ドナルド・キーンへの違和感

 ドナルド・キーンの著作には特に魅力を感じたことがなかったが、それはなぜなのか、あまり考えたことがなかった。しかし、先日『ドナルド・キーンと俳句』(毬矢まりえ、白水社)を読んで、その理由が少しわかったような気がした。毬矢は第二芸術論に対するキーンの発言をいくつか引いているが、そのなかに次のようなものがある。

 私は桑原の見解に大体賛成しているが、「第二芸術」が存在することを大変ありがたく思っている。カメラさえ持っていたら誰でも自己の中に隠されている芸術的欲求を発揮できるように、小説や現代詩をどうしても書けない人でも俳句を作って楽しめるのである。素人の写真や俳句のなかに玄人の舌を巻かせる良さがあることもある。(『日本文学を読む・日本の面影』新潮社、二〇二〇)

 キーンの発言に何ら理解できないところはない。ともすれば、まるで第二芸術論に対する虚子の態度と似ているようにさえ思えてくる。しかしまさにそのこと―つまり、キーンが日本語で明快に語り、僕のように日本語を母語とする者がそれを問題なく理解してしまうとき、その、あまりに心地よいコミュニケーションに、どこか危ういものを感じてしまうのである。

 たとえば、在日朝鮮人の鄭暎惠は自身が母語とする日本語にまつわる苦しみについて次のように語っている。

 移民は、一世はもちろん、言葉の上では完全なネイティブ・スピーカーに見える三世までもが、その言語が内包する意味的世界を自分のものにできずにいると言います。これは、私にも痛いほどよくわかります。こんなに流暢に日本語を話しているようでも、私にとって日本語はやはりいまだに外国語です。外国語が上手になってもぬぐい去ることのできない限界と暗闇を、私は日本語に対しても外国語同様、度々感じるからです。その意味的世界の外に私は立たされているのだ、と。(略)では、こんな私にとって母語とは何でしょうか。そもそも母語と呼べるものはあるのでしょうか。母語を奪われている状態とは、至高の現実をもちえない状況だといえるでしょう。そこから発生する不安や自明性の喪失を抱えて生きなければならないということ。(リサ・ゴウ、鄭暎惠『私という旅 ジェンダーとレイシズムを越えて』青土社、一九九九)

 キーンのいう「小説や現代詩をどうしても書けない人」「素人」とは、「俳句を作って楽しめる」人のことでもあるようだ。そのすばらしさをキーンは日本語で語り、その意味することを僕は理解することができる。しかしこのコミュニケーションの透明度の高さに、一度立ちどまってみる必要はないのだろうか。キーンの視野に「意味世界の外」に立たされている者はいない。「小説や現代詩をどうしても書けない人」も「素人」もあっさりと「俳句を作って楽しめる」人へと接続されてしまうキーンの論理には、意味世界の内側にいる幸福―すなわち「至高の現実」をもつことのできる幸福―へ疑いがない。

 毬矢は最晩年のエッセイ集『ドナルド・キーンの東京下町日記』について次のようにいう。

 敗戦後の荒廃した日本が「驚異的な復興」をした背景には「日本人の教育水準の高さ」と「日本人の教養の高さ」があると指摘する。もちろん一流芸術もある。が特筆すべきは誰もが「俳句や短歌、生け花や書道といった芸術を気軽に楽しんでいることだ。これほど教養レベルの高い国は他にない」。日本国籍を取得し、自分が選んだ日本という国をこのように誇りにしていたのである。

 毬矢は「誰も」と書く。それはキーンの言う「日本人」と同義であろう。しかしここでいう教育水準も教養も高い「日本人」とは、いったい誰のことであろうか。

 「意味世界の外」にいる者は、ここにはいない。毬矢はキーンが「日本国籍を取得し、自分が選んだ日本という国をこのように誇りにしていた」というが、その「誇り」と表裏をなしているはずの「意味世界の外」に立つ者としての苦しみを知っていたのは何よりキーン自身ではなかったのか。キーンはなぜそれを語らなかったのだろう。もちろん、その苦しみをキーンが日本語で語るということは、自らの愛する言語が自らを意味世界の外へ疎外しているという現実を認めることであり、同時に、それが日本語を母語として疑うことなく「至高の現実」を生きうる「日本人」に理解されてしまうという絶対的な疎外感と暴力のさなかに身をおくことでもある。したがって、キーンがそのような苦痛よりも「日本国籍を取得し、自分が選んだ日本という国」を「誇り」に思うほうを選択したのだとすれば、それは決して責められるべきことではない。だが、キーンの言葉を無批判に受けとってもよいものだろうか。

(2022年7月記)

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