌を損ねると、どこで何を言われるか分からない、株価にも影響を与えるかもしれない。機嫌よくしていてもらわなければいけない。という力関係が出来上がってしまう。


権力者側にも色々なタイプがいるので、役職に紐づいた権力を自分個人の権力と勘違いして調子に乗って私腹を肥やして後ろ指を刺されたり、一線を越えてしまい逮捕されることもある。

(とりあえず本当に個人に紐づいた権力の場合は今回は伏せておきます)

ここで権力について落ち着いて考えてみると、ここで書いた例は全て権力者側から発信されたものではなく、周囲の人が持ち上げる形で出来上がっていることに気付くと思う。

ほとんどの権力の始まりは権力者が意図的に作り上げたものではなく、周りが忖度した結果できあがったもので、それに気づいた権力者がそれを行使していき拡大してきたものだということだ。

確かに、始まりはそうだったと分かったところで、社会的なレイヤーや個人の職務などが固定化した時代であればどうにもできなかったかもしれない。愚痴として酒の肴になるか、週刊誌のコラムとしてスペースを埋めることしかできなかったかもしれない。

ただ、今はSNSやインターネットによってある程度は表に出すことができるし、「本当に正しいことは何なのか?」と世間に問うこともできる。

狭い業界や会社や組織の中だけで生活していれば握りつぶされたかもしれない1意見も、広く遍く世に問うことができる。


その分、感情的になったり世間への問い方を考えなければ自滅することにもなりかねないが、誰もが目に見える形で世間とつながっていて、隠し事難しくなった時代では、権力を分かりやすく権力として誇示することは、とても大きなリスクになったと言えるだろうし、忖度に訴えかけるのも難しくなった。そもそも社会全体が衰退している以上、いつまでも権力に忖度をしていても生き残る可能性が高まるとは思えないからだ。


まだまだ物足りない部分はあるが、ぼくはこれがいい時代になってきていると思うし、この流れは止めてはいけないと考えている。

まだ愚痴や文句のような言い方で世間に対して信を問いかけている人も散見するけれど、まずはSNSで自分の意見をたくさんの人に受け止めてもらえるような言葉に直しながら、自分が忠誠を誓うべき権力とは何か? について考えていくといいんじゃないかと思う。


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