見出し画像

彦島を守ってくれた長州男児

彦島を守ってくれた長州男児

 山口県下関市生まれでありながら、貴台に強く惹かれ出したのがこの世に誕生してから38年、西暦にして2015年からでした。両親が離婚していなければ、僕の実家と呼ぶべき家のあった下関市彦島で育ったことでしょう。

 両親の離婚によって遠くの茨城県に移住し、また、この地で生まれたといっても過言ではないほどの永い年月を刻んだ茨城県に住み続けている僕にとって、2015年は生まれ故郷に思いを馳せる1年となりました。

 その年、僕と同じく下関市生まれの亡母の散骨をしに帰郷しました。また、毎週日曜日に欠かさず視聴していたNHK大河ドラマ『花燃ゆ』を、帰郷した際に宿泊したホテルの一室で視聴した日曜日もありました。このドラマの詳細は割愛させていていただきますが、江戸時代末期の長州で命を削って戦う貴台の姿も描かれていました。貴台の役を演じていたのは、高良健吾さんでしたね。

そのドラマを視聴している期間中、関心を持った登場人物をWebサイトなどで調べました。その中で下関市と彦島に縁の深い登場人物と巡り合いました。

 生まれは萩で没地は下関。奇兵隊の創設者。下関戦争の講和使節の使者。連合国からの彦島租借要求の拒絶。歴史に残されたそれらに共通する長州男児。

 そう、巡り合えた登場人物……いや、呼び方を変えましょう。その長州男児とは、貴台のことです。貴台に強く惹かれ出したきっかけは、連合国からの彦島租借の要求を拒絶した貴台の態度です。

 この彦島租借要求が連合国からあったか否かについては曖昧さが残るのですが、若しも彦島租借要求があり、仮に貴台がそれを受け入れていたとしたら、僕の実家と呼ぶべき家のあった彦島はどのような歴史を辿っていったことでしょうか。植民地支配の拡大といった当時の時代背景を踏まえると、あまりよろしくない歴史を辿っていったのではなかろうか、と僕は憶測しています。

 その飽くまで個人的な憶測のもと、僕は貴台に『彦島を守ってくれた長州男児』と尊敬の念を抱いています。その念には感謝も多分に含まれていることも記させていただきます。

 僕は貴台のように強烈な個性を放ち、破天荒とも表現し得る活発な行動力で人生を切り拓き、熱き信念と情熱を以って組織を率いる長州男児ではなく、これからもそのような長州男児になれそうにはありませんが、まずはまだ住み続ける予定の茨城県と身近な人々に感謝し、続けて、生まれ故郷の下関市、僕の実家と呼ぶべき家のあった彦島、そして、貴台に思いを馳せる長州男児でありたいと思っています。

 このような弱々しい長州男児の並べた言葉を貴台が読んだら笑うでしょうが、貴台に伝えたいことがあったら、また書きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?