人間大好き!のパラドックス

 「社会に出たら人見知りは甘え」なんていう言葉を目にしたことがある。この考えに関しては概ね賛成である。「自分、人見知りなんで」というのは、大体付き合いたくない人や場面に対する言い訳でしかない。そんなことをわかっていながら、僕も大概「人見知り」だ。
 生まれて30年ほど経つが、ここ10年くらいで人伝に「〇〇さんが『私、煩悩さんに嫌われているのかもしれない』と悩んでましたよ」とよく言われる。特に何も意識していなかったので、これを言われると本当に返答に困る。つい先日も職場に新しく入ってきた人が同様の悩みを持っていると聞いた。僕としては決してそんなことはない。そういう悩み?を僕に向けてくる人は、大概僕にとって好きでも嫌いでもないいわゆる「興味のない」人だ。そして、そういう人は大概「人付き合い大好き!みんなで仲良くするの最高!」というタイプの明るい人間だ。社会的にみるとそういう人間の方が良いとされるのかもしれないが、僕は苦手だ。なぜなら、そういう人間は大概「自分が楽しいことは、他の人も楽しい」というジャイアン的思考を少なからず持っているからだ。だから、僕みたいに必要以上に他人と関わりたくない、いわゆる「そっとしておいてほしい」タイプの人間も輪の中に入れてこようとする。その「輪」が苦手ということも露知らずにだ。そういう人間が一定数いることを認めて、それにはそれなりの関わりができることが真の社会性ではないかと社会性が低い僕は日々思っている。先の同僚に関して言えば、別に仲良くすることが仕事上必要なものでもないと考えている。荒巻課長じゃないが、そんなチンケなチームワークは足枷にしかならない。個性を発揮し、そこから生まれた結果としてチームワークがあるのではないか。だから、ハナからチームワークありきな人は僕にはあまり合わないのだろう。
 そんなことを他人に望んではいるのだが、これも甘えなのはわかっている。僕自身、「好きな人」、「嫌いな人」、「無関心な人」の線引きが異常にはっきりしていることはわかっている。だから、好きな人と無関心な人に接する時の温度差のせいで、「嫌われ」話が出てくるのであろう。その上、一人でいることが大好きなので救いようがない。草薙素子も「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ」と言っているので、これからも孤独を謳歌していこう。

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