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63回目の誕生日

誕生日という日が好きだ。誕生日が好きなわけではない。

一年に一度訪れる「生まれた日」という日が好きなのだ。

それはきっと、母の影響だ。大切な人たちの「その日」をとても大切にしていた。「おめでとう」の一番手は、たいてい母だった。

私の63回目の「その日」の、ちょうど二週間前に母はこの世界を去った。

くしくも、ロシアがウクライナに侵攻したちょうどその日に。

はやりの感染症(コロナ)、施設のクラスター。「陽性ですが軽症です」と施設から連絡を受けた次の日、さっさとこの世を見限って旅立った。見事な潔さだ。

まるで、トリックに引っかかったような・・・何一つ、真実味がないのだ。本当に母は逝ったのか?

施設は昨年からコロナ禍で月に1度しか面会が出来ず、最近の第6波で月1の面会も禁止になっていた。その最中の出来事である。

会えない、触れられない、近づけない、見れない。耳で聞き取った情報だけがすべてで、何もできない。

葬儀屋さんで、大小の箱が一つずつ・・・2つの箱を受け取った。それさえリアリティがない。

毎日、空を見上げている。いつも通りの私の日常だと言われればそうなのだが。

ただ、探している。母を探している。空にいるなら話せるんじゃないかと思って。でも、見つからない。

本当にもう、この世界にいないのか、それさえ確かめることができない。

この箱の中にいるのは母なのか、フィクションの世界に迷い込んだのか。

いや、現実かもしれないとも思えることがある。負けず嫌いを最後まで貫いた。本当にね。

施設に入って、初めて母の弱みを見てしまった。一人が絶えれない。一人ぼっちの部屋が怖いのだ。女手一つでずっとやってきた母がこんなところに最大の弱みがあったなんて、大きな驚きだった。

けど、弱み ちゃんと一人でクリアしたんだ・・・たった一人で何もかも済ませて、小さな箱に納まっちゃって・・・。本当に、最後の最後まで負けず嫌いな人だ。

63回目の私の誕生日のその日も 空を見上げていた。

「たえみちゃん、お誕生日おめでとう!」って叫んでくれるかなと思って。

けど、どこにもいない。ずいぶん探したんだけど。

働いて働いて動き回って、じっとしてられない人だったから、クヨクヨするのが苦手な人だったから、楽しいことが好きな人だったから

きっと、もう新しい世界の扉を開けて、そっちで飛び回っているんだろう。

おめでとうの声は聞こえなかったけれど、誕生日メッセージは届いたよ。

『人はみんな一人なんだよ。だから、自分でしっかり歩くんだよ。この世界は一人一人で、できている。淋しくなったら集まればいい。周りにいる人たちと笑い合いながら、ね。あ~、幸せ!しあわせ!』

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