少年よ大志を抱け

 今年度から教員としてゼミを担当することになった。ということで、4月から佐伯胖先生の『幼児教育へのいざない』を読んでいる。名著であるので、幼児教育を考える人は是非ご一読いただきたい。

 宣伝はさておき、今回は第4章の「ドーナッツ論」や「文化的実践論」を検討した。その中で、「徒競走や綱引きから『勝ち負け』を除いてしまうと、文化的実践とは言えなくなる」という旨の一節があったので、学生に「『勝ち負け』をなくすのは賛成か反対か?」問うてみた。こういう問い方はあまり良くないのかもしれないが、とにかく意見を持ちやすいテーマから考えてみるというのがうちの学生にとっては結構重要である。結果、反対が4人、賛成が1人だった。賛成派が少数派だったので、僕もそちらに入り、議論が始まった。いつも通り僕のねらいとしては、一人一人の考えから二項対立を超えた問いを提示することだったので、一人一人の考えを掘っていく予定であった。でも僕が立場を表明したことが影響したのか、「反対と賛成のどちらがいい意見なのか正しいのか」ということを討論する形になった。ということで、反対派を叩くということよりも、その考えに色々と質問するという形で討論に参加することにした。
 ちなみに、僕はあまり「論破」という言葉が好きではない。「論破」したところで自分の考えが豊かになることはないと思っているからである。「論破」するよりも対立する考えの根拠を問うことで、自分の考えを豊かにすることに議論の意義を感じているのである。そして、全員が同じ結論に至る必要はないと思っている。それぞれが議論したことによって「もっと考えたいこと」を持てることが僕が考える議論の目的である。という僕の思想はあくまで僕個人の考え方なので、学生もそう考えるわけではない。
 ゼミの話に戻るが、人の話していることに質問を次々にするのが僕の癖であるのである。いつもは学生はこの癖に対して「先生はすぐに詰めてくる」と言ってくる。だから、今回も早々に折れるかなと思ったのだが、意外にも学生は食い下がってきた。色々と話した結果、この二項対立を超えるような実践的問いを提示する形で終わった。
 この討論もどきの結果、学生たちはどうやらゼミで僕を言い負かすのが目標になったようだ。学生たちからゼミ後「来週もなんか議題を持ってきてください」と言われた。理由と動機と内容はどうであれ、前向きに思考しようとしていることは非常に評価することができる。それが結果として、学生の思考を深めることになると信じている。
 そもそも「僕という壁」がどれほどの高さなのかはわからないし、「僕を打ち負かす」ことが「大志」に含まれるのかはわからないが、頑張ってほしい。

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