愛しみのワルツ(珠城りょう&美園さくら)
宝塚歌劇を見ていると、愛という感情について考えることが頻繁にある。生徒さんもよく「愛に満ちた世界」だと言う。大きな感情。言葉にならない思いを包摂する概念。そんなおおきなものを表現したトップコンビがいた。
2021年月組公演「Dream Chaser」のフィナーレにおける、珠城りょうさんと美園さくらさんの最後のデュエットダンス。その名も「愛しみのワルツ」という楽曲にのせたラストデュエットに感じたことを書き残しておきたい。
惜別
月組トップコンビ珠城りょう・美園さくらの退団公演「Dream Chaser」を演出した中村暁先生のコメントより。
(全文はこちら「演出家 中村暁が語る」)
珠城さんと美園さんのコンビは、この公演をもって劇団を卒業した。その餞として、暁先生が思いを込めて作ってくださったのがこのデュエットダンスだった。二人の魅力はデュエットダンスに発揮されると信じ、最後のデュエットダンスに珠城さんと美園さんの「別れを惜しむ」感情をテーマに据え、その表現としてずばり「愛」をテーマとした楽曲を選んでくださったこと。二人のコンビを愛したファンの思いを汲んでくださったかのような演出をしてくれた先生に感謝の思いは尽きない。
近くて遠い、遠くて近い
相手役に恋する気持ちでいっぱいのデュエットダンスも、優しい瞳で見つめ合うデュエットダンスも、「この男/女は私のもの」という気持ちが拮抗するようなデュエットダンスも好きだ。そんな中で、珠城さんと美園さんのダンスで描かれた互いへの惜別の情とは、どんなものであっただろう。
かつて、トップコンビとは互いの体温を感じる存在だと言っていた方がいた。一番近くにいて、互いの体温まで知る存在。宝塚という虚構の中にあるそんな生々しさを、珠城さんと美園さんのデュエットダンスにも感じた。
それは、階段から下りてきた美園さんと、待ち受けていた珠城さんが手に手を取る瞬間に溢れ出ていた。珠城さんは男役の群舞を終えた直後、「愛しみのワルツ」のイントロが流れ始めると目を閉じ、自分の腕で自らを抱きしめる。美園さんは大階段の真ん中で立ち止まり、スポットを浴びると、スカートの大きくひろがった裾を体に沿わせ、自らを包み込みながら万感胸に迫る表情を見せる。その二人が大階段の下で落ち合う。やっと触れた手の温かさが、空気をじんわりと伝わって、見ている私にまで熱が感じ取れる気がする。
この手を取る一瞬が絶品だった。二人はお披露目から約二年半コンビを組んでいた。数え切れないほどのデュエットを踊り、一番近くで体温を感じてきただろうに、決して慣れることなく、触れるのを恐れるような瞳をする。大きな愛情と、他人たる恋人への畏れと尊重が、触れた手と手にせめぎあう。これは珠城さんと美園さくらさんが数々のお芝居の中でも見せた、コンビとしての個性であると思う。
珠城さんの手の中に美園さんの手が包まれたとき、二人の愛は重なり合う。相手は自分ではない、違う人間だけれど、思いは一つになれる。そんな「愛」としか表現できない何かが空気に溶けだす瞬間だった。
抱擁、包容
同じ方向を向いて歩いて、感情が発露する瞬間には体を反らし/相手を支えて、やがて二人きりの空間を味わうようにワルツのステップをまわり始める。離れがたくも数秒離れたのち、リフトが高く上がり、桜色のスカートが霧のようにたなびく。ゆったりとした楽曲にシンプルな振付なのに、穏やかな空気はどこか張り詰めている。流れるような自然=二人の体と、積み重ねられた繊細な人為=思いが合わさってできている。思いは縁までこみ上げてきて、風が吹いたらこぼれてしまいそうな危ういバランスが、美しさとして目の奥に刻まれる。
デュエットの後半で、珠城さんと美園さんが向き合って抱き締めあう振付が二箇所ある。抱擁ってなんだろう。相手の存在を確かめると同時に、自分の存在をも確かめるような。相手を引き留めようとするみたいな。相手に自分の存在を感じてほしいからかも。安心させたいという気持ちの表れか。相手を? それとも、自分を? 言葉にすることができない膨らんだ感情の行き場が抱擁だと思う。舞台でただ抱き締めあうだけの二人から、伝わってくるもののなんと大きかったことか。
物理的な抱擁だけでなく、見つめる目で相手を包み込む二人もそこにいた。揺らいだ瞳を見逃さず、瞳でそれに応える。このパワーバランスは、回ごとに流動的であったと思う。珠城さんが苦しそうな目をすれば美園さんが微笑み、美園さんが泣き出しそうな日は、珠城さんが力強く見つめ返す。絶えず相手をみつめるからこそ、相手の心のほんの僅かにくぼんだところを見逃さず、変わるがわる埋めてあげようと、愛情の限りを相手に注ぐ関係。互いに包容力のある二人だから、時には弱みをみせて、補い合えた。コンビとして円熟した二人の関係をラストデュエットで見せてもらえたことはファンとして幸せの極みであった。
一瞬、永遠
二人がこのデュエットダンスについて語った言葉は数少ないが、『歌劇』2021年7月号の「楽屋取材」においてそれぞれの言葉で言及している。
公演期間はこの二人の言葉をひたすらに反芻していた。核心をつくような言葉なんてないけどこれが核心だと思っていた。忘れがたい印象に根付いた大きな思いで、本人にも全容がわからない。愛ってたぶんそういうものなのだと思って。
「Dream Chaser」は比較的場面数が絞られていて、各場面ごとに充分に時間が割かれた贅沢なショーだった。このデュエットダンスもそうで、体感ではあるがそのテーマを表現するのに充分な長さがとられた場面だった。見ている間は永遠のように長かった。そしていつも一瞬で過ぎていった。確かな愛の前に、時間というあやふやなものを感じた。思えば二人のコンビを見つめた時間も、振り返れば一瞬なのに、永遠みたいに私の中で息をしている。まだ離れることのできない私がいる。この離れがたさもやがて私の一部に取り込まれて思い出になるのかなと思う。
前の記事を書いていても思ったが、二人の主演作は意外と多くはない。でもどの作品も素晴らしく愛に満ちていた。その中の代表作として、退団公演におけるラストデュエットのことを書き綴ってみた。途方もなく大きなテーマを演じて、宝塚の舞台をあとにした二人は、私の中で永遠になった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?