俳句の無力さについてー福本啓介句集『保健室登校』ー

 福本啓介が上梓した『保健室登校』(文學の森)は、わずか六〇句からなる小さな句集である。あとがきによれば『大花野』を上梓した小山正見に「句の数が少ない句集を上梓する際の心得」を学んだともあるが、昨年小山が上梓した『大花野』はアルツハイマー型の認知症である妻との日々を詠んだ句集で、やはりわずか三六句のみの句集であった。句集といえば、ある程度の期間のなかで詠んださまざまな句をまとめて一冊にしたものが多いが、『保健室登校』も『大花野』もひとつのテーマに絞ってまとめられたものである。

十代といふ闇にゐて涼しさよ
梅雨晴間放課後登校廊下まで
十歳(とお)にして介護疲れの君の夏
一ばかりならぶ通知簿雪が降る
  解離性健忘
雪降り積む記憶喪失始まりて
  解離性同一障害
また違ふ君現れし涼しさよ

 本書のあとがきにはまた、次のようにある。

 高校の教員になってから数多くの生徒たちに出会ってきたが、定時制高校の生徒たちは、ひと味もふた味も違っていた。十代半ばだというのに、多くの生徒たちは、生きることに疲れ、傷付いていた。それでも前を向こうとしていた。不登校経験のある生徒はもちろん、志半ばで退学した生徒は数知れず……。
 この句集の句の多くは、彼ら彼女らとのやり取りの中から生まれたものだ。

 定時制高校で生徒たちと向き合う日々のなかで生まれた句をまとめた本書において、福本は過酷な生を生きる者や社会的マイノリティと見なされる者を一貫してまなざそうとしている。そして、そのまなざしが、季語との出会いを経て、ときに季語を裏切り、ときに季語に抱きとめられるような、いわば季語との愛憎劇をも生み出しているようだ。だからこそ、本書はその句のひとつひとつが危うい美しさを放っている。

囀りのごとひとり言自閉の子

 ASD(自閉症スペクトラム)の者には対人関係やコミュニケーションが苦手であるという特性がある。他者との会話が苦手であると同時に、周囲を気にせずにする独り言が多くなる傾向もある。この句では、そうしたASDの特性が春の鳥たちの求愛の声としての囀りのように見なされている。ASDに理解のない者からすれば奇異に映る「ひとり言」を、むしろ美しいものとして詠いあげた句であろう。だがその一方で、この句から気づかされるのは、この句が決して「囀り」という季語に奉仕する句として詠まれているのではないということだ。この句を詠んだ福本の本懐はあくまでもは「自閉の子」のありようを詠むことにあって、「囀り」は「自閉の子」ありようの喩えとして機能しているにすぎない。
 たとえばこの句が〈囀りやひとり言いう自閉の子〉と詠まれていたのであれば、「囀り」が季語として中七下五の「自閉の子」ととりあわせられていることになる。いわば、「囀り」が季語としてじゅうぶんに機能していることになる。だが、福本は「囀りのごと」とすることでその機能をあえて削いでいる。ここに、季語ではなく人間の生を詠おうとする福本の意志がうかがえる。
 さらにいえば、季語とは、ともすれば「みんな」と一緒の感性や感覚によって読みとることを読み手に求める言葉であり制度である。だから、季語によって句を包み込むことは、その句に詠まれた対象を「みんな」のなかへ溶け込ませる保護色のような役割も果たす。たとえば先のようにこの句をもしも〈囀りやひとり言いう自閉の子〉としてしまったら、「自閉の子」を、いわば「みんな」と同じ春の空間に引き込み包み込むようにして読むことを求めることになる。―けれども、それでよかったのか。「みんな」との関係に困難を抱え、疎外されてしまう恐れさえある「自閉の子」をそんなふうに詠むことは、一見すると優しいふるまいのようではあるが、しかしそれはむしろ欺瞞ではなかったか。この句で福本が「囀り」の季語としての機能を抑え込み、むしろそれを「自閉の子」のありようを示す語として用いているのは、福本が、―いわば「俳句らしい」俳句を詠むために俳句を詠んでいるのではなく―こんなふうにして人間の生を讃美し、あるいはいたわりを示そうとして俳句を詠んでいるからではなかったか。
 これらの句に限らず、本書における季語の用いられようは自在である。

雪のやうに消えたいと君引きこもる
ふらここに座りて見上ぐ空の青
晴れた日は五月雨登校する日なり
マスク取り自分確かむ便所飯

 とりわけ次の句は季語を生かすという詠みかたの向こうを張ったような句として興味深いものだ。

昼夜逆転短夜も長き夜も

 恋人との逢瀬や物思いにふける生の場面とともに詠まれることの多い短夜も長き夜も、そもそもは昼に起き夜に眠る者たちの語彙だ。夜は人々が寝静まるという前提があればこそ、この季語の情感は成立する。しかし昼夜逆転の生活を送る者にとってそのような前提は通用しない。いや、言い方を少し変えるならば、通用しないというより、これらの季語から疎外された生を生きている者が昼夜逆転の生活を送る者たちなのではあるまいか。
 『保健室登校』には〈引きこもり君蛤となりゐたり〉という句もあるが、昼夜逆転生活を送る者が、部屋のなかに引きこもったまま多くの時間を過ごすがゆえに、季節から取り残されがちであるということは想像に難くない。短夜も長き夜も、いかにもあっけなく過ぎてゆく。それは短夜と長き夜の示す季語の情感をじゅうぶんに生きることのできる者とは異なる生のありようである。季語に疎外され、その情感をじゅうぶんに生きることのできない者たちをまなざし、彼らを句に詠むとき、どうして季語をじゅうぶんに生かした句を詠む必要があるだろう。この句の「短夜」や「長き夜」という季語に対するいかにもあっけない扱いは、それゆえにこそ生じたものではなかったか。
 本書には最後を飾る句として〈四月来る長欠の子の机にも〉がある。「四月」は「机」に来ているが、それでも「長欠の子」自身に来ているとは限らない。ここにも季語の情感をじゅうぶんに生きられない者の姿がある。しかし、それでもこのように詠うのは、決して「長欠の子」に対するごまかしではない。「長欠の子」は「四月」の来た教室にはいない。「長欠の子」がこの句を読むとも限らない。それでもこのような句があることには意味がある。
 たとえば、岡真理は小説を読み書きするというふるまいの意味について次のように書いている。

 薬も水も一片のパンも、もはや何の力にもならない、餓死せんとする子どもの、もし、その傍らにいることができたなら、私たちはその手を取って、決して孤独のうちに逝かせることはしないだろう。あるいは、自爆に赴こうとする青年が目の前にいたら、身を挺して彼の行く手を遮るだろう。だが、私たちはそこにいない。彼のために祈ること、それが私たちにできるすべてである。だから、小説は、そこにいない者たち、いなかった者たちによって書かれるのだ。もはや私たちには祈ることしかできないそれらの者たちのために、彼らに捧げる祈りとして。(岡真理『アラブ、祈りとしての文学』みすず書房、二〇一五)

 岡の言葉を借りるなら、〈四月来る長欠の子の机にも〉とは、いわば祈りとしての俳句であろう。「そこにいない者」に向けて、「そこにいない者」としての「長欠の子」悲しみを悲しみ、喜びを喜ぶということ。それは他者の感情の搾取でも簒奪でもない。そのように悲しみそのように喜ぶ者がいるということは、それ自体が救いになりうるからである。もっとも、その「救い」とは、この句によって、たとえば「長欠の子」が直接的に救われるとか、長欠から回復するとかいう意味での「救い」ではない。先にも述べたように、この句が「長欠の子」が届くとは限らないし、この句で救われる程度の過酷さを生きているとも限らないからだ。そして、それは誰よりも福本自身がわかっていることだろう。
 「十代半ばだというのに」「生きることに疲れ、傷付いてい」る「多くの生徒たち」が直面しているのは、いかにも理不尽な現実である。このささやかな句集では、その理不尽な生を直接に変えることなどできるはずがない。だが、だからといってそれは祈るのをやめる理由にはならない。福本は〈親ガチャにハズれたと君汗拭ふ〉と詠い、〈蚯蚓鳴き君毒親の毒語る〉と詠う。そのように詠うことで、寄り添うことで、他者の理不尽な生を目の前にしたとき、そしてその現実を変えられないとき、それでも俳句には何ができるのかという問いに対するひとつの答えがここにはあるように思う。

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