色絵平家追悼の飾り皿

色絵釉下彩平家物語図飾皿 
#建礼門院徳子
#諸行無常
#栄枯盛衰
#盛者必衰
#もののあわれ
#いざさらば 涙くらべん 我も浮世の 音をのみぞなく 

波間を飛び交う揚羽蝶
色絵平家追悼の飾り皿
ホトトギス
花籠と青海波
裏模様
年木庵 深海喜三製 銘款

年木庵深海喜三製 明治初期 
サイズ径31㎝
深海家は日本陶磁器創始に関わった朝鮮渡来の陶工集団を率いた
名門の家系です。
深海宗伝、百婆仙は肥前磁器草創期の陶業史に名をとどめています。
幕末に至って名陶工として名前が出てくるのが深海平左衛門、のちの喜三です。年木庵を号しました。
多彩で華やかな上絵付の工程は、限られた絵付け業者にしか許されない佐賀藩のご禁制でしたので、名陶工の誉れ高き深海家でさえ例外ではありませんでした。
そこで、惣領の墨之助らの努力により下絵付け(釉下彩)による呉須の藍色に加えて棕櫚色や紫色を発色させることに成功しました。
この飾り皿の縁模様の波を表した線描の棕櫚色や紫色は江戸期の
古伊万里にはなかった技法です。
明治三年、ドイツ人科学者ゴッドフリードワグネルも有田を訪れ、釉下彩の技術を伝えていますが、深海家ではそれより以前にすでに開発していたのでした。
明治四年、廃藩置県により上絵付の規制は解かれ、深海家でも念願の上絵付の装飾法を早速採用して製作を試みました。
彼らは茶道に通暁し、漢籍の素養もあり、教養豊かな人柄を反映してほとんどの作品には背景を物語るものを内包しています。
この飾り皿では平家物語に想を得て、揚羽蝶を平家の象徴として配し、見込には上絵付で爛漫の桜花が波間に散りゆくさまを優美に活写しています。
また、裏模様には染付で時鳥と思しき鳥をあしらい、建礼門院徳子の和歌にある「いざさらば 涙くらべん 時鳥 我も浮世に 音をのみぞなく」を想起させ、安徳天皇以下平家の公達の菩提を弔うかの
ような抑制の効いた文様をさり気なくあしらっています。
近代化を推し進める舞台は「血を流さない戦争」と云われた
万国博覧会でした。
慶応三年のパリの万博以来、外貨獲得に日本の工芸品は貢献すると、
手ごたえを感じた明治新政府は殖産興業政策を推進します。
明治六年のウィーンの万博はジャポニスムの流行も拍車をかけ、
成功を見ました。
ただ、製品の改良改善は焦眉の急であり、これまでの物珍しさ以上の品格や格調が求められ、納富介次郎らによる図案集「温知図録」の
編纂が行われました。
この飾り皿は深海家独自の工夫による日本人の「諸行無常」、「栄枯盛衰」、「もののあわれ」を見事に可視できる芸術に昇華しています。
深海喜三の「器物は人の思想を写すものなり 名器を作らんとすれば先ず自身の高尚の思想を養うべし」の箴言を具現化した作品と
云えるのではないでしょうか。
参考文献
●「肥前陶磁史考」中島浩気著
●「幻の明治伊万里 悲劇の精磁会社」蒲地孝典著 日本経済新聞社刊
● 美術工芸の半世紀 「明治の万国博覧会」【デビュー】一般社団法人霞会館編集
●「明治有田 超絶の美」株式会社世界文化社発行
●「近現代肥前陶磁銘款集」佐賀県立九州陶磁美術館発行
●「香蘭社」―歴史と作品変遷―鈴田由紀夫著
●「小さな蕾」8月号2022明治の陶磁シリーズ『幻の帝室技芸員 深海竹治』
●「目の眼」2月号2022『幕末明治のやきもの】

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