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総合的な表現の場としてのアイドル――「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」

 ソニーミュージック六本木ミュージアムで開催されている「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」の制作に参加しています。

 展示内容の選定やキャプション作成などに携わるのが主な役割という感じです。プロジェクト全体からすれば私の受け持ちは微々たるものではありますけれども、たくさんのプロフェッショナルによって素敵な空間ができあがっているので、ぜひ足を運んでいただければと思います。

 この展覧会の企画構成やもろもろのディレクションを担っているのは、雑誌「MdN」(最終号が先日発売になりましたね)の編集長・本信光理氏です。私自身、たびたび仕事をさせてもらっている雑誌ということもあり、今回の展覧会も実感としては、第一に本信氏の手がける企画のお手伝いをしているという感覚が強かったりします。

「MdN」という雑誌は、ことに乃木坂46のビジュアルデザイン、アートワーク面に着目してきたメディアでもあるんですね。2015年4月号で初めて乃木坂46を特集して以降、しばしばアートワークを介して乃木坂46に接近してきました。ちなみに初めて特集を組んだ折の誌面構成と、今回の「だいたいぜんぶ展」の構成を見比べると、カテゴリー分けなどが双方けっこう呼応しているのがわかります。

 あくまでアートワーク面から接近するというのは、デザイン誌の「MdN」としてはごく自然なアプローチだったのだと思いますが、結果としてそれは乃木坂46の(そして坂道シリーズの)ビジュアルデザインにまつわる繊細さや手数の豊かさ、総合的なクオリティの高さに光を当てて、この組織の強みを浮かび上がらせる一助になっていたんじゃないかなと。
 同誌と乃木坂46との関係を半分内側、半分外側で見てきた立場からはそんなことを思います。

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「MdN」では乃木坂46や欅坂46のアートワークを扱うに際して、これまで何度か乃木坂46運営委員会委員長・今野義雄氏へのロングインタビューを行なっています。それらのインタビュー記事を担当させてもらって感じるのは、今野氏は総合的なクリエイティブの場としてアイドルを捉えることに自覚的な方なのだろうなということです。

“やっぱり70年代、80年代のトップスターというのは、その当時の最高のクリエイティブをやっていた。アイドルというのは昔から、総合芸術としてクオリティの高いものをやっていたんですよね。いつの間にか、バンドブームがあったり、「アーティスト」の時代になり、「アイドル」って言ったら中途半端なものみたいに思われる時代がありました。でも海外で言えばマイケル・ジャクソンやマドンナがアイドルだったわけで、それがやっぱりメジャーとしての最高峰。そこを目指さないとな、くらいの気持ちですよね。”
――今野義雄(「MdN」2015年4月号)

 アイドルグループを手がけることの矜持がうかがえる言葉ですが、ここで今野氏は総合芸術という言葉を使っています。インタビュー時、氏がこの単語にどのような意味を託していたのか厳密にはわかりませんが、アイドルというジャンルないし枠組みが、多方向のベクトルを含みこんだ総合的な表現のフィールドである、という認識は重要だと思うんですね。

 もちろんアイドルというのは、形式上は「音楽」の一ジャンルとして認知されるため、“楽曲”が最も標準的な評価対象になっているし、それゆえにごく素朴な(時にナイーブな)意味での演者の“スキル”によって、そのグループのクオリティの如何が語られることは多い。

 あるいは2010年代のアイドルにまつわる議論を振り返れば、このジャンルは実践者当人のパーソナリティ発露の場として/パーソナリティが消費され続ける場として、特徴づけられることが多かったと思います(人格がコンテンツになりがちであることは間違いなく今日のアイドルの特徴ですし、その傾向には見過ごすことのできない功も罪もあると考えますが、ひとまずここでは掘り下げないことにします)。

 ある特定のベクトルを志向する素朴なスキル主義にせよ、あるいは人格がコンテンツになる傾向にせよ、今日のグループアイドルの特性が語られるとき、あまりにそれらの要素に論点を収斂させてしまうと、それがポジティブな語りであれネガティブな語りであれ、このジャンルの性格がきわめて局限されて伝えられてしまう。それはアイドルという文化の世の中的な位置づけにも小さくない影響を与えるだろうと思います。

 このとき、総合的な表現のフィールドとして「アイドル」があることが提示されていくことは大事なのではないかなと。

「総合的な表現のフィールド」とは、一方では実践者であるアイドル自身にとって間口の広い自己表現の模索の場である、という意味でもありますが、他方では演者として・アイコンとしてのアイドルのパフォーマンスに呼応しながら、周囲のクリエイターが自由度の高い表現をそこに託すことができる、ということでもあります。
 その特性を視覚表現に関して十二分に駆使し、質・量ともに相当な厚みを生み出してきた組織、それが坂道シリーズということになるのかなと思います。「MdN」のアンテナが乃木坂46を探り当てたのも、おそらくはそのようなことだったはずで。

 アイドルという総合的な表現の場にどのような可能性を託すことができるのか、今回の「乃木坂46 Artworks だいたいぜんぶ展」がその具現のひとつになっているんじゃないかなと、そんなことも考えています。

* * *

 もう少し、今野氏が「MdN」で語られてきたことを引きます。

“複数のジャケットを制作するからこそ、そこでいくつもの違った情景を作って、その全体で統一した世界観を表現しようということです。ですから毎回、デザイナーと企画案のやりとりをする時には、ロケハンで4種類なり5種類なりの構図をそれぞれどの場所でどう撮るかまで考えてもらいます。”

“作品トータルの世界観を完成させるために、「このカットではあなたは後ろ姿しか映らないけれども、この場面の絵作りとしてそれでいいんだ」とメンバーに対して時には遠慮なく言えるかどうかですよね。それはもう本当に、心を鬼にしなければならない厳しい作業ですけれども。”(「MdN」2016年12月号)
“アイドルの場合、一枚絵にするのが難しい。各メンバーは自分の最高の可愛い顔でとってほしいわけで、スタジオで一人ずつ撮って、ベストテイクを並べてコラージュするのが一番楽なんですよね、本人たちを満足させるためには。でも、乃木坂は一枚絵にこだわってやってきた。”(「MdN」2015年4月号)

 CDリリースごとに、同一タイトルにつき4、5種類程度の盤を制作するアイドルシーンのルーティンをいかにクリエイティブの発露の場として読み込むか、そのクリエイティブ貫徹のために何を優先するかが語られています。この志向は欅坂46のCDジャケットにも同様にみられるものですね。
 世界観を統一させる、というのはものづくりとしてごく自然な志のようにも思えますが、多人数グループのビジュアルを作ろうとするとき、そこを追求することはそんなに容易ではない。

「だいたいぜんぶ展」で見ることができるのは、たとえばそうした志向を貫徹させるに至る工程や試行錯誤のプロセスです。

 原初的なアイデアスケッチからロケハン、美術セットのプラン、撮影、それらの素材をいかにデザインに組んでいくかの検討……といった工程を感じとることのできる展示は、完成したCDジャケットの背景にあるいくつもの営みの層を解体して見せるようなものでもあります。
 本展で見ることのできる膨大なアザーカットなどは、その瞬間ごとの移ろいを追うだけでも十二分に楽しいものですが、それら一枚一枚がCDジャケット完成に至るまでにありえた、いくつもの可能性の束でもあります。アイドルというフォーマットの内にいかに豊かに表現の場を育んでいるか、それらの束からうかがうことができます。

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 先日、日向坂46のデビューシングル『キュン』のCDジャケット4パターンが公開されました。今野氏が現場を統括する乃木坂46や欅坂46と同じく、それぞれ一枚絵としての完成度を志向しつつ、全体として世界観の統一をはかっていることがわかります。
 これは乃木坂46、欅坂46のCDジャケットの流れをくんだ最新系ですが、坂道シリーズを歴史の連なりとして顧みれば、その起点としての乃木坂46デビューシングル『ぐるぐるカーテン』(2012年)がいまだ模索の真っ只中だったことも見えてきます。

 デビューシングルのジャケット同士を比較すれば、坂道シリーズが現在持つ基調という点で、洗練度がけっこう違うことがわかる。『ぐるぐるカーテン』は方向性の模索にあたって、依って立つ基準をまだ持っていないように見えますし、今だったら複数パターンのジャケットに対してこれほど偏ったメンバー人選もしないはずです(このあたりの最初期の模索の跡も、「だいたいぜんぶ展」で確認することができます)。今日のような基軸をはじめから手にしていたわけではない。

 対して、欅坂46や日向坂46のデビューシングルのジャケットには、坂道シリーズ(というフレーズは後からできたものですが)としてクリエイティブの歴史を積み重ねた先にデビューできることの強みも感じます。
 展示を見ながらそんな洗練への歩みを紐解きつつ、今日までの3グループのクリエイションを線で結ぶことで、現在自分が目にしている作品の奥行きも違って見えるのではないかなと。

* * *

 乃木坂46が舞台演劇やドラマ型映像作品を通じて、継続的に演技に重きを置いてきたことは、グループのメンバー個々人にも実りをもたらしてきましたが、同時に後続グループである欅坂46のパフォーマンスを用意する礎のひとつにもなっています。乃木坂46が数多くの舞台や映像作品で育んだ強みを、欅坂46はリリースする楽曲のパフォーマンスに昇華することで、群像としての新たな表現を手にしました。デビューシングルに収められた「サイレントマジョリティー」「手を繋いで帰ろうか」「キミガイナイ」はそれぞれテーマや方向性こそ違えど、そうした補助線から共通項をみつけることができる。
 坂道シリーズのクリエイティブを線として捉えるとは、たとえばそんなことでもあります。

 切り口や着目するポイントは異なりますが、「だいたいぜんぶ展」の具現している世界に浸るなかで、そうした歴史性を見通すこともできるかと思います。

 展示されているものたちが乃木坂46メンバー当人の表現の発露と結びつけられることがまず何よりではありますが、アートワークに特化した展覧会だからこそ、アイドルというフォーマットが持つ表現の多様さ、クリエイティブの歴史を線として繋いでみることの面白さも感じられたらいいなと。会期は5月12日までです。

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ライター。著書『乃木坂46のドラマトゥルギー 演じる身体/フィクション/静かな成熟』『「アイドル」の読み方 混乱する「語り」を問う』(ともに青弓社)、共著『社会学用語図鑑 人物と用語でたどる社会学の全体像』(プレジデント社)など。

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