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これが真実であるならこの世界は大半の人にとっては残酷で普段虐げられている少数派にとっては希望となりうる可能性

何かを求めて生き続けてきた者として、どうしても人間世界は醜く、花鳥風月の世界は美しいというところから脱げ出せなくて、かって人間世界の為に尽力して、歴史に名を残すまでになった人たちには何が見えていたのだろうと考えて見えた新たな可能性について。

私が今、私である事を考慮するとどうしても過去の人間世界の為に尽力した、歴史に名を残す人たちを否定する事が出来なくて、ただただどこかを目指して高みに到達すれば、人間世界の為にと思えるようになるのかと考えていた。

しかし本当にかっての偉人たちは、今も尚、人の主流であるその他大勢の為に、何かを残したのだろうか?

便宜上その他大勢の為としながら一部の、偉人にまでは到達していなくても偉人と同系統の、何かを求める人の為に何かを残して、その他大勢の支配する人間世界では生きづらい、一部の人たちが少しでも生き易くする為に何かを残したのではないか?

その他大勢からすれば、一部の人間が自己容認の為に詭弁を弄してるとしか思えないであろう。

しかしかっての偉人が残したものを、どのような種類の人間が一番理解に近付けるか、役立てられるか?

その他大勢の人であろうか?

選民思想などではなく、その他大勢より苦しみながら生きている、だからこそ一部の人である何かを求める人への希望となりはしないだろうか?

その他大勢の人は数を頼みに簡単に自己肯定出来るだけに飽き足らず、一部の何かを求める人を虐げ、否定してまでさらに貪欲に自己肯定し続けている現実。

今の文明や文化を生み出してきたのは、一部の人であるのに。

生み出したのは一部の人でも、安定させたのはその他大勢であるのは理解出来るが、もうそろそろいい加減上手く共存は出来ないだろうか?

否定される負荷によって、何かを求める人がさらに高みへ向かう原動力になる事もあるかとは思う。

でも今までそうして来て、まだ人間世界はダメなままじゃないだろうか?

同じことを繰り返して違う結果を期待するのは狂気である。

今より先に進む為に。

またいつものようにその他大勢の人にとっては、無価値な話ではあろうが一部の何かを求める人への希望となることを祈って。

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