ドナルド・キーンへの違和感
ドナルド・キーンの著作には特に魅力を感じたことがなかったが、それはなぜなのか、あまり考えたことがなかった。しかし、先日『ドナルド・キーンと俳句』(毬矢まりえ、白水社)を読んで、その理由が少しわかったような気がした。毬矢は第二芸術論に対するキーンの発言をいくつか引いているが、そのなかに次のようなものがある。
キーンの発言に何ら理解できないところはない。ともすれば、まるで第二芸術論に対する虚子の態度と似ているようにさえ思えてくる。しかしまさにそのこと―つまり、キーンが日本語で明快に語り、僕のように日本語を母語とする者がそれを問題なく理解してしまうとき、その、あまりに心地よいコミュニケーションに、どこか危ういものを感じてしまうのである。
たとえば、在日朝鮮人の鄭暎惠は自身が母語とする日本語にまつわる苦しみについて次のように語っている。
キーンのいう「小説や現代詩をどうしても書けない人」「素人」とは、「俳句を作って楽しめる」人のことでもあるようだ。そのすばらしさをキーンは日本語で語り、その意味することを僕は理解することができる。しかしこのコミュニケーションの透明度の高さに、一度立ちどまってみる必要はないのだろうか。キーンの視野に「意味世界の外」に立たされている者はいない。「小説や現代詩をどうしても書けない人」も「素人」もあっさりと「俳句を作って楽しめる」人へと接続されてしまうキーンの論理には、意味世界の内側にいる幸福―すなわち「至高の現実」をもつことのできる幸福―へ疑いがない。
毬矢は最晩年のエッセイ集『ドナルド・キーンの東京下町日記』について次のようにいう。
毬矢は「誰も」と書く。それはキーンの言う「日本人」と同義であろう。しかしここでいう教育水準も教養も高い「日本人」とは、いったい誰のことであろうか。
「意味世界の外」にいる者は、ここにはいない。毬矢はキーンが「日本国籍を取得し、自分が選んだ日本という国をこのように誇りにしていた」というが、その「誇り」と表裏をなしているはずの「意味世界の外」に立つ者としての苦しみを知っていたのは何よりキーン自身ではなかったのか。キーンはなぜそれを語らなかったのだろう。もちろん、その苦しみをキーンが日本語で語るということは、自らの愛する言語が自らを意味世界の外へ疎外しているという現実を認めることであり、同時に、それが日本語を母語として疑うことなく「至高の現実」を生きうる「日本人」に理解されてしまうという絶対的な疎外感と暴力のさなかに身をおくことでもある。したがって、キーンがそのような苦痛よりも「日本国籍を取得し、自分が選んだ日本という国」を「誇り」に思うほうを選択したのだとすれば、それは決して責められるべきことではない。だが、キーンの言葉を無批判に受けとってもよいものだろうか。
(2022年7月記)
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