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【ネットリンチと「馴れ合いの居場所系群」】

ぼくは、この件でいま激怒しています。Twitterでは、ここのところ特定のひとり(Yuichi ‘Li’ Lewisさん、以下ルイスさん)に対して、多数からの卑怯な攻撃が続いています。途中からやりとりを見ると、なんのことかよく分かりませんが、これは集団によるいじめ・ネットリンチと言って差し支えないものです。それが自称「反差別」を掲げるひとたちによって起こされています。
これに加担しているひとは、いますぐその卑怯な行為をやめなさい。また局所的なものに目がいき、善意のつもりでこれに参戦しているひともいるようです。そういうひとも、このテキストを読んで認識を正していただきたいです。
なぜこれが「いじめ・ネットリンチ」と言えるのか、何が起こっているのか、説明します。
Yuichi ‘Li’ Lewisさんアカウント https://twitter.com/lilewisyuichi/

先日、ぼくは次のツイートをしました。相手にメンションは入れずスクショを貼ったものです。
https://twitter.com/trailights/status/1435965194551791620?s=20

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この時点では「アホな連中がふざけやがって」という程度の怒りでした。ですがその後、このツイート主のプロフに「ツイートのスクリーンショットの他SNSでの晒し行為、youtubeなどでの表示は固くお断りします」とあるのを見て、見過ごせないと考えが変わりました。これは卑怯ないじめに加担しながら、自身への批判はさせないという意味になります。自由にものを言うのは誰にとっても権利です。ですがそれへの批判を封じるようあらかじめ保険を仕掛けておくのは、表現の自由というフィールドに対しての欺瞞であり、卑怯者のすることです。そんな風に卑怯に都合よく切り取った安全地帯から、いじめをしておきながら、自分は表現の自由を謳歌する。そんなことは到底許されるものではありません。これを見たことで、激怒し、このいじめについて捨て置かず、改めてここに書くことにしました。
https://twitter.com/ndeco_jp

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まず、話の前提として物事を評価するにあたって次のことを承知してください。

前提1)全体を通した流れとしての評価
これは、まず誰が何を言い、それに対して誰が何と反応し、という延々と続くやりとりの流れ全体で、この問題を見るということです。ぼくは今回の件を、この前提1での評価はしません。なぜならルイスさんとその他の方々との間で、どういうやりとりが諍いの発端にあり、いつそれが始まり、それがどのようにして続いてきたのか、すでにもう確認できないからです。

前提2)点での評価
これは1と違い、全体ではなく、やりとりのなかの任意のポイント(点)での出来事を見るということです。この場合はひとつの行為とその前後を含めた2つ3つくらいの点が対象になると考えてください。この件でぼくは、この2の視点から物事を見ていきます。ぼくには1のように俯瞰することはできませんが、その流れを知らなくとも、問題となる点を中心に、評価を下せるものがあると考えたためです。

前提3)モラルについて
ぼくはこの件で物事を評価するにあたって、その価値判断にモラルを使いません。モラルは一見は重要なことのように思えます。ですが、それは個人の受け止め方によって幅があります。例えば、乱暴な物言いはどこまで許されるのか、というようなことです。つまり「お行儀」の話ですね。その幅は物事を見ていくうえで、話が食い違う原因になります。今回はふわふわした流動的なものを物差しに使い、論を共有することは避けることにしました。また、社会通念的に共有されているモラルと呼ぶことができるものも、あると思われるかもしれません。例えば「差別をしてはいけない」「誰かの物を盗んではいけない」というような、社会が当たり前のこととして受け止めているものです。こういう自明と言えるものは、モラルというよりも、正義や公正さとして考えることにします。[1]

以上を踏まえて、起こったことを見ていきます。

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〈1〉行為Aと行為Bについて
なんなしさんとルイスさんの間であったあるやりとりを、前提2に従い、点として見ることにします。
なんなしSIB(スーパーイジワルババァ)さんアカウント https://twitter.com/momimak27

・行為Aーなんなしさんがルイスさんに対し、揶揄・中傷するツイート、皮肉や小馬鹿にするツイートを複数、繰り返し行っていた。そしてそのなかには、なんなしさんとZさんが、ルイスさんの民族ルーツに関わる名前について、揶揄・中傷のツイートを行うものあった。次に引用するツイートは多くあったなかの、その一例にすぎません。
https://twitter.com/momimak27/status/1429649326263861251?s=20
https://twitter.com/momimak27/status/1429349944113057796?s=20

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・行為BールイスさんがDMでなんなしさんに対し、行為Aとなった嫌がらせのツイート全ての削除と謝罪の要請をした。その際になんなしさんの名(在日コリアンとしての名)を名指した。DMの内容は下記リンクから。スレッドになっているので画像を貼りきれないため、リンク先をご覧ください。(下に貼った画像を見ると、ルイスさんがなんなしさんを名指した場所にマスキングがされています。そしてその下に、削除と謝罪の要請があることが確認できます)
https://twitter.com/lilewisyuichi/status/1430996476344242177?s=20

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まず行為Aはどう評価すべきでしょうか。なにが発端だったのか遡れませんが、なんなしさんからの攻撃的なツイートのなかには、確かに嘲笑や侮蔑と受け取れるものが見受けられます。例にあげた「全部チェックよろしくー」には、相手より自分がなぜか優位の場所にいて、相手を小馬鹿にした様子がうかがえます。ただし、これだけで行為Aが不当だとまでは言えないかもしれません。
ルイスさんがなんなしさんからの多くのツイートをストレスに感じていたこと、これは個人間の諍いのようにも見えます。ですが、これらのツイートには、第三者からのなんなしさんを加勢するリプライが散見されます。これは個人間を超えたものとなり、ひとり対集団という状況になってもいます。実際になんなしさんの問題とされるツイートと同時期に、別のアカウントからルイスさんへの攻撃が確認できます。
また、民族ルーツに関わる名前をZさんが揶揄し、それをなんなしさんが笑いにしたやりとりのツイートはどうでしょうか。この行為に至る前段になにかやりとりがあるとしても [2] 、それとは関係なく、他者の名を中傷・嘲笑すること、その民族ルーツを揶揄の材料にすることは、蔑視に他なりません。このような蔑視を笑いながら仲間内でやる。お気軽に「つついちゃったわ」と言いながら、他者をいじる。この一点において、Zさんとなんなしさんの行為は大変に差別的であり、間違ったものと言えるでしょう。これを正当化できる理由がぼくには思いつきません。
また、ここではルイスさんの名乗りが、民族ルーツからのものだという可能性など一顧だにされていないことが分かります。それ自体は「迂闊」で済むことかもしれませんが、それをネタに揶揄するなら、それこそレイシャルハラスメント に対する「思慮深さ」の問題があったと言えるでしょう。
行為Aは、このように多分に不当なものを孕んでいたと言えるのではないでしょうか。

ルイスさんはこのDMのなかですでに「ネットリンチ」という言葉を使っています。行為Aがあったその時点で、ルイスさんがそう受け止めていたことを(価値判断には使いませんが)、指摘しておきます。DMの言葉は、このリンチが個からの私刑なのか、集団からなのかを明らかにはしていません。ですが、ルイスさんを攻撃しているひとは、上に書いたようにこの時点ですでに複数いるということも注目すべきですし、上記の仲間内での嘲笑ということ、散見される仲間内からのリプライが、集団からのリンチを物語っている、そういう状況が見て取れます。

行為Bはどうでしょうか。たくさんの嫌がらせと、差別的で間違った言動を含む行為Aに対して、削除と謝罪を求めることは、正当な訴えです。このことに誰かから異論があるとは思えません。ストレスに感じるほどたくさんの嫌がらせを受け、かつ名を笑いの材料にされたのです。名はそのひとのアイデンティティです。それが民族ルーツに関わるものであれば、アイデンティティ・ポリティクスとも関係してくるものです。それを棄損されたなら、それに対して「怒る」ことは、真っ当な反応です。

では、そのなかでなんなしさんの名を呼びかけたことは、どうでしょうか。在日コリアンが名を暴かれることの恐怖は想像できます。ですが、ここでは行為Aという不当行為に対抗するなかで行われたことであることを、無視するわけにはいきません。不当なことをする相手に自制を求めるときに、少しでも相手にプレッシャーをかける必要をルイスさんが感じていたかどうか、というようなことは外から判断できませんし、それをする必要はありません。なぜなら、名は公的なものであるために、プライバシー保護の観点では護られないと見ることが可能だからです。また個人の感情を理由にしても、必ず護られなければならないものとはなりません。
そして端的にこれは事実として、ルイスさんはこれを公の場で晒したわけではありません。晒すつもりがないことをDMのなかで明言していたことも確認できます。この部分をドキシングにあたると考える方もいるでしょう。ですが実際はそうなってはいません。[3]

行為Bをモラルで計るひとがいることは、理解できます。在日コリアンの名を明かすなんて酷いと考えるのは、ある程度理解できますが、それ自体はモラルの範疇ではないでしょうか。なんなしさんが「恐怖を感じた」としても、冷たい言い方ですが、それ自体が不当行為とはならないでしょう。そもそもここでは、なんなしさん自身の行為Aによって、引き起こされたなりゆきだと考えるのが妥当です。行為Aによって行為Bが起こされたのは、事実です。モラルとしてどうなのかという部分があったとしても、この事実はゆるぎません。
ただし状況として、対抗するために相手のマイノリティ属性を利用したと見ることは、十分可能だとも思えます。そこにハラスメント性が無いとまでは、断言できないでしょう。ですので、この名指しをハラスメントとし、モラルとして問題視するのであれば、それはこことはまた別の場で(前提3の無い場で)議論するとよいと考えます。[4]

名は、個人にとって自身のもの・アイデンティティであり、なおかつ公的には自分のコントロールを離れたものとして扱われもします。それは矛盾しているようですが、そのことに対して駄々をこねてもしかたがありません。
この部分を理解できなければ、この件はどこまで行っても理解できないでしょう。
行為Bに明確な不当性は認められない。ただしハラスメント的要素 [5] を見ることは可能だ。とはいえ、行為Bは行為Aに対抗するために行われたものだ。そのように考えています。

また、このDMのなかでなんなしさんが元共産党の議員に相談した、弁護士に相談する、行為Bは恫喝だとか脅迫にあたるというようなことを言っていますが、それは何の根拠にもなりません。これに際して、ルイスさんが自分の行為Bが「脅迫」なのだと受け止め、謝罪しましたが、後ほどそれが脅迫には当たらないであろうことが理解されました。それでもルイスさんは、謝罪を撤回していません。二度謝罪を繰り返しています。これは、上記のようにモラルを鑑みた上での謝罪と言えるでしょう。ここでは前提3に従って、この謝罪についての評価はしません。


〈2〉行為C
そして、この後ルイスさんに対して行為Bを責めるツイートが大量に始まります。これは、行為Bが行為Aによって引き起こされたことを無視したかたちで行われています。それを無視したまま、行為Bに対する非難のみが行われます。またそのなかには、侮蔑的な中傷と言える表現も散見されます。これを行為Cとしましょう。

この行為Cは、なぜ行為Aの存在を無視しているのでしょうか。そのことに、何か正当な理由はありますか?
ルイスさんは、上記のように行為Bについてモラルの面から謝罪をしました。ですが行為Cは止みません。謝罪の仕方に難癖をつけながら、行為Cは続いています。また、すでに謝罪しているにもかかわらず、まだ謝罪していないかのようにそれを求めるツイートもあります。そこでは、論点がすり替えられ、大量の難癖が延々と続けられているようです。そして、行為Bのなかにレイシャルハラスメント的部分があると誤解して、「差別」だと指弾するものも見受けられます。 [6] 差別ではないものを、差別と言うのは捏造です。これらの行為Cには、論理的一貫性がありません。複数人によって行われているから、それぞれが主張していると言えばそれまでですが。ですが、その一貫性の無さは、ただ行為Cのなかにある攻撃性だけを際立たせています。そうなると、これらはすでに「攻撃のための攻撃」に過ぎなくなっているようにも考えられます。

とっくに謝罪しているにもかかわらず(二度も)、いまだに謝罪すべきなどと言ってるものなど、行為Cの例を挙げておきます。
https://twitter.com/jo_ta_haha/status/1435944603081854984?s=20
https://twitter.com/yosojiDarlin/status/1431222133321977858?s=20

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 [7] 


以下は参考として。弁護士の上瀧浩子さんが、行為Bは脅迫に当たらないと明言しています。そして、上瀧さんも行為Aによって行為Bが起こされたことを重視されています。これは専門家からの重要な指摘だと考えています。
https://twitter.com/sanngatuusagino/status/1435442827803062279?s=20
https://twitter.com/sanngatuusagino/status/1436100886825103382?s=20

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この行為Cを行っている複数のアカウントを観察すると、ひとつのパターンがあるようです。それは日常的にTwitter上で仲間内のように親しくしているアカウント同士が多くいるよう見受けられることです。もちろん、みなさんのTwitterの使い方や、その上での友達とのつきあい方など、他者が口出しするようなことではありません。ですが、それらが示し合わせたように、ルイスさんに向けて行為Cを行っているようです。これをここでは「馴れ合いの居場所系群」と名付けておきましょう。これは揶揄がこもっている名付け方ですが、それについての正当な理由は〈6〉で後述します。
「馴れ合いの居場所系群」を正確にここからここまでの範囲と示すことは、外から観察する者にはできません。それははっきりした輪郭を持たないとはいえ、ルイスさんを攻撃することで現に表出しています。そんな状況があるよう見えているに過ぎないと考えることができないほど、同じプレーヤーたちによってツイート・リプライが行われていることが確認できます。

行為Cは、差別的で他者を侮蔑する行為Aについて触れず、行為Bのみを問題視します。つまり「馴れ合いの居場所系群」にとっては「公正さ」など関係がありません。このことは端的に言って、いじめ・ネットリンチが行われていることの証拠となり得るでしょう。公正さを無視する、つまり仲間内の不当な行為Aをあえて不問にし、行為Bが不当だと強弁し、大量の攻撃がひとりに向けられている。その現象を、いじめ・ネットリンチと呼ばない理由はどこにありますか? ですのでこれを〈根拠1〉としておきます。


〈3〉遊びで気軽にやってんじゃねえよ
この行為Cは、すでに10日以上続いています。ルイスさんはずっとそれに対応しています。そしてその過程で、ルイスさん自身が論を尽くすことを止めている場面も見受けられます。それは状況からすれば当然かもしれません。理不尽な攻撃に対し説明をしても、次から次へと話の論点をすり替え、ときには無かったことさえあったように語りながら攻撃が続くのです。まともに相手をしていられるわけがありません。ですので現在では罵倒のやりあいのような状況が見受けられます。そして、その状況を見て、さもそれがルイスさんの行儀の悪さ=ルイスさんの不当さの証明のように言うツイートさえあります。その状況になった原因を無視して、このようにルイスさんを悪し様に言うことが、目的化しているのではないでしょうか。
ルイスさんからのも含む罵倒・行儀の悪さについては、モラルの問題ですので、繰り返しますがここでは何の評価もしません。

そして、そのようななかから、このnote冒頭のツイートがあらわれます。いじめに加担していた「馴れ合いの居場所系群」が、「ユーイチに飽きたよ…..とっくに」「まだやってる」と発しているのです。つまり、この連中にとっては、行為Cは遊びです。「ユーイチ」はまるで格好なおもちゃのようです。行為Cとは、飽きたら簡単に止められるもの、自分が関わっていたにもかかわらず、都合勝手にそれから離れ、まだやってる、、などと自分を外側に置き、気楽に、安全に言えるものだったことが、これらのツイートから明らかになりました。このツイートについて意図が違うなどと弁明を試みたところで、屁理屈にしかなりません。醜悪な人間性がこのツイートたちには表れているとさえ考えています。行為Bのなかに、もし本当に過失があったのであれば、それを自分の言葉で論を尽くして語ればよいのです。ですが、それさえ放棄して「まだやってる」だと、マジでふざけんなよと第三者でさえが激怒するのは、当然ではないでしょうか。
攻撃に遭っている者は、止めてくれと言っても逃れられず、そのことに日常の時間を削られています。実際にルイスさんは、関係ないひとは後から入ってきて絡んで来ないでくれともツイートしていますが、それは無視されたままです。
行為Cが、ルイスさんをおもちゃのように扱い、笑いのネタにし、遊びのように行われている状況、理不尽で無責任な卑怯者たちによって行われている状況は、これがいじめ・ネットリンチであることの根拠と言えるでしょう。ですのでこれを〈根拠2〉としておきます。
https://twitter.com/ndeco_jp/status/1435922168555073542?s=20
https://twitter.com/fuwafuwadamon/status/1435573677605539841?s=20

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〈4〉いじめであること
〈根拠1〉 
一方の不当さを不問にし、一方のみを大勢で攻撃するように、行為Cは行われている。
〈根拠2〉 
飽きたら簡単にやめることができ、安全な場所からまだやってるんだ、などと言うことができる。そういう遊びとして、行為Cは行われている。

このふたつを元に、これはいじめであり、卑劣なネットリンチであることが説明できたと考えます。


〈5〉行為Aについてふたたび
それでは、なんなしさん(およびZさんなどその他)は、行為Aについてどのような態度を取っているのでしょうか。これまで、これを書いている時点(9/10,20:30)では、ルイスさんの削除・謝罪の要請が叶った事実は確認できません。
そして「馴れ合いの居場所系群」はそのことをほぼ問題視しておらず、その不公平さについて指摘していないようです。いや、問題視していない連中が「馴れ合いの居場所系群」だと言えるのでしょうか。
これは、大きな問題です。なぜこれが問題なのか、話は続きます。


〈6〉「馴れ合いの居場所系群」
まず、確認ですが、この一群はこれまで差別に反対することを表明し、在日コリアン差別に反対する路上の活動に関わったり、またTwitter上でトランスジェンダー差別に反対するツイートをしている者が多くいるようです。プロフィールに、反差別のためにTwitterを利用する旨を書いている者もいます。
これまで書いてきたように、行為Aはレイシャルハラスメントを孕む、他者を揶揄・嘲笑するものでした。そして、その後の経緯を見ると、ルイスさんの主体性を疎かにする言動を多く見ることができます。例えばルイスさんが他者(そこにはぼくや野間易通が含まれます)からの指摘を元に、考えを改めたり学んだりすることに対して、「尊師」に仕える「犬」などの罵声が浴びせられました。このような侮蔑的な言葉は、他者の尊厳を認めず、そのひとには主体性がないよう扱い、誰かのいいなりの存在のように扱うものだと言えるでしょう。そこには「差別の芽」があると言えるのではないでしょうか。
個人に対する差別は、他者の主体性を認めないこと、他者の人格を否定するところから始まると言うこともできるのではないでしょうか。

このように差別的な振る舞いが、「反差別」に関わる連中によって行われています。そのとき、その「反差別」は説得力を失います。片方で差別に反対しながら、片方では誰かを差別的に扱っている。そんなところの「反差別」など、なんの効力も持ちません。
ですが、連中はお互いにその状況をよしとして、そのまま「反差別」あるいは「マイノリティへの寄り添い」などを共通項としてつながっているようです。掲げるものがすでに空虚であることに気づきもせず、そのつながりに何か意味を見いだしている。言葉の意味など無視して、その言葉があたかもそこに意味ありげに置かれているように勘違いしている。そして、何より不公正さを進んで体現しているのです。そうすると、連中にあるのは反差別のための公正さではなく、その「場所」「つながり」だけということになります。その場所を居場所にし、居場所を維持するために共通の敵を攻撃したり、他者をおもちゃにして遊び、そのことでつながりを確認し合っている。そのような状況が実際に生まれているのです。このことは、彼ら彼女らの意志や意図とは関係ありません。そういう状況が実際にあるのです。
だからこの連中を「馴れ合いの居場所系群」と呼ぶことにします。大変に揶揄・嫌みの強い名付け方ですが、上記のような理由を考えれば、妥当な呼び名だと言えるのではないでしょうか。

また行為Cのなかには、「馴れ合いの居場所系群」とは距離を置いた場所から、マイノリティ当事者を攻撃しないで欲しいという「善意」からモラルを訴えるひともいるようです。ごくわずかですが、行為Cのなかで、Zさんによるルイスさんの名を貶めるツイートを諫める意見も確認できました。ただその意見を言ったひとも、たくさんの行為Cにあたるツイートをルイスさんに向け送っています。そのひとたちを雑に、ネットリンチでつながる「馴れ合いの居場所系群」に含めていいものだろうかという迷いもあります。ただ、その線引きは明確にできないこともあり、これについては悩ましい、、と感じていることは、正直に書いておきます。また、行為Aを見ずに行為Bだけを知った流れで自ら参戦した「善意」のひとに、粗忽さがあると考えるのは間違いではありません。被害者をかばうつもりで、本当の被害者を攻撃しているのです。これについては、どうか自省されることを望みます。またモラルを語るのであれば、行為AーBを整理したうえで、改めて行っていただきたいです。


〈7〉当事者性の悪用1
続いて、もうひとつの状況について書きます。これも大きな問題だと考えています。ルイスさんに向けられた行為Cによって、実際に起こってしまっている状況です。繰り返しになりますが行為Cは、在日コリアンに名を当てるなんて差別的で酷いことだ、マイノリティの民族名は本人の意図以外には扱ってはならない、という話の筋で行われているものが含まれています。そして、そのことによって、なんなしさんは結果的に護られることになります。
不当である行為Aを行っておきながら、なんなしさんご本人の属性である在日コリアンが、行為Aの悪質さを不問にするための盾として働いています。これは、意図など関係なく、マイノリティであることが不当な行為の免罪として働いている状況だと言えます。つまり、マイノリティ当事者であることの悪用です。このことは論外です。

実際にこれと似たようなことは、別の場所でも起こりえるものです。「馴れ合いの居場所系群」の多くがしている #トランス差別に反対します というツイート。これはトランスジェンダーを嫌悪し排除しようとする者たち(トランスフォーブ)を批判するためのツイートです。その批判の先には、TERFと呼ばれる一群がいます。TERFは、トランス差別を正当化するために、男性からの性差別被害に遭いやすい女性(ここでは特にシス女性)という属性を盾に使う者たちです。ここではトランスジェンダー女性が「男性」というミスジェンダリングを受け加害者として扱われ、TERFを批判する男性の反トランス差別アカウントは、ミソジニーの性加害者とされます。つまり、差別の正当化に差別を受けている属性(女性)が利用されているのです。「馴れ合いの居場所系群」もこの理屈は理解していることでしょう。このTERFにおける構図と、今回のことは細部は当然違います。ですが、マイノリティ当事者であることの悪用については、共通するものなのです。
差別ではない行為Bを、差別だと都合勝手に捏造・認定することは、こういうことを引き起こします。

そのときに、これに加担している「馴れ合いの居場所系群」の叫ぶ#トランス差別に反対します、にはどれだけの説得力や効力があるでしょうか。〈6〉で書いたのと同様に、〈7〉の状況でも、「反差別」は空しく中身空っぽとなっているのです。これは本来の「反差別」のためのさまざまな動きにとっても、決して見過ごせるものではないのではないでしょうか。[8]


〈8〉当事者性の悪用2
当事者性を悪用することは、もうひとつの問題を孕んでいます。今回の件で、それはあまり目立って見えているわけではないですが、指摘しておきます。
まず原則的な事実として、マイノリティ当事者というものは、例えば在日コリアンは、その内訳が同質的なひとつのものではないことを指摘しておきます。そこにはひとつの属性として括られきらない、さまざまな状況の個人の人生が、活き活きとした人生が含まれています。ですが、当事者性を悪用する者たちは、そのさまざまなものを無視し、ひとつの集約された意見のように装って当事者性を利用します。それは、さまざまな立場の当事者への裏切りと言えるでしょう。
これは、TERFがトランスジェンダー差別に反対するシス女性たちを無視することで、自らの唱える理屈を成り立たせようとしている状況とも、重なっているのではないでしょうか。


〈9〉野間易通およびC.R.A.C.について
すでに書きましたが、「馴れ合いの居場所系群」のなかにはルイスさんの主体性を無視し、彼のことを野間易通を信仰するカルトのしもべかなにかのように書くものが、たくさん確認できます。
そのことから、今回の問題のなかには、ルイスさん個人への攻撃ではなく、野間易通およびC.R.A.C.に対する憎悪や私怨の代理戦争のような匂いを嗅ぎとることができると考えています。
https://twitter.com/momimak27/status/1429356718434119681?s=20

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もし、そのようなことが「馴れ合いの居場所系群」の言動に通底しているならば、まったくバカバカしい話です。野間易通と喧嘩がしたいなら、彼のいるFacebookに行くべきです。野間さんは過去の凍結などによりTwitterのアカウントがつくれない状況にあるようです。Facebookは実名でなければアカウントつくれないという議論がありましたが、端的に言ってそれは間違いです。規約では実名なら可能とされています。実名とは、つまり社会的に使用している通称名でつくれるということです。ぼくの友人のミュージシャンの何人もが、本名ではなくバンドで名乗っているニックネームでFacebookのアカウントを運用しています。そうやってアカウントをつくる際に何かの証明を求められることはありません。こういったことからTwitterに来られない野間さんの方が、不平等な位置にあるという主張は妥当なものではないでしょうか。ぜひそっちへ行ってください。代理戦争かなにかは、はた迷惑なことです。
また、このnoteを書くことで、ぼく自身も「馴れ合いの居場所系群」の攻撃対象となることは明白でしょう。煽る気はありませんが、ぼく自身、C.R.A.C.のメンバーでもありますし。すでにブロックして反論を封じておきながら、適当なことを書かれているものもあるようです。
それらについては、ただただ卑怯だと言っておきます。


〈10〉ふざけんなよ(まとめ)
以上書いてきたように、ルイスさんの受けているいじめ・ネットリンチは、大変問題の多い、卑怯な行為です。
卑劣な加害者集団である「馴れ合いの居場所系群」によって、反差別の運動や、その他彼ら彼女らが参加する社会運動が力を失うことになるかどうか、ぼくは判断しかねます。ですが、間違いなくその連中個人個人のレベルにおいて、唱える反差別は、中身のない空虚なものだと言えます。それをご本人たちが、どう考えるかはご勝手にと思いますが、せめて、なんなしさんは行為Aについて誠実にルイスさんの要請を受け入れ、削除と謝罪をすべきだと考えます。また、そこに絡みついて行為Cをやっている「馴れ合いの居場所系群」に対しても、同様に考えています。

今後これらの要請を無視することで、「馴れ合いの居場所系群」は自分たちの壁を高くし、それに護られた薄暗い底に集ってタコツボと化すでしょうか。隠れたところで、身内だけに通じるオハヨーとかの挨拶をしあいながら。それとも何食わぬ顔をして、今後ルイスさんには近寄らず、その他大勢の匿名のなかに埋没していくでしょうか。どちらにしても、要請に応えなければ、酷い結果になると思います。もしそうなったら、少なくともぼくはいつまでも、ふざけんなよ「馴れ合いの居場所系群」めが、と思い続けることでしょう。
今回のことはすでにルイスさん自身の受け止め方を離れ、多くの差別に反対するひとたちのなかを貫く問題となっています。それを知ってもらうために、このテキストを書きました。


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[1] モラルを共有し、前提とするには、実際には信頼関係と呼べるものがなければ難しいのではないでしょうか。社会のなかに散在するいろんなモラルが、前提とされているようでいて、実際はされていないのも、任意のマスとマスとの間に信頼関係がつくりがたい状況があることが関係しているように思います。だから、モラルではなくルールをつくれという考えが出てきます。そうすると、公共と自由の兼ね合いが問題になってきて、日本社会はそれを議論するための前提や基礎が整っていないことが前景化するのです。横道にそれました。
もしモラルに対して信頼関係が与するなら、ルイスさんとなんなしさんの間には、信頼関係など生まれ得ない行為Aその他もろもろが存在することで、この問題をモラルで語ることなどできない、と説明できるとも考えています。

[2] この部分、ツイートを遡ってみると、それ以前からなんなしさんだけではなく、Zさん、品川太郎さん、地獄のCURRy(通りもん)さん、お座敷の石迺つぶてさんなどなどその他大勢から、執拗にルイスさんが絡まれている(ルイスさんが絡んでいる可能性もあるでしょう)ことが確認できます。これは、以前から集団が個を攻撃していたと言えることかもしれませんが、前提2に従って話を進めるために、あえてここでは評価しません。

[3] ドキシングやスクショを貼ることについて補足します。ドキシングは、差別者に対して、多くのひとがこれまでやってきたことですよね。それは、相応の正当と言える理由があってのことでしょう。差別者を萎縮させる。慌てさせる。脅かす。とにかく、差別という不当行為を続けさせないため、抑止効果や社会的制裁につなげるためのものです。行為Aに対して、仮にルイスさんがドキシング効果を狙ってなんなしさんに名を呼びかけたのだとしたら、その後のなんなしさんの慌てぶりから、十分に効果的だったと言えるでしょう。ですが、実際にはルイスさんがドキシング効果を狙っていたのかどうか、ぼくには確証が無いために、これはもしそうであったらという話に過ぎません。DMを見る限りは、ただ名を呼びかけたようにも見えます。いずれにせよ、これが脅迫などに当たらないことは変わりません。
なんなしさんは、DMでもその後のツイートでも、執拗に名前をどうやって知ったのかを確認したがっています。ですが、それに応えるかどうかは、ルイスさんの自由です。そこに義務などありません。行為Aを行っておきながら、自分が反撃されたら慌てる。これはドキシングにあった差別者の様子と似ています。そして、自分の加害を棚に置き、ドキシングを被害ととらえ被害者として振る舞い始めるのも、同様です。またドキシングの情報源を突き止めようとする行為の裏には、情報源へのアプローチなどのなかに違法性を見つけ、それを対抗の材料にしようという意図が感じられます。要は武器がないものだから慌てて必死なんですね。
ぼくはネトウヨ差別者のドキシングわりとやってますよ。ちょっと裏話ですが、川崎のヘイト街宣の参加者である津金某の名を突き止めたのは、実はぼくです。一切不当なことはせず、ちょっとした知恵を使ってこれは特定しました。そして、然るべきタイミングでより効果的に公表するためにしばらくの間ちょっと熟成させ、ぼく以外の方の手によって公表されました。ただしこれは事前に、あなたの名前に間違いないか、公表するけれど構わないか、と本人に確認した後に公表されたので、厳密にいうとドキシングではなかったのですが。その他にも、複数のネトウヨ差別者の名や住所を特定しています。だって、それで差別者が活動しにくくなるなら、不当な行為が減るなら、ある程度は許される範囲ではないでしょうか。実際に津金もヘイト街宣に来る回数ぐっと減りましたし。このような文脈のなかで正当性が主張できるドキシングは、ひとまず問題ないものと扱いたいです。
プロフにスクショ禁止と書いてる「馴れ合いの居場所系群」は複数いるようですが、これについては何の拘束力もありません。これには「お願い」という程度の効果しかありません。Twitterのなかで投稿をどう扱うかをコントロールできるのは、プラットフォームの運営者のみです。またプラットフォームから提供された機能の範囲です。ドキシングと同様に、スクショが貼られる文脈が重視されるのは、当然です。悪意のためにされるものは、批判されるでしょう。そのことよりも、すでに書いたように批判を封じ込めるために主張されるスクショ禁止は、ただただ卑怯者の証明と言えるでしょう。これはほんと恥知らずなことですよ。
また、ルイスさんはなんなしさんとの間で交わしたDMを公開しています。なんなしさんは、これは自分の同意を得ていないために不当のように訴えているようです。これは、どう考えるといいでしょうか。まず、ルイスさんは、内側でのやりとりを公開することで、なんなしさんが表でDMの内容について嘘をついたり自身に有利なように印象操作をすることから、自分の身を守ることが来ます。それは、同時にルイスさんのDMでの言葉が多くのひとの目で裁かれることも意味します。ルイスさんに非があれば隠せないものとなります。これは、もちろんなんなしさんにとっても全く同様のことが言えます。ですがなんなしさんは、これを嫌がっています。なんで嫌がるのか、その理由は分かりません。相手の同意を得ずDMを公開することがどのような罪になるのかという話とは別に、事実を多くのひとに見せ、諍いに対しての公正な判断を仰ぐことは、妥当なことだと考えられます。そもそも、ひとまえに出せないような裏での会話は極力避けておいた方が、あとあとの自分にとってもリスクが少ない、という考えもあります。今回、ルイスさんがDMを公開することは、行為Aの不当さを訴えるために必要な範囲のことと考えています。
ドキシングもスクショも、されたくないなら、されないような行動を心がけるしかないのではないでしょうか。繰り返しになりますが、悪意を持ってされるそれらは、確かに卑劣な行為です。ですが、卑劣な行為に対抗してされるそれらは、ある程度の正当性があると言えますよね。だから、せめて卑劣な行為は慎むべきでしょう。それが自身の匿名性を護る鍵になるはずです。
また、ドキシングを行う者は、当然その報復としてドキシングされる危険を伴っています。ぼくは本名でTwitterをやっていますから、ドキシングされることはないようなものですが。それは言い換えれば、差別者をドキシングすることの重みのようなものを引き受けている、その意味ですでに自分の本名を出していると言えるかもしれません。これは別に誇って言うのではなく。とにかく個人がさまざまな自分の状況のなかで、責任を引き受けながら自分の選択をするしかない、ということだと思います。

[4] このセクションについては、百日紅さんよりテキスト公開後に内容へのご指摘をいただき、それを参考にして修正を加えました。
指摘のツイートはこちらです。ありがとうございました。
https://twitter.com/kmrke/status/1436598368977907715?s=20

元の文章では、行為Bをハラスメントと捉えた場合、そこには次のふたつの層があることを整理できておらず、誤謬が生じていました。ひとつは、行為Bを単純にハラスメントと捉えること。もうひとつは、名指すことで、そこに在日コリアンという属性を発露させるレイシャルなハラスメントとして捉えることです。その切り分けを意識しないまま、元の文章では行為Bにレイシャルハラスメント性を認めるように書いていました。
ですが、なんなしさんは在日コリアンであることを自ら公けにした状態でTwitterを利用していました。ですので、行為Bをハラスメントとした場合、実際にはそのなかにレイシャルハラスメント性はありません。すでに公開していたものを、初めて暴露したのではないからです。これらをひとまず整理して、文章を修正しました。

修正前の文章は以下のようになります。
「ただし状況として、対抗するために相手のマイノリティ属性を利用したと見ることは、十分可能だとも思えます。そこにレイシャルハラスメント性が無いとまでは、断言できないでしょう。ですので、この名指しをレイシャルハラスメント的な意味のモラルとして問題視するのであれば、それはこことはまた別の場で(前提3の無い場で)議論するとよいと考えます。」

[5] ここは[4]と同様の理由で公開後に修正を加えています。
修正前 「レイシャルハラスメント的要素」

[6]
 ここは[4]と同様の理由で公開後に修正を加えています。
修正前 「そして、行為Bをそのレイシャルハラスメント的部分から「差別」だと指弾するものも見受けられます。」

[7] 公開時にこちらの画像に、さいとうじゅんいちさんのツイートとは関係ないお座敷の石迺つぶてさんのツイートが一緒に写り込んでおり、さいとうじゅんいちさんのツイートに対するリプライのように見えていました。これは、ぼくがTwitterで画像を検索し(「@momimak27 脅迫」で検索しました)切り出す際にリプライと勘違いし、わざわざ一緒に切り出したものでした。これについて、お座敷の石迺つぶてさんにはご迷惑おかけし、大変申し訳ありませんでした。修正しお詫びいたします。
ご指摘いただいた際のツイート
https://twitter.com/tobi_masu/status/1436623057892700170?s=20
修正前の画像に誤って含んでしまっていたツイート
https://twitter.com/tobi_masu/status/1399742114079023104?s=20

[8] 「馴れ合いの居場所系群」について〈6〉で書いたことを補足する意味も兼ねて、追記しておきます。「馴れ合いの居場所系群」の叫ぶ差別反対は、実はもうひとつの状況を生んでいます。彼ら彼女らが在日コリアン差別をするネトウヨや、トランス差別をするTERFに対して、集団でわっと集まって攻撃をする状況が、実はルイスさんを敵視し集団で攻撃する状況と重なってしまうのです。ルイスさんへのネットリンチの構図から、対象であるルイスさんを外し、そこに差別者を置いてみましょう。そうするとその攻撃は、差別者へ向けたよい糾弾となり、批判されることはありません。反差別のためによくがんばってるくらいの見え方さえするでしょう。やってることは同じ「馴れ合いの居場所系群」のつながりの確認作業かもしれないけれど、それが反差別をまとうことで粉飾される状況が生まれる、そういう見方も可能となります。
いやいや、それでも差別者を叱るのは大切なこと、敬意を払うべきこと、と評価するひともいるでしょう。それはそうかもしれません。どうなんでしょう。この集団でわっと集まってというのが反差別のやり方(手段・表現)についての話となるならば、前提3のモラルの話に置き換えることも可能です。ですので、これについては評価をしないでおきます。こんな風に言える状況が生まれているという指摘に留めます。

[余談]
このいじめの周縁でやりとりされた言葉のなかには、このnoteで触れなかったものもあります。在日コリアンというマイノリティ当事者性について、気持ちが引っかかったままの方もいると思います。なかにはぼくと人間関係のある方もいるでしょう。このnoteで伝えきれないものは、いずれ個別に話ができたらと考えています。

1 涅槃さんに対して
https://twitter.com/trailights/status/1427135710079848452?s=20
2 通りもんさんに対して
https://twitter.com/trailights/status/1430847032193732613?s=20
3 memgomaさんに対して
https://twitter.com/trailights/status/1431093930234310660?s=20
4 不特定に向け
https://twitter.com/trailights/status/1435498735832682497?s=20
5 不特定に向け
https://twitter.com/trailights/status/1435498735832682497?s=20
このnoteを書く以前の、この件についての主なぼくのツイート群を列挙しておきます。
これらを見ると、当初ぼくはこの件について生ぬるいツイートに留めていたことが分かると思います。例えば1の涅槃さんへのツイートでは、よく分からない面倒なことに巻き込まないでくれという感じが出ています。それは正直な気持ちですが、かと言って、これはいじめ的なものではないかと気づかずいたわけではありません。通りもんさんのツイートは、ブロックしておきながら好き勝手書くという、これは卑怯なやつでしたね。ただこれらへの自分からの返答は、この問題を正面からは書いていません。この時点では、たずねられたことに答え、誤認を正してるだけです。
「馴れ合いの居場所系群」の個々のプレーヤーはここに登場させた以上にたくさんいて、個別に名指すことは避けましたが、本来なら個々に叱られて当然だと思っています。ただ、このnoteで書いた指摘が、属人的に回収されることで、本当に伝えたいことが鈍るように思え、控えています。
この問題を、自分もできるだけ属人的に裁かないように気をつけたつもりですが、それがうまく行ったかはよく分かりません。弁明でもなんでもなく書きますが、これは〈10〉 で書いたように多くのひとにとっての問題であると同時に、どこまでもルイスさんの身に降りかかった問題でもあります。問題というか、ぼくはルイスさんの喧嘩だと思っているところもあります。つまり、他人の喧嘩に加勢するつもりでぼくが出しゃばるのは、ちょっと失礼じゃないかな、それこそ本人の主体性を善意のおせっかいで無視することにならないかな、と考えていたのです。この考えは、いまもあります。そして、ルイスさんは、ひとりで喧嘩ができるひとだろう、と考えていた部分もあります。この考えは、いまでも持っています。こういうことが、生ぬるくなっている背景にあります。
ですが、いつまで経ってもこのいじめの状況は止みませんでした。さらに新たな参戦者がちょいちょいあらわれ増えているようでした。「馴れ合いの居場所系群」を批判するアカウントは少数ですが、ちゃんといました。信頼のおけるひとたちだと思っています。それら任せてしまったことは、心苦しく思います。このことを自分がちゃんと書こうとすると、ツイートではちょっと納まらないなと思っていたので、手をつけるのが遅くなってしまったというのは言い訳でもあり、本当です。また、ここに積極的に自分が関わることは「馴れ合いの居場所系群」vs「野間易通およびC.R.A.C.」という見え方を強化してしまうことも頭をよぎりました。そんなことを理由にして控えることもなかったのですが、バカに燃料を与えるのもシャクにさわりますよね。まぁそういう逡巡があったことはメモしておきます。

そんなあれこれの数日の後に、冒頭の「飽きたよ」「まだやってる」が出てきたのです。すでに書いたようにこのツイートの卑怯さは、多くのひとがこれがいじめなのだと理解できる材料でもありました。よく分からない誰かと誰かの喧嘩などではなく、遊びで、気軽に、安全な場所から行われるいじめの証拠です。そしてこの「飽きたよ」にリプライで、なんなしさんが泣くほど笑って応えているのです。これほど、これが醜悪ないじめである証拠はありません。
https://twitter.com/momimak27/status/1435574597689114630?s=20

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