登戸研究所のツアーに参加したときのメモ
【登戸研究所とは】
暗殺、かく乱活動、破壊、スパイ活動、スパイ活動防止のための秘密戦兵器が開発されていた戦前に旧日本軍によって開設された研究所。本当は第九陸軍技術研究所という名前だが、ここでの開発、研究内容を知られては行けなかったので、登戸研究所という秘匿名が使われた。• 秘密兵器を作っている建物が100以上あった
• 1951年に農学部できた。当時は長靴履いて農作業をする感じだった
• この状況を語る人がいなかった。88年から調査が始まった。洞窟で働いて
• 川崎中原区の市民学習で登戸研究所についての
• 1942年、アメリカと戦争し、日本軍全滅
• 44年の9月にある人が見学にきた。そこで11月に決戦兵器を使った(風船爆弾を打ち上げた。これが命令の中心だった。ここが風船爆弾を取り仕切っていた)
• 和紙の10メートルくらいの気球を打ち上げて、偏西風に乗せて、アメリカに行って
• コレラ菌(撒けば、それに感染して人が死ぬ)も開発
• 9300発の風船爆弾を放った。無差別爆弾だった。細菌兵器も行った。1000発がアメリカに行った。でも、アメリカは国民に知らせず、空中で撃ち落とした。今も、そのはへんを回収している。今では無差別爆弾をすると、戦犯になる。
• 東京大空襲←国際法違反(アメリカが行った)
• 風船爆弾はアメリカの原爆の起源なのでは?東京大空襲の起源なのでは?と言われている
【動物慰霊碑】
• 動物殺した
• 当時の資料は一切ない。でも、この慰霊碑はある。
• 篠田鐐さんが、関係している
• 井上三郎さんは、慰霊碑のことを知らない。別の科(?)だから。
• 今はこのこと誰も話さない。証拠隠滅のため。
• このことは墓場までもっていけ。道端でこのことを知っている人とは、挨拶しない。
• 「そろそろ話してもいいのかな?」と思うようになった。
• 川崎市教育委員会が、アンケートを取った。(登戸研究所についての情報解禁のきっかけ)↑なんでアンケート取った?
• タイピストとして採用された。その人がこの、登戸研究所での仕事内容を家に持ち帰っていた(自分の勉強ノートを残すように)。それが、貴重な情報源になった。900枚にもなっていた。
【神社】
• 明治大学は仏教の学校ではないので、神社があるのはおかしい。政教分離のために、本来は破壊されるべき
• でも、これは明大が所有しているので、壊していない。今では収穫感謝祭のときに使われている。
• 「過ぎし日はこの丘に立ち、巡り合う」 との記載がある。戦後40年間沈黙したが、そろそろ巡り合って話したいぜ!みたいなことを意味している
• 発明の神を祀った
• 記念館はもとは、研究施設
【ビデオ】
• 伴繁雄
• 人体実験をしたのではないか!?ということを言われ続けた(本当は違うが)
• 相手国民、宣伝、
• 偽札技術製造には高度な技術が必要
【資料館】
• 登戸研究所ができる前(32-37年)は、日本高等拓殖学校(ブラジル人に対して農業を教える)
• そのあと、登戸研究所建設
• 100棟以上の建物あった
• 科学者が戦争に参加しないのはいかんということで、科学研究所
• 登戸研究所は研究内容を公開できないが、研究費をくれ!ということで、今での36億円を請求した
• 風船爆弾をアメリカに落とすためには、ものすごい気候に関する研究が必要だった。なので、全国の優秀な気候学者が登戸研究所に動員された。大体3日で自爆するっていう計画
• 風船爆弾がなかったら東京大空襲や原爆投下はなかったのでは?と考えられている
• オレゴン州に風船が落ちた。45年3月
• 偽札
• 中国は当時のお札の技術が高かった
• 中国人はお札をくちゃくちゃにして使うので、偽札発行時、それに対応できるように、偽札もクチャクチャにした
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