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BTS:花様年華『Blood Sweat & Tears』と『血、汗、涙』の答え探し


 
説明も含めて、計5回投稿を続けてきた『Blood Sweat & Tears』および『血、汗、涙』に関するシリーズ記事の最終回です。
 
 
こちらが初訪問の方は、良ければこちら↓の説明記事からご覧くださいませ。

 
 
 
 

今回、複数に分けて書いておりまして、下記のお品書きで言うと、⑥にあたります。

① 説明
② 韓国語(オリジナル)バージョンの物語
③ 日本語バージョンの物語
④ 韓国語バージョンの疑問点
⑤ 日本語バージョンの疑問点
⑥ 疑問点の答え探し
 
 
 
 ここまでお読みいただいている前提で書いていきますが、数多くの疑問点の一部について答えを探していきたいと思います。



とはいえ、まだまだ知らないこと、調べ切れていないこと、考え切れていないことなど多々ありますので、明確な答えは出ないでしょう。
 
 
 
すべての疑問に答えていくと、あと10回は必要だと思うので、今回は特に気になるところにフォーカスオンして書いていこうと思います。 



 

 考え方やとらえ方のほんのわずかなサンプルとして、ご覧いただければ幸いです。
 

 
 
 

芸術品が意味するもの


 
 
 
こちらの記事↓にて書きましたが、韓国語バージョンには芸術品が多く溢れています。

 
 
 
 
 
 
 
韓国語バージョンに登場する美術館らしき空間、そして、数々の彫刻や絵画は結局のところ何を意味するのでしょうか。
 
 
 
古代の彫刻などは神々であることが多く、それは物語の一幕であったり、何かを象徴するものだったり、メッセージであったりするかもしれません。
 
 
その配置が変わったり、あったりなかったり、変化に富んでいます。
 
 
 
 

 
ふと思ったことは、美術館の空間というのは実在する場所ではなく、異次元の世界なのではないか、ということでした。


 
 
 
 
 
それを何と表現したら良いのかわかりませんが、現実ではなく、人の精神世界であったり、記憶であったり、心の中を示すもの、象徴ではないかと考えたんです。
 
 
 
 
「花様年華」を英語で表すと、「the most beautiful moment in life」となりますよね。
 
 
ここでいうところの「moment」の数々が、一つ一つの芸術作品で表されているのではないかと思うのです。
 
 
 
 
 
 
この考えに至るきっかけのひとつがピエタでした。
 
 
ホソクさんの後ろにあるピエタ像です。


 
 
 
 
 
たいへん有名な作品ですが、明らかにおかしい点がありますね。
 
 
 
まず、この作品だけ、美術館にも広間にも展示されず、別の暗い空間にあります。
 
 
 
さらには、抱かれているキリストに顔がないのです。
 
 
 
 
最初は、表情が見えないことが重要だと思ったのですが、体も本物とは似ても似つかぬもの。


 
 
もしかして、これは単に「つくりかけ」なのではないか?と思ったんですね。

実際に彫刻を作っている過程のようにも見えますよね。 

 
 
 
 
 
 
完成された作品、つまりは過ぎ去ったmomentでないと、美術館には展示されない、だからピエタは制作途中、これから完成するので美術館には飾られないのではないでしょうか。
 

 
 
そもそもピエタは、亡くなったキリストを抱いて、聖母マリアが嘆く様子を描いたものと言われています。

聖母マリアは完成してますよね。

だからイエスの彫刻がカタチをなしていなくても、ピエタ像であるとわかります。

 
 
仮に、キリストが、例えばその像の前にいるホソクを表すものだとしたら、当然ながらホソクはまだ生きているため、死を描いたその彫刻は完成しません。

死が死そのものを表現するとは限りませんが、そんなことを考えました。


 
 
 
…となると、韓国語バージョンの大広間に飾られていたイカロスの絵はどうなるんだ?となります。


そこは絵画と彫刻で(無理やり)切り分けができるかもしれません。
 
 
彫刻に関して言えば、例えばラオコーン像のように死を前にする瞬間が表現されていますが、ピエタのように死そのものを表現しているものは、おそらく美術館に展示されていないのではないかと思います。
 
 
た、たぶん…。
 
 
まぁ、解明できていないものもあるので、おそらくの仮説範疇です。
 
 
 
絵画に関しては、彫刻に比べて表現に奥行きと幅がありますね。
 
どんな架空の世界でも描けてしまいます。
 
 
なので、現実的な瞬間よりも、もっと精神世界の象徴とも言えるかもしれません。
 
 
えぇ、ずいぶんと無理やりな整理です。

学術的な詳しい方でしたら、もう少し奥深い考察ができるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 
 
曲のタイトルである『Blood Sweat & Tears』についても、血と汗と涙なので、脈々と血が流れ、汗がしたたり、涙が流れる…というようなmomentを示す雰囲気がありますが、それぞれの芸術作品は、人の血や汗、涙の瞬間を表すものな気がしたんです。
 
 
 
それは時に栄光の時であり、喜びや幸福の時であり、苦しみや悲しみの時であり、葛藤や怒りの時であるように、それぞれの芸術品はその人のありとあらゆる人生の瞬間を表しているのではないか、と。
 
 
 
 
 
 
 
 
つまりは、美術館から芸術品の展示がなくなるということは、その「瞬間」が忘れ去られる、という意味にもなるかもしれません。
 
 
 
 
 
 
 


誰の世界なの?


 
 
 
 
 
となると、次にくるのは、じゃぁ誰の人生の話なの?誰の精神世界なの?という疑問です。
 
 
 
 
美術館には、7人もの人物がいますね。
 
 
 
7人のうちの誰かでしょうか。
 
 
それとも全く別の人?
 
 
 
 
個人的に考えたのは、強いてあげるとしたらやはりソクジンの精神世界のお話ではないかな、というところです。
 
 
 
 
理由を書いていきましょう。
 
 
 
まずは、単純に一番の主人公な感じがすることがひとつです。
 
 
えぇ、まずは勘です。
 
 
 
時にはそのような直感が大事な時があると思います、はい。
 
 
 
 
 
だって、ひとりだけ、違いますよね。
 
 
 
晩餐の時はお誕生日席ですし、いつもひとりだけペアじゃないし、むしろ空の上みたいな、そこどこよ?みたいなところにいたりするじゃないですか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
美術館などがソクジンの精神世界を表すものならば、次にくるのは、じゃぁ他のメンバーは何なの?となります。
 
 
 
 
答えは全員がソクジン、ソクジンの中の人格のひとりなのではないかな、というところです。
 
 
 
 
 
 
ちなみに、日本語バージョンの一番最後の部分は、現実世界だと思っています。


 
 
あと、このシーンも。


 
 
 
 
バンの上で眠るシーンで、目覚めた後にナムジュンのもとに向かうのかな、と思います。
 
 
 
 
 
 
現実にはなかなかありえないことが起こるから現実ではない、という言い分からすると、一つ前のWINGSシリーズもそうですね。
 
 
 
 
そういえば、WINGSシリーズの『AWAKE』でソクジンがいたお部屋にあった彫刻と美術館にあった彫刻に共通点もありました。

詳しくはこちらの記事↓の「フランス」をご参照ください。

 

 


さらには同じく『AWAKE』でソクジンがいた廊下と、ジミンがいた廊下には何となく似た雰囲気を感じます。


 
 
 
 
 
ソクジンかどうかは置いておいて、全員が同じ人物の中のひとつの人格だと思った理由は複数あるんです。
 
 
 
 
 
お互いがお互いに影響し合うことがあまりにも多いですよね。
 
 
 
例えば、韓国語バージョンのこのシーン。

 
 
 
巨像が涙を流すシーンです。
 
 
 
 
 
 
この後、同じように涙を流したメンバーがいました。


 
 
 
 
 
つまり、同時に涙を流す=同一人物である証拠の一つになるのではないかと思います。

彫刻はその人自身を表すものだとしたら、彫刻もその人自身です。

 
 
 
 
ナムジュンとジョングクを観てみましょう。
 
 
日本語バージョンのこちらのシーン。


ナムジュンとジョングクは、どちらもそこに存在するのかしないのかについて、疑問を述べる回で書きました。


こんな選択肢でした。


① 実はナムジュンしかいない
 
② 実はジョングクしかいない
 
③ 実はふたりともいるが、時間差でひとりになることがある
 
④ 実はふたりともいない
 
⑤ 上記以外



同じ人の別々の人格を表す前提でいうと、⑥の選択肢を増やさないといけません。

⑥ ①②③④すべて

 
となるのではないでしょうか。


 
 
 
 
 
ユンギとジミンを観てみましょう。
 
 
こちらも韓国語バージョンにも日本語バージョンにも共通することですが、ユンギがジミンの目を塞いでいることがあまりに多いです。
 
 
 
この時↓なんかは、置いてけぼりにしたはずなのに、ユンギはあっという間に移動しましたね。


 

さらにはユンギに目隠しされて、もがき苦しんでいたものの、あっさり自分で目隠しをとってしまうジミンがいることも謎でした。




 
何度も目を塞ぐのも、瞬時に移動できるのも、拘束を自ら溶けるのも、まるで一心同体=同一人物、自作自演のようです。




さらには、花様年華にはよくリンゴが出てきますが、韓国語バージョンにも日本語バージョンにも、これでもかというほどのリンゴが出てきますね。


日本語バージョンの歌詞では、聖杯をリンゴと言っていたりもします。


ここで聖杯について調べてみたんです。

聖杯 - Wikipediaから一部引用させていただきます。

最後の晩餐でイエスはパンを裂き「私の体である」と言って弟子たちに与え、杯を取って「私の血である」と、弟子たちにその杯から(ワインを)飲ませる。


パンは登場しないですけれど、なんとなくこのシーン↓を思い出しました。


自らの血を分け与えた者たち=自らの分身という構図にも見える気がするのです。
 
 
 
 

韓国語バージョンの『デミアン』の引用で、temperを「人格」と訳したのはこれらの理由からでした。

He, too, was a temper.
彼もまた、一つの人格だった。
 
He, too, was a link to the second.
彼もまた、次の段階へつなげるものだった。
 
The evil world with which I no longer wanted anything to do.
その悪魔の世界においては、僕はもう何もしたくなかった。


 
 ニーチェの言葉もありますね。

You still have to have Chaos inside you
in order to be able to give birth to a dancing star.
 
君は、君の中に混沌を育むべきだ
踊る新星が誕生することを可能にするために


踊る星を生み出すことができるために、君はずっと君の中にカオスを持ち続けるべきだ、というようなことかと思います。


自分の中にカオスを持ち続ける???

踊る星を生み出すため???


はぁ?

となりそうですが、何のことはない、人は自我に目覚めることで、いろんな自分を見出していきます。

意識はしていなくても、自分を発見してからはカオスの連続ですよね。


ああでもない、こうでもないを繰り返して自分を形成していく。

成長して、成熟していくわけです。


その過程にある、ああでもない、こうでもないに名前をつけたら一つの人格。

人は案外たやすく人格を作れるものかもしれません。


お互いに尊重し合える人格を持ち合わせていれば平穏な人生を送ることができるでしょう。


しかしながら、そうはいかないのが人間であり、人生。


自分の中の人格にも優劣があったり、主張の強い者と弱い者がいたり、芸術品のようにずっと愛でて大事にしたい存在と、消したい過去のような存在があるかもしれません。


ということで、次の章へ移ります。





なぜテヒョンなの?

 
 
 
仮に、このMVが表す世界がソクジンそのものだとして、それぞれのメンバーはどんな人格をあらわすのでしょうか。
 
 
 
 
全員が同じ人格の一部だとしたら、一番気になることが「なぜテヒョンなの?」です。
 
 
 
つまりは、なぜホソクはテヒョンを狙うのか、ということです。
 
 
 
 
韓国語バージョンでも、日本語バージョンでも弓矢で狙ったり、羽交い絞めにさせたうえで(おそらく)薬を盛ろうとしています。
 
ソクジンからも一方的に殴られるシーンがありました。

その後反撃しておりましたが…。 

 
 
 
 
 
 
テヒョンは何か悪いことをしましたか?
 
 
 
現実世界は関係ないとしたら、狙われる要因はなんなのでしょう。
 
 
滅したいほどの理由とは?
 
 

 
直接的な理由は不明ですが、そこで再び登場するのがWINGSです。
 
ありえないことが多すぎる世界観という共通点があり、ソクジンの部屋の彫刻など多数の共通点もあるし、多くのリンクがありました。


ちなみに『WINGS』でも今回のような楽しみ方をしておりますので、よろしければこちらもご参照ください↓


 


 
 
WINGSシリーズは、それぞれ個人のショートフィルムです。



 
 
後にも先にも全メンバーで個別に花様年華のMVが作られているシリーズはWINGSだけですよね。(たぶん)
 
 
 
何かヒントはないか、とそれぞれのメンバーのタイトルを並べてみました。
 
 
 
ジョングク:BEGIN
 
ジミン:LIE
 
テヒョン:STIGMA
 
ユンギ:FIRST LOVE
 
ナムジュン:REFLECTION
 
ホソク:MAMA
 
ソクジン:AWAKE
 
 
 
 
 
最初が「BEGIN」で最後が「AWAKE」。
 
 
人格という観点でいうと、何となくですが自我の芽生えを表しているような気がしてきました。
 
 
 
それが例え曖昧なものであっても、必ず物事には始まり=「BEGIN」があります。
 
 
最初からすぐに「自分」というものを自覚するわけではなく、いろいろな段階や積み重ねを経て「自分」を見つけて目覚める=「AWAKE」になるのではないでしょうか。
 
 
 
そう考えると間にあるそれぞれのメンバーのキーワードは「AWAKE」までに通る道にも思えます。
 
 
 
 
そこで、なぜテヒョンなの?という問いのヒントではないか、と思われることに気づきます。
 
 
 
「STIGMA」だけ、マイナス要素が強すぎないだろうか、と。
 
 
 
「LIE」は嘘です。
 
 
意識的にも無意識的にも、人は嘘なしでは生きられない生き物だと思っています。
 
 
どんなに嘘は嫌いだ!嘘はつかない!と言い張る人でも些細な嘘はついてますよね。

幼い子どもはありのまま、真実のまま生きていますが、自分を知った時から嘘を覚えるような気がします。

 
 
 
 
そして、その嘘がやがて「STIGMA」になったり、「STIGMA」につながったりするわけです。

真実の中にいても結果としてつながることもあるかもしれません。 
 
 
「STIGMA」は烙印という意味に捕らえていましたが、他にもいろいろな意味があるようです。
 
 
 
 
Weblioさんによれば「汚名、恥辱、柱頭、聖痕(こん)」など、ということ。

 
どの意味にとらえても、それぞれ別の物語が成立しそうですね。
 
 
 
 
 
 
続いての「FIRST LOVE」は初恋ですが、人への恋とは限らないと思います。
 
 
何かを好きになるということは、時として独占欲にもなる。
 
 
 
 
恋が人を盲目にさせる。
 
 
つまり、目を塞ぐものとしては、つながるような気がいたしますね。
 
 
 
 
 
 
そして、ちょっと解釈に難儀したのが「REFLECTION」でした。
 
 
そのままの意味だと反映になります。
 
 
 
確かに、日本語バージョンのキッチンではただ見ているだけで、何もアクションを起こさないところは、単に反映しているだけともとらえることができるでしょう。
 
 
日本語バージョンで、手に傷がついてしまったこちらのシーンも象徴的だと思います。


ジミンがジミンに出会って、世界が爆発した余波でついた傷のようでもあります。

ひどく傷ついているのに、ひどく冷静です。



 
すべてを反映させる=映し出すので、すべてをわかっているけれども、ただ映し出し、わかっているだけの傍観者=流れに身を任す無意識の存在なのかもしれません。



 
 
 
そして、「MAMA」はそのまま母の意味になりますが、言葉通りだけではないかもしれません。

 
例えば、しつけしたりするような、戒めにも近いところがある気がします。


逆に母はどうあっても子を守ろうとしますから、そうした慈愛や守護のような意味合いも含まれるかもしれません。
 
 
 
ホソクはピエタ像の前で、矢を放ちます。
 
 
 
つまりは、すべてを護るために、汚名であり、恥辱であり、烙印を排除したい対象という意味でテヒョンを選んでいるとしたら、少し納得ができる気がするのです。
 
 

 
 
 
 

仮のまとめ


 
 

 
 
というわけで、ひとつの人格説を声高に唱えてまいりましたが、正直に言って、確信はありません。


何となくそんな気がするし、その前提で考えるといろいろ辻褄が合う気がする、というようなところ。



ただ、その人自身の見方でフォーカスオンするところを変えていくと、その人なりの感じ方で、様々な物語が生まれるのではないか、と思います。
 
 
 
もしかすると、誰がどんな観点で深掘りしても、そこに何かしらの答えが出るように、延々とつながるような細工をふんだんに散りばめられているのかもしれません。
 
 
作った方の本来の意図は、現時点ではわからないですが、最後にきて超絶シンプルに表現すると、ただただ「スゴイ」の一言に尽きますね。

余すところなくスゴイです。


 
 
 
 
美術館が過去の自分を意味する、と思っていますが、こちらも自分自身に当てはめると何となくしっくりくるのです。


今、この瞬間の自分だけが本物で、過去の自分は、過去になった瞬間、ある意味フェイクになると思います。


実際にたどった瞬間は確かに存在するけれど、時間は戻せないので、過去の自分が生きるのは自分自身の脳裏、記憶の中だけ。


しかしながら、記憶は曖昧なものです。


さらには時が経つにつれ、自由に形状を変えることができます。


ダイナミックな彫刻のように誇張したり、大理石をしなやかで煌びやかに磨いたように美化したりもできる。


それは、お気に入りの瞬間について、ひとつひとつの芸術作品を作って、美術館に飾ることに似ているかもしれません。


その芸術品は、自分と全く同じ表情だとは限らない。



そして、自分の中に人格がいくつもある、という観点からは、物心がついて、自我が目覚めた時から、始まるものかなと思うのです。


なんとなく、核となる自分がいて、それがひとりだったら良いのですけど、複数いると、優柔不断な性質になるかもしれませんよね。


さらには、嘘を覚えてからは、葛藤の連続です。


何が自分にとっての良いことか悪いことか、大事なことかそうでないことか、やるべきかやらないべきか、右へ行くか左へ行くか、真っすぐ行くのか後退するのか、様々な心の声を統率することに日々必死だったりすると思うんです。


大人になればなるほど、観てないふりをしたり、敢えて観ないことを選択したりしますよね。


空を飛ぶような大きな夢を抱える一方で、実際には飛べないから飛べる振りをした方が良いんじゃないか、という妥協点との折り合いに悩んだりもします。


自分が絶対的に信頼を寄せていた信条があったけれど、何かに気づいて、疑いを抱いて、自分自身や自分以外の何かを責めることもあるでしょう。


本当はこうしたい、これは自分じゃない、でも自分自身は自覚していない、どうか僕を見つけて、僕に気づいて、とカタチにならない思いの塊が黒い羽をつけて、やがて巨大な彫刻になって、ふと向き合う瞬間があるかもしれません。


ずっと蓋をしていた嘘や不都合な真実と向き合う決心をした時、それまで築いてきた世界は一瞬で粉々になることもありますね。

しかし、それが次のステップへ進む大切な出来事になることもあるんです。


人は、どんなに多くの人やモノ、思想に出会ったとしても、自分自身の思考の中でしか生きることができない。


そんなことを暗に示しているのかもしれません。


確信はありませんが、収穫はたくさんありました。

何度も言いますが、スゴイMVであり、スゴイ世界観です。


もし、ここまでお読みいただいた奇特な方がいらっしゃれば、ぜひもう一度MVの世界観をご堪能くださいませ。



それぞれのメンバー、それぞれの場所、それぞれの意味はどんな風に感じますか?



今回は仮のまとめです。

この先の花様年華を楽しみ、いろいろな書物や芸術、哲学を学んだうえで、またここに帰ってきたいと思います。


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