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メッセージ

津久井やまゆり園の大量殺傷事件の犯人に対して、横浜地裁は死刑判決を出した。最大級の量刑が出されることは十分理解する。だけれど死刑そのものに反対の立場をとっている自分としては、納得しこれでよかったなどとは到底思えない。
なにより、今回の犯人は被害者となった障害者たちを「生きている価値のないもの」と考え標的にした。生きている価値のないひとなど、どこにも居はしないし、それを誰かが断定できるわけもない。
死刑は、更生が見込めないと考えられるものに与えられるのではないか。だが、更生が見込めないものは、それがそのまま「生きている価値のないもの」ではないはずだ。
誰かを「生きている価値がない」と殺した犯人へ向け社会が発するメッセージは、「生きている価値がないものなど、どこにもいない」であるべきで、それはどうしても「おまえもそこに含まれる」が込みでなければならない。そうでなければそのメッセージは自己矛盾を伴ってしまう。
この死刑判決は、「あいつらには生きている価値がない」と言う犯人に向けて、「おまえこそ生きている価値などない」と言っているように思える。やはりそれは間違ったメッセージだと思うのだ。

追記
投稿した後に、神奈川新聞に同様の記事が掲載されていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200318-00000009-kana-soci

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