「素直」という言葉について ~「シューカティズム」シリーズ序論~

僕が嫌いな言葉はいくつかある。「確定申告」とか「バスの遅延」とか、挙げだすとキリがないが、その筆頭格のひとつが「素直」だ。

タイトルに掲げた「シューカティズム」というのは僕の造語であるが、これに関する説明はのちのち別でお話しする。ここではその序論として、この「素直」という言葉がいかに罪深いものか、ということに触れたい。

「素直」の意味

多くの資料の述べるところをまとめると、「素直」という言葉の意味は以下のとおりである。
①素朴(飾り気がなく、ありの~ままで~あること)
②正直(心に思ったことをそのまま口にしたり、行動に表したりすること、あるいは、邪な心がないこと)
③従順(異議を差し挟まず従うこと、おだやかであること)

①と②を総合すると、もともと心の中にある意見や意向、態度などを、飾り立てたり偽ったりせず、そのまま表面に表すことを「素直」というのだ。少女漫画に出てくる「素直」はたいていこの意味である。

③にはいささか別の意味合いがある。上位の者や立場の強い者に、逆らわないことが③の意味だ。「もっと素直になりなさい」と親や教師が子どもを叱るときに使われる「素直」である。


「正直」と「従順」の混同

この言葉の何が罪深いといって、①②と③の意味が混同して使われる、ということに他ならない。
「素直に謝りなさい」という言葉にそれは代表される。

教師が子どもを叱るとき、上司が部下の失態を責めるとき、「素直に謝れ」とうい言葉はひとまず③の意味で使われる。「異議を差し挟まず、自分の叱責を受け入れ、反省しろ」ということだ。ただ、「素直」という言葉が①と②の意味も含む以上、それらのニュアンスも包含しないではおかない。

かくして、この言葉は次の意味を持つようになる。
お前はありのままの本心では、俺の叱責を受け入れており―①、「謝りたいはず」だ(素直)―②
・俺の叱責に従え。本心では反発していようとも(従順)―③

「本当の気持ち」の捏造

おわかりだろうか。つまり、叱られる側の人間がたとえ、その叱責に不服で「自分は悪くない」と心から信じていたとしても、ただそれを押さえつけて従順にさせる(③)だけにとどまらない。

「素直に謝れ」という言葉は「お前は本心では謝りたいはずだ(①、②)=「心の中でさえ、反発することは許さないし、そのような事実があることを認めない」という圧力の源として機能するわけである。

つまり、叱責を受ける側の「正直」な気持ちは(親/上司の側からしたら当然、相手が当然、取るべき態度である)「従順」だ、という欺瞞を生む。本当は叱責が不当だと感じていたとしてもそれが無視され、「心から従っている」ことにさせられるのである。

これでは、単に「不服でも従え」というほうがまだ健全というものだ。ムチで叩いて他者に奴隷労働を強いるような人々は、「お前らは本当はこんなことやりたくないんだよな、だからこうでもしないと働かないよな」ということを認めてくれていて、その意味ではまだ善良であるとも言える。

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