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サービス開始直後のソシャゲで1位になった話

 この記事は『アイドルマスター シャイニーカラーズ Song for Prism』の最初のイベント『茜色ドローイング』で1位になるまでの軌跡を文章として残したものです。
 日記なので前の記事みたいな攻略要素は一切ありませんし、そもそも記憶が曖昧でdiscordのログやスクショから察せられる情報を元に書いていますのでご了承ください。またゲーム内の用語を多用しているので分からない方はぜひやってみてください。


1日目(11月14日)

 でかめのコミュニティにてシャニソンのサービス開始の話題が出ており、そういえばそうだったな〜と思いながらDLしました。入れた当初は音ゲー部分ばかり触って云々言ってた覚えがあります。

むじプリに玉砕する様子

 この日はちゃんとスマホ音ゲーに慣れたり運指研究したりしないとな〜と思いながら、アーケードの音ゲーをやり100均で滑り止めを買って帰りました。
 その後は初めての育成に着手。当然ながら最初からセオリーが分かるわけもなくレッスン踏んだり自主練踏んだりえっちらおっちらしてました。

 その後低難易度を2曲ほどAPしたのち、何を思い立ったかこのタイミングでリセマラの敢行を決意。コミュニティ内でははづきさん小糸ちゃん美琴さんあたりが強いのではないかという話題が上がっており、私もそこらへんを引くまで粘ってみるかという感じに。

幻のAPタチ…


 結局チケットと石の20連でここまで出た時点でキツくなりストップ。今見るとノーグラがなくてビビりますね。
 その後は音ゲーと育成をゆるくやっていくことに。個人的に音ゲーもカードゲームも大好きなのでとんでもないゲームだとはじゃいでました。ちなみにこの頃からアルストのおまじない(2コス加速のやつ)は最強だと感じてた覚えがあります。

2日目(11月15日)

 なんとなく育成していた時にサブシーズンの存在を発見。何が起こるかわからないけどとりあえず目指さない手はないだろうと、とりあえず三極を意識して育成することに。
 そんな中、オートで回している最中に合宿に行っていることを確認。既に初期デッキのまま完走できることを確認していたため、ひたすらステータスを上げてS1のオーディションに行って合格。

戸惑っているのが分かる投稿

 内容を見て一瞬戸惑ったものの、3ターン増える+ステータスが爆増するという事実の重大さを受け止めるのに時間はかかりませんでした。ここから合宿を踏むことを意識した立ち回りに。

この時点でAランクまでは取れていた模様

 そして12時、『茜色ドローイング』イベント開始。あとフェスツアーズも開始。
 なんとなくユニットボーナスがかかるであろうことを理解していたため早速放クラのプロデュースに。その結果……

そらそうだよなあ

 初期デッキがあまりにもパンパンすぎて碌に打点が出せず苦戦していた気がします。というかみんな苦戦してそう。とはいったものの慣れてきたのかAランクまでは滞りなく到達。

いうて初プロデュースから4時間は経っている
サポートの様子 まだ洗練されきってはいない

 この時点で冬優子さんを入れているの、先見の明があるかもしれないですね。まあ強さを確信はしてないとはいえスキルのまとまりがいいな〜とは思っていたはずです。
 ついでに放クラはステータスを上げて初期デッキで上から叩いたほうが早いってことも気づいたようです。最適化が早い。

 ただ元のステータスがまだまだ低いため、今みたいな完全にひとつの自主練に特化する手法はとれていませんでした。
 そんな中でも評価点は着実に更新していってます。

 そしてここらへんで【(ノージャンル)グラヴィティ】の強さを理解し始めます。どのくらい強いかと言うとだいたいデドダムです。やってることとかまんまそうなので。

気づくのが早め!

 そんな中、雑誌連打でSSに乗ったという報が届きました。満遍なくステータスが上がる雑誌取材によりステータスを底上げする育成方法です。自主練より事故率が少なく余計なマスを踏まずに合宿にいけるのも魅力でしょう。
 実際どちらのほうがより強い育成ができるのだろうと悩んだのですが、そもそも伸びるステータスの高さや上振れたときの出力の高さを加味した結果Vi自主練を継続することに。別にこの時はランキングを意識してたわけではないのですが、やはり大きい数字を出すのは見ていて楽しいですからね。

 この日はひたすら放クラの皆さんを育成してなんとか裸足のフルコンをだすところまでやりました。当時このスコアでも100位以内に入ってたと思います。

今見るとだいぶグレすぎている

 このリザルトを投下したところ、こんなメッセージが。

 なんと大幅な伸びしろがあることが判明。当時の私としては表を詰め切ったら終わりかなあと思っていたのでこの知らせは僥倖でした。
 というわけで、無限の育成に飲まれていくことに……

3日目(11月16日)

 裏のメンツを埋めるためにもちょもちょ育成をしていました。この時はまだMe育成は雑誌で行っていたと思います。コミュニティ内でも多く実績が残っていましたからまあそうなるでしょうといった感じです。

当時の環境においてあまりにもお手軽過ぎた

 ある程度の育成を終えてライブをやることに。そしたらなんと瞬間10位までなることができました。

このあと170万くらい伸びます
このあとアホほど伸びます

 ここらへんから流石に最終1位を意識しはじめるように。ひたすらに育成をするたびに少しずつ評価点が上がっていきます。

もっと強いアイドルが誕生するんですけどね

 そして昼頃、ついに瞬間1位が届く範囲に。

ここまできたらもう、ねえ

 音ゲー部分がしっちゃかめっちゃかだったのである程度粘着をした結果……

 とりあえず瞬間1位を獲得することに成功しました。この時点では音ゲー部分がまだまだだったのでとりあえずそこを伸ばすかな~と思っていました。いずれは抜かれるだろうけどこういった類のゲームで1位になったことはなかったので嬉しかったです。ちなみに1時間程度で抜かれていました。そりゃあそう。

 とはいえ裏もこんなんだったのでまだまだスコアは伸びるな~と思ってました。

ちゃんと1位も奪還できたりしている

 で、その日の夜に1位を目指す決意を固めたため、ノーグラの完凸を決意。

 もうここまで来たら最終1位まで突っ張るしかないという感じに私の中でなりました。もうここら辺から無駄行動を削いで完全に自主練だけを踏むように。足りないステータスはサポートイベントが起動してくれるのを祈るばかりです。

3000アイドルも誕生している

4日目(11月17日)

疲れました。かなり。
ここまでくると細い線を引き続けないと更新ができなくなっています。加えて表に出すほうは育成終了時のライブスキルでスコアアップ系を引かなければ折角の高評価値も水泡に帰してしまいます。
 ちなみにこの日はDaのアルストロメリアの育成でひたすら唸っていました。如何せん高レアリティのアイドルがいなかったので自主練だけを踏んでいては合宿に行けなかったためです。
 とにかく、この日からはあんまり大幅な更新もできず精神とジュエルをすり減らしながら地道な歩みを進めていくしかなくなりました。ひたすらリタイアしながらも完走して大幅な更新がなくなるとかなりしんどい気持ちでした。

しんどいらしい

5日目(11月18日)

 この日はひたすら酒を飲んでいたので実のある育成をしませんでした。飲酒最高~~~

たのし〜

6日目(11月19日)

 表の更新がどうにもならなくなって有償の星3P確定を引いたところなんと確定じゃないところで果穂さんが来るという事件が。

しかも確定じゃないところできている

 これにより完走してからのスキルガチャである程度余裕が出てきます。加えてこの日はCM撮影育成の話も挙がっており育成の伸びしろがまだまだ増えていきます。残りのイベント期間も長くありません。最後の気力を振り絞りながら育成していきます。
 また、音ゲー自体も精度を上げていく必要がありました。4日目くらいにあまりにもスコアが伸びず曲をやりすぎたため癖がついてしまっていたためなんとか改善するのも大事です。なんでよくわかってもないのに粘着するのが悪い。

最終日(11月20日)

 朝から晩までずっと育成していました。
 結局大接戦になり実際のところいま何位くらいのスコアなのか分からなかったためです。加えて札束で殴るマン(実際にプロフに書いてある)が本格参戦してきたため今だ競るスコアで安心できるはずがないと考えたためです。実際この日は用事で手が離せない時と気絶しているとき以外は育成しかしていませんでした。最終完成したアイドルは育成論のほうに載せていますので(かなり古い情報になっているけども)見ていただければと思います。
 そんな感じで最終日を完走しきった結果……

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 なんとハイスコアランキングで最終1位になることができました。

"幻想"じゃねえよな…⁉

 実はこのスコアはイベント終了1分前に提出したものであり終わった直後はマジで受理されているか心配でした。またギリギリまで育成をしていたりそれなりに叩けるようになって慢心していたため音ゲーパートに取り掛かるのが締め切り20分前で、そのくせ緊張で手が震えたり制汗剤のせいでスライドノーツが全然取れなかったりで散々でした。バカすぎる。
 ともかく、こうしていい結果で終われたのはとても嬉しかったし安心しました。

さいごに

 もう半月近く前の話を今更まとめていたのですが、圧倒的なしんどさと共に楽しかったな~という記憶がまだ残っています。ここまで走れたのは紛れもなく並走していた方々の支えがあったからこそだと思います。また走る機会はいつになるかはわからないですがその時が来たら頑張ろうと思います。

この記事は某所のアドベントカレンダーに寄稿したものです。

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