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つまみ細工のかんざしは、その形自体が美しい

つまみ細工小話のまとめです。
今日は「つまみ細工かんざし」の、形としての美しさについて。

かんざしは使うものではあるけれど、形そのものが美しい

10数年つまみ細工のかんざしを作ったり見たり教えたりしているうちに、
「つまみ細工かんざし」としての、かんざしそのものの全体の形が美しいから見せられているような気がします。

別の日に「かんざしという形」の話を書いたのですが、

二本足のかんざしに、細かなお花や葉、そして藤に似せた花が下がっている

その全体の形が美しい。

バランスは考えないと、もちろん美しくならないのですが、「この形」に意義があると、思っています。

その美しさは、元々はもちろん使うもの、「用の美」からきているのですが、そのまた前を考えると「魔除けとしての棒」なわけで、そこに花という呪力のあるとされたものを模して、かんざしに仕立てた。

美しいものは続く

なんて表現したらいいのかわからないですが、
日本髪がほぼ街中には見られない時代になっても、こうしてつまみ細工かんざしに魅せられて作りたいと思う人間がいる理由なのではないかな…
などと考えたりしています。

この美しさは伝えたいし、伝えていかなければなぁと改めて思いました。

使う使わないではなく…

今の髪型では使えないけれど、使うから良いのではなくて、使わなくても美しくて魔除けの意味があるものなんですよ…的な話ですね…

でも現代だと、使えないなら意味がないと思う人が大多数なのもわかっているので、それはそれ、ですね。

人が作るものである以上、

  • 「こうしたら使いやすい」

  • 「人が使うならこの形が(人がつけた時)美しく見える」

という、人ありき、の設計が一番美しくなる…のではないかなあと。

「人が使うこと」から乖離してしまったかんざしでは、私のいう用の美というのが表現されないので、それは美術品とかのくくりになるかと思います。

私は、人が使うからこその形が好きです。
かんざしは元より、学生時代から好きな建築(古い木造建築も、新しい建物も)や、舞台などの衣装も、そのくくりに入るのだと思います。


株式会社東京クラフト
つまみ細工の東京クラフト

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