宛先は男 フェミニズム批評の試み(2)

 竹下しづの女くらい男性俳人にとって与しにくく、また同時に、与しやすい女性俳人はいなかったのではないかと思うことがある。
しづの女というと大正九年に〈短夜や乳ぜり泣く子を須可捨焉乎〉をはじめとする七句をもってホトトギスの雑詠欄で巻頭をとったことで知られている。このあまりにも有名なエピソードはまた、当時の社会規範から逸脱しているかのような母親の「本音」への共感ともに語られる。

反語とはいえ、わが子に対して捨てるという語を用いたこと自体が大胆で、そういうことを詠んだ女性はいなかった。ただし、育児に明け暮れるなかで、ああ、もう嫌だ、という思いが一瞬浮かんだ経験を持つ母親は少なからずいたはずで、この句の内容はけっしてしづの女だけのヒステリックな衝動ではない。授乳中の母親にとって乳児は自身の身体の一部のように感じられ、捨てられるはずがないからこそ言えることばである。句の根底に流れる、よく理解できる本音の感情が、この一見特異な句に普遍性を与えている。(『竹下しづの女 理性と母性の俳人 1887-1951』藤原書店、二〇一八)
 「夫に言われる『ありがとう』が一番の励みです」。雑誌をひらいても、幸せな子育てばかり。「母乳で育った赤ちゃんは、愛情をたっぷり感じられて、ハッピーな人生を送れます」。インターネットには流言蜚語があふれる。いくら抱いても辛そうにのけぞって泣きわめく夜、母乳が詰まって痛い乳房を風呂場で一心不乱に揉む夜、風をひいても授乳期で薬が飲めないため、必死に咳をこらえた夜……育児が上手くいかず落ち込んでいるとき、脳裏に浮かぶのはこの句だった。「須可捨焉乎」、私の代わりに、誰かがもうこの言葉を吐いてくれている。それだけで救われた。(『女の俳句』ふらんす堂、二〇一九)

 もしも、この句を自らにとって切実なものとして引き受けようとするなら、たぶんこんなふうに母親ならではの体験に引きつけて読むのが理想的なのだと思う。でもその一方で、この種の美しい読みを目にするたびに、このような読みをすることがかなわない者として、僕は屈折した思いでそれらを眺めてきた。また、たちの悪いことに、この句に書きこまれている母親の「本音」らしきものは「読めばわかる」という理解の仕方では決して手の届かないところにあるにもかかわらず、そのくせ、この句を読んでいるうちにある程度共感的に理解できたようなつもりになってしまうのである。ようするにしづの女の掌の上で弄ばれているような、そんな感覚になることは一度や二度ではなかった。
 こうした感覚をもたらすそもそもの要因は、この句が男性を宛先として書かれていることにあるのだと思う。しづの女がこの句を雑詠に投句したということは、この句が虚子をはじめとする、いわばホトトギスやその周囲の俳人たちに対して書かれたものであることを意味している。むろん、ここでいう「俳人」に含まれる女性がごく少数であったことはしづの女にも自明のことであったろう。とすれば、この句を発表した当時において、母親たちの共感によって下支えされるような読みがこの句に付与されることをしづの女が期待していたとはとても思えない。しづの女は誰よりもまず男性に理解できるように書いていたのであって、この句を自身の体験に引きつけた女性による読みが大手を振っているような今日の状況など想定外だったのではあるまいか。
 そう思ってよくよくこの句を見返してみると、この句には当時のホトトギスの雑詠に熱心に投句するような男性たちに対し、とても優しい配慮が施されている。漢文表現といい、漢詩「棄児行」へのオマージュといい、これらは男性俳人への挑発どころか、むしろホトトギスの男性俳人たちが形成するある種の文化圏への通行手形のようなものではないか。また、しづの女は「漢文を平気で書く癖があって」つい書いてしまったと自ら述べているが(「自句自解」『天の川』一九二一・一)、こうした資質にしても、必ずしも男性俳人の癪に障るばかりであったとも思われない。なぜなら、この句を見るかぎり、そのような資質はしょせん彼らのホモソーシャルな秩序を決して揺るがすことがない程度の「かわいい」ものでしかないからである。坂本宮尾も指摘しているように、この句の「すてつちまをか」は反語である。そしてそれゆえ、どれほど辛くても子を捨てられるはずもないという母親の愛情の表現として解釈されてきた。その意味で、この句はあくまで既存の社会秩序を遵守しつつ、男性の趣味をも理解できるような女性の句であって、それ以上のものではない。加えていえば、しづの女はこの句の建て付けに反語表現を用いることによって、あたかも女性の密かな独白を覗き見るかのような快楽まで提供してくれているのである。坂本宮尾は「当時の俳壇では、黒船が来た、と驚きをもって迎えられた」と記しているが、肝心なのは、「黒船が来た」と言われたにもかかわらず、しづの女が当時の俳壇にきちんと回収されているということのほうであろう。
 でも、僕の感じていた居心地の悪さは、どうもこれだけでは説明がつかないようだ。
 どんな俳句も、読み切れない不気味なものを含み込んでいる。むろん、しづの女のこの句においても同様で、その不気味なものは読み手としての僕を脅かす。たとえば、この句において覗き見を僕に許しているのはいったい誰なのだろう。僕の覗き見の対象は、同時に、僕を覗き返す主体でもあるはずなのである。あるいは、「すてつちまをか」は本当に反語として発せられているのだろうか。―僕は、それら不気味なものを「母親」という名のもとにカテゴライズすることで、不気味なものなどなかったかのようにしていたのではないのか。
 そして、僕の「理想の読み」への憧れなどというものもまた、一句の読みにおけるこのような手続きに与えた都合のいい呼称にすぎないのではあるまいか。母親でなければ決して手の届かない読みがあるなどと考えるのは、この句のもつ不気味なものに耐えきれなくなった僕の、必死の隠蔽工作だったようである。

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