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多摩地名の由来 大和田

 八王子市の東の端、日野市に接する大和田町。大和田の字名は上大和田村、下大和田村として江戸時代からあり、明治時代に南多摩郡小宮村(小宮町)の一部となり、1941年に八王子市に編入されました。
 一般的に地名の「ワダ」は川が蛇行してできた広い丸みのある平らな土地を指しますが、大和田町も南側が浅川に隣接し平地が広がります。江戸時代、浅川は渡し舟によって結ばれていましたが、1905年に架橋され、1927年には八王子市内初の鉄筋コンクリート橋に架け替えられ、八王子中心部とを結んでいます。
 かつては水田の広がるのどかな地域でしたが、昭和30年代に市営団地が建設されて以来、商店、工場が混在する住宅地となりました。八王子市域の拡大とともに、発展した地域といえるのかもしれません。

八幡神社 (2)

八幡神社(大和田5丁目)
 創建不詳。1914年に旗本菅原定栄により再建、現在の社殿は明治時代に再建されたもの。

大和田橋 (5)

大和田橋
 1868年勝沼の戦いで新政府軍に敗れた近藤勇が15歳の少年に襲撃される事件が起きたのはこの地でのこと。1945年8月2日、八王子空襲の際の弾痕が今も17ヶ所残されている。

(『よみうりサンタマリア』2014年10月号)

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