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下川友暉のプロフィール

ご覧いただきありがとうございます!こちら、下川友暉のプロフィールページです。略歴や各種アカウントなどをまとめております。

スポーツ人材会社の上場企業でマネージャーをしながら、社団法人の経営に携わっています。

パラスポーツの世界観を広めていきたい

ぼくが車椅子ソフトボールに出会ったのは、大学1年生。北九州市立大学地域創生学群のゼミ活動のときでした。

福祉・スポーツコースのゼミを選択し、配属されたのが偶然、パラスポーツのゼミで。大学1年生のときはブラインドサッカー、車椅子バスケ、車椅子バドミントンなどまんべんなくいろんなパラスポーツを経験しました。

そのなかで、ぼくが一番おもしろいと感じたのが「車椅子ソフトボール」でした。はじめてルールを教えてもらったとき、なんて多様性がある競技なんだと感動したことをいまでも覚えています。

国内の車椅子ソフトボールは、健常者、障がい者関係なく出場することができます。持ち点制度があり、障がいの重さ、年齢、性別関係なく、平等に戦える仕組みになっています。

ぼくが車椅子ソフトボールに関わりはじめたのは、車椅子ソフトボールが日本に入ってきてからたった2~3年のころ。0から広めることの楽しさに、どんどんのめり込んでいきました。

スポーツ人材会社に入社した背景

大学生時代、車椅子ソフトボールの大会の運営に関わっていたことで、もっと自分にスキルをつけたいと思うようになりました。特に影響を与えられる人間になりたい想いが強く、さまざまな業界の人と関われる人材系の会社の就職を志すように。

就活と同時に大事にしたかったのが、車椅子ソフトボールの活動を続けられることでした。人材系の会社で、スポーツに関わりやすい企業を探していました。

そこで出会ったのがスポーツフィールドです。現在は上場企業ですが、当時はベンチャー気質あふれるとても勢いのある会社でした(勢いがあるのは今もですが)。特に共感が持てたのは「47都道府県にスポーツフィールドを進出すること」をビジョンに掲げていた点です。

ぼく自身が車椅子ソフトボールを全国へ広げたい気持ちと、スポーツフィールドが向かっている方向性が一致し、入社することを決めました。他社の大手人材業界の企業から複数社内定をもらっていましたが、いまもこの選択を後悔したことは一度もありません。

広島支部への配属による運命的な理事への抜擢

大学4年生のとき、全日本選手権の監督として自身のチームを優勝に導くことができました。競技のルール、戦術などすべてを網羅し、勝てる方法を誰よりも模索していたので、本当にうれしかったです。

スポーツフィールドに入社した1年目、広島支部の立ち上げに関わることになりました。このできごとが、ぼくにとって運命的な配属だったのです。

同じ年に、車椅子ソフトボール教会として「関西・中四国地方の強化をしていこう」という話が上がっていて。

ぼくが広島支部に配属になったことと車椅子ソフトボール教会が理想としている人物像に当てはまったことで「関西・中四国地方を下川に任せたい」と依頼を受けました。

スポーツフィールドで広島支部の立ち上げに関わることがなければ、ここまで車椅子ソフトボールに関わっていなかったかもしれません。ご縁が引き寄せてくれた運命的な配属でした。

理事、広島支部マネージャー二足のわらじ

2019年、日本代表のコーチに就任しアメリカのワールドシリーズで優勝。

アメリカは50年の歴史がある強豪チームで、いままで一度も勝ったことがありませんでした。相手の戦術、癖、車椅子ソフトボールで勝つための方法を分析した結果、チームを勝利に導くことができました。

もちろん一番がんばったのは選手です。本当にいい経験をさせてもらいました。

2020年、コロナが直撃したときには練習や試合ができない間にできることを考えようと、自らアイデアを提案。企業とタイアップし、ガイドブックを作成しました。

いままで車椅子ソフトボールのことを詳しく書かれているものがなかったので、多くのかたに喜んでいただけました。

2021年は全国横断8箇所で体験会を行いました。その効果もあり、車椅子ソフトボール人口が318名まで増加しました。

スポーツフィールドでは、新卒で配属されたエリアの立ち上げを経験しました。少しでも後ろに下がれば、オフィスが潰れるという背水の陣の状態。全身全霊で取り組んだ結果、半期で関西・中四国エリアのトップに踊り立つことができました。

悲劇が起こったのは年度末。当時のぼくは、どこかできの緩みが出ていたと思います。3月にほかの新人に大逆転をされ、最後の最後で新人賞を逃しました。

人生であんなに泣いたのは、前にも後にもあのときだけです。先輩にめちゃくちゃ助けてもらっていたのに。悔しさと申し訳なさで、押しつぶされそうになりました。

1年目、ぼくは数字のために数字を追いかけてしまっていたんです。人材紹介の仕事は、お客さまに価値提供をして、はじめて対価がもらえる仕事です。出だしがよかったことで、目の前の数字にこだわりすぎていました。

2年目からは長期目線でお客さまに価値提供できる方法を考えました。スポーツフィールドと契約してくれていることに感謝。担当営業マンとして受け入れてくれたことに感謝。そして、ぼくを信じて採用をすると決めてくれたことに感謝。

目の前に起こるできごとに感謝し続けた結果、上半期、下半期、年間MVPと3冠をとることができました。

3年目も上半期と年間のMVPを受賞。下半期からは、サブマネージャーに就任し、後輩の育成にも携わりました。

今後のビジョンについて

ぼくは、誰かのココロに響かせる存在でありたいと思っています。また、自分自身もココロを動かされる仕事に関わっていきたいと思っています。

車椅子ソフトボールは、まさに人のココロを動かすスポーツ。体験会に参加をした人やボランティアに来てくれた人たちが、こぞって2回目、3回目と参加をし、ぞくぞくとチーム登録をしていくのです。

無名でマイナー競技にも関わらず、体験した人が「おもしろい!」と競技を続けていく。誰もがフェアに戦いやすい競技でありながら、さらに体験した人がコアなファンになる。こんなにポテンシャルのある競技はないなと思いました。

今年1年の目標は、ダイバーシティな環境をより生み出しに行くことです。

コロナウイルスの影響でさまざまな制限があった中ですが、障がいや年齢も関係なく、誰もが分け隔てなく関われる環境やスポーツ現場を創出していきたいと思います。

日本中で車椅子ソフトボールに触れてもらう人を増やしていきます。

各種SNSアカウント

■Twitter(@ts6www1

■Instagram(@t3www

■Facebook

■note

【掲載用】プロフィール写真

https://drive.google.com/drive/u/0/folders/1A0MdtyUXOGzOLWHOLSVoI0qng7XkZG3S

【掲載用】略歴①:ショートver.

鹿児島県出身。小学生から大学生まで硬式野球部に所属。北九州市立大学地域創生学群のゼミ活動で車椅子ソフトボールに出会い、現在は車椅子ソフトボール協会の理事を務める。2018年スポーツフィールドに新卒として入社。入社後、立ち上げ途中の広島オフィスに配属。新卒入社2年目に上半期、下半期、年間個人MVPの3冠を獲得。(155文字)

【掲載用】略歴②:ロングver.

鹿児島県出身。大学入学と同時に福岡へ。北九州市立大学地域創生学群のゼミ活動で車椅子ソフトボールに出会い、現在は車椅子ソフトボール協会の理事を務め競技の普及活動とパラリンピック正式種目認定に邁進。

2018年スポーツ人財の就職・採用支援サービスを手掛ける人材会社に新卒として入社し入社1年目で新拠点の立ち上げに携わり特別新人賞を受賞。新卒入社2年目にして上半期個人MVP、下半期個人MVP、年間個人MVPの個人3冠、3年目にして上半期エリアMVP、下半期エリアMVP、年間エリアMVPのエリア3冠と2年連続年間個人MVPを獲得。最年少でエリア責任者を任される。

異色な二足の草鞋を履きながら充実した毎日を過ごす。(307文字)

もう少し詳しく下川友暉を知りたい方へ

■Yahoo!ニュース
マイナースポーツを2028年『ロサンゼルスパラ五輪』へ。社会人2年目のパラレルミッションとは?

■L.O.G.インタビュー

■SPOGEインタビュー

■wantedly 社員インタビュー記事

パラスポーツ|車椅子ソフトボールパラリンピック正式種目採用に向けて【社員インタビュー】

https://www.wantedly.com/companies/sports-f3/post_articles/343944

■ニッポンチャレンジドアスリート インタビュー

■スマスポ 自己紹介ページ

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