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風評被害の正体とは

まずは僕がBLOGOSに寄稿した記事「トリチウム水を流すなら」を読んでほしい。

内容としては、福島第一原発事故で発生する、トリチウム以外の放射性物質を十分に取り除いた処理水を、現在では福島第一原発構内で保管しているが、これをいつまでも貯めておくわけにもいかないので、福島県沖に放出したいという話に対して、漁師たちが風評被害により漁業が成り立たなくなることを理由に反対している。

確かに福島県沖に処理水を流せば風評被害が発生するのは避けようがないので、水を東京に運ぶコストをかけてでも、東京湾に放出したほうがいいのではないか? という内容の記事である。

多分勘違いしている人もいるので明確にしておくが、僕は反原発のように「本当は危険な水なのだから、東京湾には放出できないだろう」というあてつけで東京湾に流せと言っているのではなく、コスト以外は問題が無いのだから、風評被害を防ぐために東京湾に流せと言っているのである。

福島第一原発で生み出された電気を消費することで繁栄を築いてきた東京にとって、福島の負担を肩代わりすることは義務であると言えるだろう。最終処分場もなかなか決まらない現状で、せめて何の問題もない処理水くらいは東京が引き受けるのは筋であろう。

僕としてはこの考え方は実に有用でクレバーで素晴らしいものだと思っている。ところが反反原発の人たちには、評判が悪いようだ。

処理水は東京湾に流せという意見はずっとあるので、それに対する反反原発の反論を見てみるが、どうも歯切れが悪い。「処理水を東京に流すのは最悪の選択だ」とは言うが、何がどう最低なのかは良くわからない。

それでもいくつか意見を見てみると「東京湾に流せば、危険な水だから東京湾に流すのだろうという風評が産まれる」という意見があった。しかし、ならばそれを福島に流したところで「福島沖に流した処理水は危険である」という、福島の漁師が懸念する風評が広がるだけだ。東京湾なら風評が発生して、福島沖なら風評が消えてなくなるなんてことはありえない。

また「東京湾に流すということは、風評に屈するということだ」という意見もあった。風評をテロかなにかと勘違いしているのだろうが、風評に勝つために福島の漁師たちの生活を破壊していいというのはありえない。風評問題は決して勝ち負けの話ではないのである。

さて、ここでこう考える人が多いだろう「風評さえ払拭すれば、問題は解決である」と。

まぁ言われてみれば論理的にはそうである。

では、風評を垂れ流しているのは誰か。それは「反原発」や「サヨク」である。あとついでに「民主党政権」である。
この反原発どもを科学的根拠をもってぶん殴り、その口に福島の道の側溝の泥で作った泥団子を突っ込んでやれば、問題はすべて解決である。
風評被害はなくなりましためでたしめでたし!!

ということになると考えて、一生懸命「福島の真実」を伝えようとしている人達がいる。

確かに「まっとうに事実を伝える」ことは風評被害をなくすためには欠かせない。

福島の漁師たちも、科学的根拠をもって正しい事実を伝えれば、福島沖への処理水放出に賛同してくれるだろうか?

残念ながらそれはありえない。

なぜならそんな事実は、福島の漁師は百も承知だからだ。福島の漁師たちは反原発に騙されて風評被害を恐れているのではない。そうではなく、事実はどうであろうと風評被害が現実にあるのである。そのことが問題なのである。

多分「正しい知識をもって、風評被害を払拭できる」と思っている人たちは、科学的根拠を風評被害への特効薬かなにかのように勘違いしているのだ。

しかし、風邪薬が風邪の諸症状の緩和をする一方で、風邪の症状を発生させるウィルスの撃退はできないように、科学的根拠もまた、風評被害の特効薬ではありえない。

なぜなら風評被害とは

「過去の怪物の幻影」に過ぎないからだ。

「過去の怪物の幻影」とはどういうことか。

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