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武満徹さんからバトンを受けて。

1996年2月20日に武満徹さんが亡くなりました。たいへんなショックを受けたことは、今でもよく覚えています。覚えているどころか、いまも悲しいのです。

N響の定期公演で、デュトワ氏の指揮だったのですが、プログラムには無かった「弦楽のためのレクイエム」が急遽特別に演奏されました。NHK.ETVでは追悼番組が組まれました。「FamilyTree(系図)」の映像作品が、メイキングと共に流れました。

それらの出来事が、毎日こつこつと「甘い幸せな生活」を書きすすめている、そのさなかの出来事だったということは、最近になり記憶の整理をした結果たどり着いた事実です。

このあたりの時系列は判然としないのですが、少なくとも当時の僕のなかに「武満徹」さんと「高原の避暑地」を結びつける知識はありませんでした。

黛敏郎さんの記憶を元に「MI・YO・TA」のCDが発売されたのは、もう少し後のことでしたが、ライナーノーツにある「御代田」という土地がどこにあるのかわかりませんでした。

にしても「系図」の視覚的イメージと「甘い幸せな生活」が喚起するであろう視覚的イメージが非常に近しいことに気付きます。

もちろん端的に「根源」の比喩としての「木々」や「大地」は「母性」と直結しますし、さらに「母性」は「真理」の比喩としての「少女」を連想させますから驚くことはありません。

それよりももっと深く、
もっともっと深く、武満さんが「音楽」で表現しようとしていた「何か」

タケミツという希有な芸術家の残した音楽や言葉たちに改めて触れると、正にその時から、僕はその「何か」について、言葉で表現する旅—あの長い行列の一番後ろ—につくことになったのだということに、大いなる畏れを伴って思い至るのです。

今から2年前の2月20日、ちょうど草津温泉にゆく用向きのできたのを機会に、御代田の縄文ミュージアムに立ち寄り、かつて行われた武満徹さんの企画展の図録を手に入れることが叶いました。

そのときの浅間が、「ノヴェンバー・ステップス」の初演された年に生を受けた僕には、ほんとうに大きくみえたのです。

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