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BTS:「クムシラコ」

「クムシラコ」(그므시라꼬)は「それがどうした」という意味だそうですが、とっても好きな言葉です。

この言葉が印象的なのは、Run BTS!のEP.56で焚き火を囲んで行われた詩の朗読会。

Vさんが書いた詩に登場します。

※サムネイルはカオスですがちゃんと朗読会も行われます。



このシリーズはEP.53が初回の「バンタンピクニック」の最終話ですね。




ピクニックと言っても泊まりがけで、車での移動あり、お買い物あり、ハプニングしか起こらないスポーツ対決あり、ゲームあり、カラオケあり、お食事あり、と終始涙なしでは観ることができない場面が多いのでまだの方はぜひEP.53から観る事をお勧め致します。


ちなみに、涙なしではって笑いすぎて泣いちゃう方です。


ピクニック企画の最後にそれぞれが悶絶するほど恥ずかしがりつつも、お互いへの想いを込めた詩の朗読会が行われるわけです。


各メンバーの詩がとても印象深くて、無性に観たくなることがあるので、今回文字に起こしてみたいと思います。


字幕のままだと少しだけおかしいかなというところや直訳の方が良いかなというところがあったので、翻訳ツールや英語字幕なども参考にしながら手直ししています。


JUNGKOOK「黄金」


母の胎夢では黄金の雨が降り
その雨粒が落ちた所は黄金に変わりました
何も出来なかった僕が
黄金のような時期にあなた達に出逢い
僕自身が輝き始めました

最初は僕が黄金だったけれど
時間が過ぎて周りを見回すと
僕の周りがすべて黄金に変わっていました
この大切な光たちを失いたくないです

「黄金のマンネ」らしい素敵な詩ですね。

「胎夢」というのは、「태몽(テモン)」と言って、子どもを授かる時などに父や母が見る夢のことだそうです。

実際にJUNGKOOKさんのお母様が見た胎夢というのが黄金の夢だったそうですが、「黄金のマンネ」としての活躍を予期していたような夢ですね。
他のメンバーも胎夢に関するエピソードがあるので、ご興味ある方はGoogle先生に聞いてみてください😊

詩を読み終わった後、JUNGKOOKさんが解説していたのは、自身のことを考えるとやはり「黄金」という言葉が思い浮かんで、このような詩になったとのこと。
黄金の輝く情景が瞼の裏に浮かび上がるような美しい詩だと思います。

V「クムシラコ」(それがどうした)

ソクジナ
舞台で振り付けを間違ったからって悲しまないで
クムシラコ
次はその部分を間違えなければいい
ウシャウシャ(よっしゃ、よっしゃ)

ナムジュナ
投げキッスをしてパニックにならないで
クムシラコ
あなたの投げキッスによって
多くのARMYの皆さんが喜ぶのだから
コンタッコンタッ(ドキドキ)

ユンギヤ
来世は石になりたいそうだけど心配しないで
クムシラコ
僕がいつもそれを身に付けて
あなたと美しいところにたくさん行くよ
トルメントルメン(コロコロ )

ホソガ
舞台でダンスを間違った時
いつも怖い顔にならないで
クムシラコ
千慮一失
誰でもミスするものだから暖かい笑顔で見てよ
プインプイン

ジミナ
ダイエットのせいで 音を外したせいで
舞台でミスしたせいで
あまりストレスを感じないで
クムシラコ
お前は舞台で何をしても 僕が見た人の中で
一番カッコイイ人に変わりはないから
ウホクウホク

ジョングガ
兄達をからかっていじって
さらにからかうために身体を鍛えないで
クムシラコ
末っ子は愛嬌が多いほど可愛い
今は可愛くないよ
オゴオゴ(よしよし )

クムシラコ

※最後の擬音は韓国語の音でそのまま書きたかったので、日本語に該当するものがあれば()内に追記しています。

この詩を聴いた時、Vさんはなんて素敵な人なんだろうと思いました。
特にSUGAさんへの思いは、あふれ出る優しさと可愛らしい表現力に痛く感動しました。
息子がこんな風に育ってほしいと思ったキッカケでもあります。

Vさんはこの詩について「僕たちがたいへんな時に、僕が唯一言える言葉はクムシラコだけだったと思います」と語っていました。
この言葉の意味をもう一度言いたかった、ということですが、私自身もこれから共に生きていきたい言葉となりました。

JIMIN「共にということは」

共にということはとても難しい
知らない人に会い 自分とは異なる人に会い
僕が間違ったのかな 
あいつはなんであんなことしたのかなと思ったり
共にということはとても難しい気がする
でもいなければ寂しい
僕が楽しい時 悲しい時 慰められたい時
妙に思い出す人達だ
そうして共にしてきた人達が
本当にありがたい「僕たち」という名前で共にいる
些細なことも共に分け合う
元気でいてほしいと思う人達がそばにいる
今日も日が暮れていく時
僕たちは共にいる
共にということはそういうことだと思う



とっても真っ直ぐであったかいJIMINさんらしい詩だと思います。

「共に」って嬉しくてあったかくて幸せだけど、一方で確かに難しいこともありますよね。
私自身、物心ついたところから、何となくその難しさを感じていて、結果的にひとり親かつ近くに身内なしという現状はその難しさからきたものかもしれません。

それも息子が生まれて「私たち」に変わり、日が暮れる時に共にいることを幸せに感じます。

彼らの関係は仲間とも家族とも何とも一つでは言い表せない関係なのだろうと思いますが、「共に」ということをとっても大切にしている印象があります。
お互いに共にいるために何ができるか、大切な人が幸せでいるために何ができるか、幼い頃から苦楽を共にしたからこその思いにいつも胸が熱くなります。

RM「ㄱする(キヨクする)」

記憶している
テヒョンの坊主
ジョングクの鹿の瞳 スキニーデニム
ホソクのグレーのダウン
ユンギさんの青のジャージズボン
ソクジニさんがオヤジギャグを言わなかった時代
ジミンのぽってりした体つき

記憶してきる
僕たちの漢江
僕たちの自転車
僕たちのGXXXブイネック
僕たちのGXXXチノ半ズボン
僕たちのショーケース
僕たちの焼肉
僕たちの楽屋のイス
そして僕たちの血汗涙

その全ての記憶は
僕の頭の中のひきだしの最も深いところに
その全ての記憶は
ハングル子音の
のように
大切な僕の1番目だから
僕は今日も記憶を
する

「ㄱ」はハングルの子音で「キヨク」と言うそうで、「기억」は記憶という意味があるため、詩の中にある「記憶」とかけて書いたようですね。
最後の一文にあるように、「ㄱ」は子音の1番最初の文字です。

こちらも頭脳派のRMさんらしい詩だと思いますが、RMさんの中でのそれぞれのメンバーの記憶のカケラが何とも微笑ましいです。
しっかりJINさんがオチになってるのもホッコリです。

ふとした時に思い出す瞬間とかその人に関わるものって、ごく日常の何気ないことなのかもしれせんね。
どんなに深いところにあっても、1番大切な引き出しに大切にしまってあって、いつでも取り出せる大切な記憶。

これからもそんな何気ないお互いの記憶をたくさんたくさん増やしてほしいです。

J-HOPE「種(=さん)」

ナムジュンさん、ソクジンさん、ユンギさん
ジミンさん、テヒョンさん、ジョングクさん
そしてホソクさん
この種はいつのまにか美しい花になった
誰かにとっては美しさになって
誰かにとっては喜びになって
また誰かにとっては思い出の香りになった
ナムジュンさん、ソクジンさん、ユンギさん
ジミンさん、テヒョンさん、ジョングクさん
そしてホソクさん

咲く時はバラの花のように〜
散る時は桜のように〜
枯れる時は朝顔のように〜
美しいその瞬間のように〜
共にしましょう
愛してる

J-HOPEさんもRMさんと同じく、発音の同じ言葉をかけ合わせて表現されたようです。
「種」も「〇〇さん」も「씨」(シ)で同じ音で発音します。

「咲く時は〜」からは、BTSの楽曲「Magic Shop」のJ-HOPEさんパート部分ですね。
朗読会でも歌ってらっしゃいましたが、とっても好きなパートです。

お互いを花の種に例えて、その種がやがて花開き、美しく咲き誇ってる様子はBTSそのものだと思います。
散る時や枯れる時を思うと、少し寂しい気もしますが、いつか人は亡くなりますから、必ずどこかで終わりが来ます。

ただ、最後の「共にしましょう 愛してる」で、まるで「死が互いを別つまで」とプロポーズのようにも聞こえます。


SUGA「よかったです」

もうデビューしてから5年
ただ夢多き少年たち
何もなかった僕たちはもう多くのものを手にした
夢だけを見ていた僕たちは誰かの夢になった
人生は選択と後悔の繰り返し
僕も怖く 僕たちも怖い
高い青空を夢見たが
ここは高く寒く息が切れたりもする
多くの光たちが僕たちを照らすほど
影も多くなるもの
7でよかった
一緒でよかった


SUGAさんの言葉は決して難しい言葉ではないのに、思いや情景の深淵に誘われるイメージがあります。

何かを選択するということは一方の何かは選択できないわけで当然後悔がつきもので、その繰り返しに怖くなることがありますよね。
高みにのぼるのは息が切れるほどたいへんだけれど、のぼってみたら空気が薄くて息苦しさはそのまま癒えることがない場合もあるかもしれません。
「多くの光たちが僕たちを照らすほど影も多くなるもの」はメンバーたちも絶賛してきましたが、説明は不要ですね。

7人だからこそ恐怖は乗り越えられて、7人だからこそ息ができて、7人だからこそ多くの光を浴びることができるのだと思います。

JIN「走れバンタン」

休む暇もなく走ってきた
走れバンタンも防弾少年団も

世の中のすべてのことは疲れて当然だ
その時間が今でないことを祈りたい

水が流れるように暮らしたかったけど
僕は水ではなく
一生懸命生きている動物だということを感じる

これまで家族を作って
いつも力を合わせて何でも出来たけど
自然に逆らうことはできない

徐々に年をとって行く僕を見ながら
僕たちのダンスを省みる
とても大変だ
ソンドゥク先生
とても大変なダンスがたくさんあります
僕は先生を信じています
ナムジュン、俺たちファイト


ダンスの下りからは、笑いを追求したと照れ隠しなのか仰っていましたが、「その時間が今でないことを祈りたい」の一言にドキッとしました。

このエピソードが配信されたのは2018年7月なので、撮影された時期は同年の最初の方だと思います。

同年の年末に行われたMAMAのスピーチにもありますが、2018年はBTSにとって試練の年だったのだろうと思います。

日本語字幕をつけてくださってる動画がありましたのでまだ観ていない方はぜひ↓


観ると辛くなりますが、何度も観てしまうスピーチです。

最後のJINさんのスピーチ。
涙を堪えて、堪えきれなくて何度も息を呑みながらも明るく振る舞おうとしていて、「本当にキム・ソクジンという人は…」と、こんな時でも明るく笑顔で優しい誠実な言葉で伝えようとしてくれてることに胸を打たれました。

そして、その後ろではVさんが堪えきれず倒れ込むように号泣していて、この後のバックステージでも涙がおさまらなかった様子なども別の動画で拝見しました。


試練という言葉すら、なんだか軽く思えるほどのことがあったのだと思います。

誰の血か汗か涙かわからないほど、お互いが疲れて、苦しんで、悲しくて、辛くて、離れた方が良いのではないかという選択肢もあったのかもしれまさん。

具体的なことは何一つわからないですが、ただ一つわかることは、それでも一緒にいてくれて、一緒に音楽を続けてくれたからこそ出会えたのだということ。

その当時を知るわけでもなく、当時何があったかを掘り下げたいわけでもないですが、彼らが今、一緒にいて、音楽を続けていてくれることは必然ながらも奇跡に近いことなのかもしれません。

そう思うだけでも、これからの彼らをより幸せに楽しみにすることができると感じます。

これからもより多くの光をあびるので多くの壁が立ちはだかることはあるでしょう。

「クムシラコ」

あの時の苦しみに比べたらなんて事ない。

「クムシラコ」

僕たちはそうやって乗り越えてたじゃないか。

「クムシラコ」

どうってことない。それがどうした。


これからの将来、彼らが彼らの望むように、望むカタチで、健康に、幸せに、楽しくいてくれたらそれでいい。

何もできないけれど、彼らを好きだという気持ちを言葉にして、世界につながるネットワークの隅っこにでも一つずつ積み上げることで、彼らの幸せがほんのわずかでも広がるなら、続けていきたい、と改めて思いました😊

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