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ラリー・コリエル 1:ボレロ Larry Coryell "Bolero"

モールス・ラヴェル作曲の「ボレロ」はクラシック音楽やバレエ音楽が好きな人だけでなく、広く親しまれていると思う。実は、私は、バレエの曲であることをしばらく知らずにいた。実際にバレエでどのように踊られているのか、動画で初めて見たのがつい去年のことだった。いずれ機会があれば実際に見に行きたいと思っている。

例えば、Sylvie Guillem (シルヴィ・ギエム)のボレロ。

一定のパターンのリズムが刻まれていく中、印象的なメロディーが繰り返され、繰り返されるたびに様々な楽器が加わっていき、曲が進むにつれ熱狂が加わっていく。曲の最後のパートで突如転調して、熱狂の果てに倒れるような、そんな終わり方をする。

好きな曲だからいくつかのオーケストラの演奏をレコードで聴いたが、私が最初に聴いたのは、実は、ジャズ・ギタリストのラリー・コリエル (1947 - 2017) のギター一本の演奏だった。ダリの絵画のようなジャケットイラストもよくて、このアルバムはよく聴いた。

1981年録音の Larry Coryell Bolero
A面が ラヴェルのボレロ
B面が、マヌエル・デ・ファリャのスペインの庭の夜とパブロ・デ・サラサーテのサパテアード

権利関係からか、SpotifyやAmazonで見当たらなかった。別音源だが、"Improvisation On Bolero"と題して収録されているものがあった。

オリジナルのスコアをそのままギターで演奏する、というよりもラリー・コリエルらしい強引さでアレンジされているところが、ファンにとってはたまらないし、当時としては斬新だった(*1)。

ラリー・コリエルは、クラシックの名曲をギターのソロで弾くという取り組みはその前からしていて、他に、例えば1975年にはラヴェルの「亡き王女のパヴァーヌ」の録音もある。

ラリー・コリエルはこのボレロを皮切りに、クラシック音楽をギターで演奏するシリーズのアルバムを何枚かリリースしている。ストラヴィンスキーの「春の祭典」、「シェラザード」「火の鳥」いずれもバレエ音楽だ。

ラリー・コリエルがこれらの楽曲を選んだのは、ラヴェルやストラヴィンスキーの和声の扱いに、ジャズでは一般的なテンションの使い方との共通性があって親しみがあったからなのではないかと想像している。また、リズムに関しては、既存の形式からの自由を常に求めるジャズの精神と共通するところがあるのだろうと想像している(*2)。


さて、これらを大学の時に、MALTA (JAZZ PLAYER MALTA OFFICIAL WEBSITE (malta-jazzclub.com)) のような顔をしたオケをやっていた友人に聴かせたら、演奏が始まってすぐに「なーんだ、がっかりだ、全然元の曲と違う演奏じゃないか」という感想が返ってきたので、すぐに止めて別のレコードに替えて話題を変えた記憶が残っている。

ジャズやロックばかり、そのなかでもギターの演奏ばかり聴いてきた人にとっては非常に新しくエキサイティングなことであっても、オーケストラの人にとっては「?」という感想だろうし、クラシックのギタリストにしてみれば、普通にクラシックから現代音楽までギターの曲はあるわけなので、何か意味があるのか、という印象だったのかもしれない。

演奏技法としても、超絶技巧やアクロバティック演奏をこの挑戦で切り開いたといったわけでもない。

しかし私のような、ジャズ・ロック・フュージョン、しかもその中の狭い世界しか知らなかった1985年ごろのギター小僧を驚かせるには十分だった。

そして、今のように多様な奏法が生まれジャンルを飛び越えた何でもありのギターの世界が作られたその元祖の一人がラリー・コリエルその人であろう。

ラリー・コリエルはこのアルバムやその他の魅力的な演奏で私を広いポピュラー音楽の世界に導いていってくれた一人だった。

熱いエネルギッシュな速弾きが時に強引で、そして時にソウルフルでメローな、そんな演奏そのものも魅力的で、私にとっては天上にいる神様という位置づけにある。

たとえば、2013年に もう一本の guitar に息子さんのジュリアン・コリエルや、ドラムスにシンディ・ブラックマン・サンタナを迎えてのライブの演奏がなかなかいい。

ジュリアンのギターソロに続いてのソロを聴くことができる (5'06"くらいから) 。スタイルの違う二人を比較してもいけないのかもしれないが、前のジュリアンの端正なソロと比較すると、新しいものを求めて枠を外しても動じない強引さとよくわからない聞き慣れない感覚とが感じられるのではないかと思う。

複雑なソロのフレーズは健在で、それでも往年のころの演奏より隙間が多くなったように思うが、その隙間の開け方が絶妙なのか、ドラムスとベースが呼応して次第に演奏が熱を帯びていくところも面白い。

大きなイベントでのライブ演奏を終えたあとに、地元の小さいクラブで演奏している姿を見ることもあったという。店は閉店時間をとっくに過ぎていて狭い階段を下りた入口も開放されていて店内の明かりが漏れてチャージも取らない。小さなステージでドラムスとベースをバックにエネルギッシュに延々とソロを紡いでいたという。そんなエピソードも大好きだ。


ラリー・コリエルに関しては、とても書ききらないので続編を書いていこうと思う。


■注記
(*1)本文中にも示唆されているように、当時でも、どれだけ斬新だと評価されたのかはよくわからない。

しかし、コリエル自身、ボレロは気に入ってよくライブで弾いていたようだ。オベーション・アダマスの12弦の開放弦の響きがよく、メロディとともに情熱的なストロークも聴かせる。

Larry Coryell "Bolero"のジャケット裏面
左にコリエルが演奏している写真が載っている。

ところで、そのような意味では、押尾コータローのボレロを聴くと、現代的な奏法によれば、ここまで表現できるのか、と驚くとともに隔世の感がある。

(*2) だからストラヴィンスキーは、古典的なクラシック音楽を求める人からはあまり良く言われないように思う。・・どうだろうか。


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