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多摩地名の由来 八日町

 国道20号線(甲州街道)と国道16号線(東京環状)。物流や生活の動脈として関東はもとより日本を代表するこの二つの国道の重複する区間が八日町です。
 八日町の名は、戦国時代の資料に「八日市」として見られ、陣場街道を通り甲斐(山梨県)へと抜ける交通の要衝として栄えてきました。
 徳川家康が江戸に幕府を開くと甲州口から江戸を守る最後の砦としての重要性が増し、甲州街道一の規模を誇る大きな宿場が整備され八王子十五宿と呼ばれましたが、八日町は西隣の横山宿(横山町)とともに本陣と脇本陣が置かれる本宿として栄えました。四のつく日は横山宿、八のつく日は八日市宿で六齊市が立ち多くの人で賑わったとも言われます。

八日町宿跡の碑 (1)


 現在も商店や金融機関が立ち並び八王子市街地の中心を形成する八日町。20号と16号の重複区間のちょうど真ん中あたり、八王子夢美術館のあるビュータワー八王子前に八日市宿跡の碑が立っています。          (『よみうりSunTAMArea』2013年2月号)

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