「癒す女」の告白 フェミニズム批評の試み(1)

 中村汀女ほど、家庭が公的な場であることに自覚的であった俳人はいないのではあるまいか。

  ひと頃、立子さんや私の作るものは台所俳句といわれ、凡俗な道を歩むものだということになった。「台所俳句」とは女流の句をけなすのに、大変重宝らしく、あらゆる人が使った気がするし、現在に至るまで尾をひいている。私はちっとも気にしなかった。私たち普通の女性の職場ともいえるのは、家庭であるし、仕事の中心は台所である。そこからの取材がどうしていけないのか。(『私の履歴書』日本経済新聞社、昭和四七)

 興味深いことに、汀女は、家庭あるいは台所という空間を必ずしも私的な空間とはとらえておらず、それどころか、明確に「職場」―いわば公的な空間としてとらえていたようだ。考えてみれば、高浜虚子が「ホトトギス」誌上で女性に台所俳句を進めていた大正期において、家庭とは社会を支えるための生命と労働力の再生産の場であり、それゆえに女性の居場所として保証されていた、最小の公的空間であった。

 汀女の代表句「外にも出よ触るるばかりに春の月」の「外にも出よ」と子供たちや夫に呼びかける弾む声は、家庭の幸福なくしてはあり得ない。汀女は家族を癒す母性の原型を築いたのだ。(『挑発する俳句 癒す俳句』筑摩書房、平成二二)

    川名大は「汀女は家族を癒す母性の原型を築いたのだ」というけれど、このような評言は家庭という公的な場におけるふるまいのありようを、汀女の個人的で生来的な資質のみに由来するものであるかのようにすりかえてしまっている。この句は、家庭に私的空間を期待し、その私的空間にいるはずの女性に癒されたい、というような夫のまなざしを内面化した女性―いわば「癒す女」―のそれである。その意味において、「外にも出よ」という声は夫の声であって、彼女の声ではない。それはまた、当時の社会的規範を逸脱することなく最小の社会的単位であるところの家庭を守ろうとした夫―すなわち「家長」―が、自らの内面の救済を求める声である。
    さらにいえば、このように妻のなかに「癒す女」を見出し救いを求める「家長」とは、性的な他者としての妻に出会うことを回避する者の謂でもある。奇しくも川名は「外にも出よ」を「子供たちや夫に呼びかける」声としてとらえているが、しかしこの句を字面通りに読めば、必ずしも子どもがいるとは限らない。ならば、なぜ川名は、いないはずの子どもを読みとってしまったのか。それはこの句の夫が子どもだからである。「家庭の幸福」のなかにあって自らを抱きしめ救済してくれる「癒す女」を求める夫は本質的に子どもである。
    ―いや、そのような見方もまた少しばかり見当違いかもしれない。〈外にも出よ〉の句に限らず、良妻賢母ふうの汀女の句は、その実、赤裸々な告白のかたちをなしているからである。

    あはれ子の夜寒の床の引けば寄る
 春泥にふりかへる子が兄らしや
 咳の子のなぞなぞあそびきりもなや 

    ここに映し出されているのは汀女の夢であろう。すなわち、「癒す女」を夢見る汀女の夢である。そしてこの夢に自らの姿を重ね合わせることで、彼女はかろうじて自己表出をなしえたのではなかったか。これは決して痴呆的な振る舞いなどではない。むしろ、汀女の句とは、彼女がこの「癒す女」の夢を通じて自らを正直に語った驚くべき告白の記録である。
    このとき、「外にも出よ」と呼びかける声はもはや夫の声ではない。すでに夫から奪い取り、汀女は彼女自身の声として「外にも出よ」と高らかに発しているのである。

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