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(続続)0930文化庁前

前の投稿から5ヶ月が経った。その後を書かねばと思いながら、なんとなく筆が重かったのだけど、区切りとして少し書いておく。
吉開菜央さんからは、彼女の文化省前での言動について、個人的に謝罪のメールをいただいた。10/4のことだ。あの夜のあと、しばらく彼女は山川冬樹さんとツイッター上でやりとりをされていた。その中で心境の変化があったのだろう。ご自身のHPにも文章をあげている。
https://naoyoshigai.com/0930-bunkacho-speech-1041.html

いま考えてみると、当初の彼女の言い分はこれまでもどこかで散見することがあった「ファック・ポリコレ!」であり、それに対しては「ポリコレによって不当に萎縮させられるほどの表現への抑圧は、いまのところ日本には無い。」と返すしかない。要するに「ファック・ポリコレ!」はどちらかいうと差別加担の言い訳に使われる場面の方が多いということ。差別加担というか、差別消費というか。ポリコレで困るような状況が実際にあるなら、差別はきっとすでに多く解消されているだろう。解消しているのにさらに被差別者が権利を求めるのは、被差別を傘に来た不当な権利要求であり、他者への権利侵害だという理屈は、ありもしない「在日特権」とまぁ同じようなものにしかならない。実際には、差別はまったく解消されていない。いまに至っても。
吉開さんの言葉によれば、そうではなく今回は無知・無理解からのことなのだろう。当然、無知で免罪されるようなことはない。意図せずとも、ひとは他者を気づかず踏んでしまう。そのことを、こころにいつも留めておこう。

実は、前のnoteは旅先のホテルで書いた。そして、その旅先で自分のツイッターアカウトは凍結されてしまった。とてもくだらない、ある冷笑ヘイトネトウヨを揶揄したツイートひとつのために。罵倒でさえなかった。
ツイッターが書けなくなったこと、そしてそれが旅先だったことで、本来ならすぐにでも書けばよかったこのnoteを投稿することへすっと気持ちが向かって行かず、なんだか半年近くも経ってしまった。これは言い訳なんだけど。

その間に、さまざまな差別を露呈する出来事があり、それについて書きたいとも思っていたのだけれど、気が進まなかった。言うほどたいしたことではないけれど、ツイッターがやれなくなったことが、自分の言葉を奪われる体験として日々なんとなく居心地の悪いものとしてずっとのしかかり、続いていた。それに慣れてきたので、やっとこれも書ける気になった、というのは実は大袈裟でもなんでもない。

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