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出産したら、子供がダウン症だった話。~その1~

43歳。
8度目の妊娠、6度目の出産。
妊婦健診の時には、一度も指摘を受けたことはなかった。
妊娠初期の健診の時に医師がちらっと「首の浮腫はありませんね」と言った。首の浮腫=ダウン症の可能性は低いという意味だろうと捉え、その後、ダウン症の可能性や検査について、何1つ考えずに妊娠後期を迎えた。
元々、どうでもいいことに執着するくせに、肝心なことを楽観的に考える性格で、その時も、お腹の赤ちゃんが元気だったらOKみたいに考えていた。
妊娠経過は順調。赤ちゃんの脳や臓器も異常なし。そう言われ、臨月を迎えた。
いざ陣痛が来て、陣痛もいつも通りに痛くて、お腹が張り裂けるかと思ったが、2回目のいきみで、空に吹っ飛びそうな程の勢いで「スポーーーーン!」と産まれてくれた。
スポーーーーン!と生まれたものの、「おぎゃあ」と一言泣いたと思ったら、その後、泣かなくなった。
授乳しても飲まず、顔色が悪い。口びるが紫色だった。私の目から見ても、何か異常があることがわかった。
「なんか変…上の子供達の時と違う…」
生まれた後に一度抱っこさせてもらった時に身体がふにゃふにゃで抱くのが怖かった。
助産師さんが指の先にモニターを付けてくれた。
アラーム音が鳴り続ける。
曲がりなりにも看護師の免許を持っているため、身体の酸素の量が少ないことがわかった。
息はしている。
でも、元気がない。
助産師さんがバタバタと動いている。
私は赤ちゃんの顔をじーっと見つめると、なんだか、目が吊り上げっているように見えた。
「あれ?もしかしたら、ダウン症?」
ちらっと、本当にちらっと、一瞬、頭をよぎった。
でも、目の前にいる赤ちゃんが元気がないので、ダウン症か否かよりも、この先どうなるのかが不安で仕方なかった。
「アラームが鳴りっぱなしになるとママも休めないと思うので、今晩はこちらで預かりますね」
助産師さんがそう言って、赤ちゃんを預かってくれた。
一軒家の助産院。隣には病院が隣接している。私の住む地域では43歳では助産院で産むことはリスクが高いため、受け入れはしていない。病院に隣接している助産院の院長が許可を出してくれたため、今回は助産院で出産することができた。
隣の部屋でアラーム音が鳴り響いている。泣き声は聞こえない。
「赤ちゃん、どうなるんだろう」
産後、頭も働かず、ボーッとしながら、赤ちゃんの安否だけを祈った。
コロナで立ち会いもできず、部屋には私1人。
静かすぎる部屋で漠然と時間だけが過ぎて行った。
しばらくして助産師さんが部屋に訪れ、赤ちゃんが元気がないので、隣の病院に行って診てもらいますと言って、連れて行ってくれた。
「やっぱり元気がないんだ」
赤ちゃんは病院へ行った。
私は部屋に1人残り、ただ、寂しくて泣いていた。
赤ちゃんは病院へ行き、保育器の中に酸素を流してもらい、身体の酸素の量は安定したと助産師さんから聞いた。
ひとまず、安心した。
土曜日に出産したため、小児科の医師が月曜日にならないと来ないということで、月曜日までは保育器に入れてもらい様子を見てもらった。
「ミルクも飲んで、うんちも出ています。」
2日間は抱くことはできず、保育器の外から赤ちゃんを眺めていた。
「連れて帰れるのかな…」
本来であれば、火曜日には退院できる予定だが、その時には、わからない状態だった。


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