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桜が栞になるとき ~宝塚ファン人生、一回目。

月が綺麗

月はいつだって綺麗なものですが、なぜだか、月の光のさやけさがとびきり胸にしみることがあります。私が彼女を「私のただ一人の贔屓」と気が付いたときは、ちょうどそんな心持ちでした。ずっと前から見ていたのに、ある時、彼女がこれまでにない輝きをまとって見えた。以来、彼女の存在は私の中で大きくなり続けました。

私は、今年宝塚歌劇団を退団された一人のトップ娘役さんのことを応援していました。彼女と歩いた時間は長くはありませんでしたが、卒業まで共に駆け抜けた日々は濃く、様々な思いを経験することになりました。

絶えて桜のなかりせば

卒業が決まってからの彼女の主演公演はどれも素晴らしく、彼女のお役も印象深い役が続きました。日本物レビューでの、この世の幸せを集めたような微笑みや、ベル・エポックのパリに生きる女性の夢と情熱、そして南朝に生きた孤独な少女の、燃えるような恋。

就任前後は女優や女優志望の役が続いた彼女でしたが、卒業を前に様々な女性を演じ、止まることなく新たな輝きを見せ続けてくれました。つい欲が出て、他にもこんな役が見たかった、今の彼女にならこの作品を演じてほしかったと、嬉しくも切ない考えが頭の中を巡ったものです。

彼女の笑顔には周りを圧倒する明るさが満ち、彼女の声には、潤い、溢れんばかりの愛情が満ちていました。

彼女を応援していて、外から聞こえる声に嬉しくなることも心が曇ることもありました。でも、あれほどの感情を舞台上で発することができる稀有なスターに出会えたことは、間違いなく私の人生の幸せの一つです。出会うことがなければ知ることもなかった様々な気持ちが、全て愛おしく感じられます。

散ればこそいとど桜は

コロナ禍で時間の止まったような錯覚をおぼえる中で、彼女の卒業を意識せざるをえなかった公演がありました。彼女の名前「桜」を冠したミュージック・サロンです。思い出深いミュージカルナンバーで綴られていったMSは、「桜」にまつわるJPOPメドレーで締めくくられました。別れを歌う言葉をあえて華やかにアレンジしたメロディにのせて届ける構成に、彼女の宝塚人生と、桜花の短く激しい美しさを重ねずにはいられませんでした。

迎えた本拠地サヨナラ公演でも、彼女の姿は桜にいろどられていました。お芝居が幕を開けるとそこには、桜降りしきる舞台で命懸けの短い恋をする彼女がいました。燃えるように咲く桜花に、恋人と自分の命を重ねる女性。そのお役に心を重ね生きる、タカラジェンヌの彼女。お役にも、彼女自身にも、一斉に咲き一斉に散ってゆく桜のごとき、性急な美しさを見出していました。

ショーではご縁の深い娘役の方々の間をすり抜けていくように踊る場面があり、彼女は風に舞い、ついに掴むことができない桜の花びらのようにも見えました。

デュエットダンスでは、桜色のグラデーションが鮮やかなドレスを身にまとっていました。これで最後なのだという事実がひしひしと迫ってくるような張りつめた空気の中でも、見つめている間は、ただ彼女の美しさのみが心に焼き付いていました。

どうして卒業してしまうのだろう、けれど今、こんなにも美しい。名残惜しさは、やはり桜を惜しむ気持ちと似ていたかもしれません。

春の名残

ラストデイを見届け、彼女を愛するファンだけのいくつかのイベントを終え、少しずつ閉じていく日々にも、幸せなことはたくさんありました。

ご挨拶状の紙一枚にだって、思いはこめられていました。たった一日の、ご卒業のためだけに、特別に用意された便箋や封筒。一人一人のファンに向けられた愛情深いメッセージ。そこからは、彼女がいかにファンを大事に思ってくれていたかということが、とめどなく湧き出るように伝わってきました。

彼女を応援し、最後の日まで声を届け続け、その日々の終わりに、これ以上はないという言葉を彼女からいただくことができました。一片の悔いもなく、幸せに終えたファン人生の区切り。喪失と充実に戸惑うような気持ちは、例えるならば、一つの人生が終わったような気持ちです。

いつか、二度目の人生を

別れの寂しさはございますが、あらゆる物事における美しさとは、その本質を儚さに見出せるのだと思います。最後の舞台で名前の通り咲いて舞い散り、その欠片を皆様の記憶の頁にそっと忍ばせておいていただくことができれば幸いです。

『歌劇』2021年8月号より

彼女を応援した期間には、やはり桜にたとえるべき短く激しく美しい時間が流れていました。彼女がこの先どのような道を進むとしても、タカラジェンヌとしての彼女にもう出会えないのは事実で、時間が戻ることはありません。ご卒業後、その事実に胸が張り裂けそうになったこともあります。でも、いつだってそれ以上に、彼女に出会えたことが幸せでした。

今はその幸せに背中を押されて、また誰か特別な人と出会い、応援できる日が来ると良いなと思っています。出会えるかもわからないその誰かと出会ったとき、また、燃えるような思いでその人の背中を押せたら良いな、と。

そう思えたとき、私にとっての彼女は、記憶の頁に春の名残を留める、桜の栞へと変わり始めました。

一度目の人生は終わり、次の人生が始まる。私の中に確かに残る一度目の人生が、いつか生きる二度目の人生を、きっと豊かにしてくれる。

彼女が卒業した今も、月は変わらず綺麗です。


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