ドリームチェイサーみたいな月が出ている
細くて白い月がまぶしい夜、「ドリームチェイサーみたいな月が出ている」と思う。
三日月が出ている、と思うより先にその名前が浮かぶ。我ながら厄介なオタクだな、と思う。
「ピガール狂騒曲みたいな絵」とか、「さくらちゃんが着ていたドレスみたいな青色」とか、「桜嵐記みたいなお雛さま」だとか。大好きで何度も見ていた公演だから、今や、日常の感性としっかり結びついてしまった。
ドリームチェイサーみたいな月を見た日の帰り道、ふと、最近見た公演に思いをめぐらせる。
月組公演「G.O.A.T」は、月城さん&海乃さん率いる月組の一幕ノンストップのコンサートで、開幕五分前から(見た方にはわかる仕掛け)、幕が降りキラキラした紙吹雪が降り注ぐ最後の瞬間まで、興奮が止むことのない贅沢な公演だった。
前半戦の締めくくりは、ショー「Dream Chaser」の主題歌だった。私が2021年当時、命をかけて応援していたといっても過言ではない珠城さん&美園さんのサヨナラ公演であったこの歌をきくと、今も様々な思いに胸が疼く。
それだけでなく、このショーは、月城さんと海乃さんの博多座でのお披露目のショーでもあった。現トップコンビにとっても特別な作品なのだ。
「G.O.A.T」では、オリジナルとは違うお衣装で、振付も一新され、しかし歌われる思い「夢を追いかける情熱」は、この先もきっと色あせることのない光に満ちていた。
終わりと、始まりと、普遍的なものと。二重、三重の思いが胸に響いて、なんだか新鮮な気持ちで聞き入っていたのだった。
そんなことを思い出しながら、「この歌が、これからも折に触れて歌い継がれるといいな」と思った。
宝塚を何年も見ていると、誰かのサヨナラを次の人が歌い継ぐというパターンは珍しくないということを知る。前の人のファンはそれなりに感傷的にもなるが、後の人が、そんなファンの思いも汲んで大事に演じてくれていることが伝わってくるのが嬉しい。
宝塚はそういうふうに、思いを引き継いでいくということを大切にしている世界だと思う。憧れ、受け継ぎ、懐かしむという文化がある。
私のような厄介なファンは「大好きだったあのころ」をいつまでも心の奥にしまっていて、引きずりすぎだという自覚もあるが、そんな人のことを大事に扱ってくれていると思う。優しい世界だ。
「G.O.A.T」で娘役の場面として演じられた「アパショナード」も、これまで数多の月組生が憧れ、大好きと語り、様々な公演で歌い踊られてきた。今回は特に娘役のみの出演だったので、映像で見たオリジナルとはもはや全然様子が違っているが、やはり月組生の強さと美しさを表現する場面に構成されていて、端から端までその姿に見惚れた。
「アパショナード」オリジナルに思い入れがある人はまた別の感想があるかもしれないが、オリジナルを知らないファンも、装い新たに演じられるものを見て、素直な心で素敵だなと感じた。
私が好きだった公演も、そんなふうに、いつかどこかで、誰か新しいファンにも響くものになったとしたら嬉しい。
私の青春だった先代トップコンビの時代はもう三年前になろうとしており、その間にも、懐かしく愛おしい人たちが次々に組を去っていくけれど、今も月組が好きで、一番上から一番下まで、新しく入ってきた子たちも含めて愛している。これからも変わらず月組のことが好きだと思う。
そして、常に走り続ける組子たち、進化し続ける人たちの中に、不意に、あのときのあの人の面影を見ることもある。思い出のお衣装を誰かが着ていたり、もはや何がなのか確固たる証拠がなくても、勘で「あのときのような感じがする」「月組らしい」と言ってみたりする。
宝塚は、そんなファンに、好きなだけ思い出にひたりなさい、と言ってくれている気がする。
私はこれからも、歓喜の歌をきくたびに「フリューゲル」のことを考えるだろうし、「フルスウィング」は何度だって再演してほしいし、ドラマや映画を見ているときに「万華鏡みたい」と思ったりするのだろう。
移りゆくものを懐かしみながら、彼女たちの世界を、まだしばらくの間は、近くから見守っているつもりだ。
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