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2024年4月27日(土)

靱公園でKANさんと

@大阪府 大阪市

午前はのんびり、ブロッコリー卵マヨ、味噌汁、カップ麺でとりあえずお腹を満たす、外は小雨なので雨具を用意せねば

三ノ宮で下車するのは運賃抑えるためには予定通り、100均でレインコートのズボンを購入、阪急は座れるし安いしでいいことたくさん

本町に着いてセブンでCD受け取ろうとするもまさかの土日祝は定休日で受け取れず残念無念。
なにか軽くライブ前にご飯食べようか迷ったがいまいち食べる気にもなれずそのままライブ会場、靱公園テニスコートセンターコートへ。

2014年の風のハミングに参加したのが1人で大阪に来た1番最初のとき。もちろん本町駅を利用したのもこのときが初めて、KANのライブを見たのもこのときが初めて、ゲストに槇原敬之、靭のハミングという楽曲の披露、徐々に日が暮れていく中、街の真ん中で風に吹かれながらまったりライブ、野外ライブの楽しさを初めて体感したのがこの日、本町エリアに対する最初の印象はこの10年前の風のハミングによって作られ、とても心地よいものであった。

2020年に就職を機に本町に毎日のように通うようになり、生活圏となってからは2014年のときに受けた印象は薄れていき、少しずつ心をすり減らしていった。
決してこの街が悪さをしたわけではない、自分自身の心の問題、受け取り側の問題だ。働き始めてからは靱公園という地に足を踏み入れることはほとんどなく、風のハミングについて思い出すこともなかった。

そうこうしているうちにメンタルブレイク、本町というエリアに対してさえ息苦しさを覚えるようになり休職、このエリアを生活圏とすることも辛く、自費で家を引き払って帰省。

1年間のリフレッシュ期間を経て気持ちが満ちてきて、もう一度会社と向き合ってみようという考えが湧いてきて再び関西暮らし、本町の会社へのリハビリ出勤という名のもとに1ヶ月間ほぼ連日通う。

だがオフィスへの居辛さは日増しに募っていく、息抜きに足を踏み入れた公園もタバコの煙に塗れてイライラが募る、そんな日が続く中で土井善晴さんの本を読むことで自分で食事を作ることの大事さに気付き、弁当作りに目覚める。

作った弁当をどこで食べるか、というときに閃いた場所が靱公園。生まれて初めて自分のために作った弁当を持って随分とおひさしぶりな靱公園に行き、ベンチに座って食べる、このときふと2014年の風のハミングの光景が蘇ってきたのだ。反射的にYouTubeで『靭のハミング』の音源を検索して聴く。
靱公園でこの楽曲を聴いたのは、生まれて初めてこの本町エリアに訪れた10年前以来。
その頃はまだ大学も始まったばかりで、研究室も当然決まっておらず、純粋な気持ちで土木に関する様々な基礎科目を履修していて、それなりにモチベーション高めで勉学に励んでいた。
10年という月日の間にどんなことがあろうが、10年前に靱公園で靱のハミングを生で聴いたという出来事はたしかに自分の中に存在する。そして本日、靱公園でその楽曲を聴くことができるのだ。
10年間、自分はよくやってきた、辛いこともたくさんあったけど食いしばってなんとか生きながらえてきた、えらい。そんなタイミングでの風のハミング。

10年前と違うのは、ステージの中心にKANさんはもういないということだ。
KANさんが中心となって完成した楽曲、靱のハミング。
KANさんが中心となって作られてきたイベント、風のハミング。

KANさんの訃報を郡上八幡の書店のラジオで聞いたそのときから、心の真ん中に常にぽっかり穴があいていた、寂しかった。今日その穴にようやく向き合うことができる。

開演とともに雨があがり日差しが強さを増してくる。
事前に告知されていた出演者はスタレビ、馬場俊英、and more。
シークレットゲストは佐藤竹善、杉山清貴、トータス松本、そして槇原敬之。開演前の時点でリハの音は外にダダ漏れだし、グッズ売り場で既にゲストの作品が売られていたのでネタバレを隠す気はなかったのだろう。みな風のハミングにも複数回出演しており、そこまで新鮮味はなかったが、今回に関してはこれでよい、ゲストの意外な顔ぶれに胸をときめかせるよりかも、この日の1曲1曲に落ち着いて寄り添うことができれば。

みなさんそれぞれ1曲ずつKANさんの楽曲をカバーするとともにKANさんとのエピソードを披露していた。
音楽制作よりも人との関わりを大事にされていたというKANさん、亡くなってからもなにか人を笑顔にさせるサプライズをいまでも考えていそうな気がしてたまらないし、おそらくTwitterの予約投稿機能を使っていまでもたまにKANさんのアカウントの投稿がされるし、もしかしてまだKANさんは生きてるんじゃないかな、とっておきのサプライズゲストで現れたりしないかな、なんてことを思っていた。

14時開演、あっという間に時間は経ち日が暮れ、17時をまわると最後のステージ、それぞれの出演者の代表曲を順に披露していく、ガッツだぜ、どんなときも、そして、KANさんのよければ一緒に、会場みんなで一体となったハミング、やさしさ溢れる楽曲。
その流れでスタレビの愛の歌、一体感を味わう。
そして本日最後の曲ということでKANさんの愛は勝つ、出演者もお客さんもみんなでうたう。
この日は何度も涙を流したが、最も感極まったのが愛は勝つのとき。歌いたくとも胸が詰まってうまく歌えない、でもとてつもなく清々しい気持ちになれた、こんな素敵な楽曲を世の中に送り出してくれたKANさん、ありがとう。

気付けば会場の外、隣接するマンションのベランダからもテニスコートを見下ろしつつ手を振りつつスマホのライトをかざしつつ、それぞれのスタイルで一体となっていた。きっと見えない場所でも、愛は勝つの音漏れを聴いていたテニスコート周りの方も、一体となっていたのだろう。まさしく、よければ一緒に。

愛は勝つの大合唱を終えて出演者ひとりひとりがコメント、みなさんKANさんに向けたもの。最後は馬場さんと要さんが残る。

馬場さん、最後まで看取り、通夜、告別式、出棺、火葬まで寄り添った。それでもなお、いまだにKANさんがサプライズで目の前に現れてくるのではないかというくらい、亡くなられた実感がなかった、とのこと。

要さん、最も大切な音楽仲間を失った悲しみは大きい、今日を区切りに、また明日から違った気持ちでKANの音楽を楽しんでもらえれば。
人には寿命があり、順番に亡くなっていく。でも音楽には寿命がない、いつまでもKANさんの音楽は僕らの中にこれからも生き続けている、とのこと。

風のハミングで、みんなと一緒になって、涙を流しながら愛を勝つを大合唱する。そのことで、KANさんの死去をはじめて受け入れることができた気がする。それを受け止めた上で、明日からもKANさんの楽曲を愛していきたい。
これだけたくさんの涙を流すことはあまりない、涙によって日頃の我慢していたもの、胸のつっかえも取っ払うことができた気がする。

靱公園から南森町の岩手志賀へ、その途中でオフィスによってパソコンを取ってくる、誰もいない真っ暗なフロア。
岩手志賀でも風ハミトーク、音楽トーク、仕事のことも気にかけてくれてありがたい。

梅田の同期にもなぜか自然と連絡できて会えておしゃべりできた。涙のおかげかな、KANさんが背中を押してくれたおかげかな、無理せずあれこれ話できた。

苦しかった4月、よく乗り切った、よくがんばった、おつかれさま。


本日の1曲

愛は勝つ
KAN

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