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わたしのきままな日記帳

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最近の記事

憂鬱たち

決断するということ 「それじゃあ、また一週間後」 軽く手を振ると同じように軽くてを振り背を向けた姿を確認する間もなく鉄の黒い扉は音もなく閉まり、係の女が無遠慮にガチャリと音を立てて鍵をかけた。 扉の向こうはおそらく自由が制限された、というのは謳い文句でおそらく全く自由のない世界。騙されたかもしれない、そう思った。 この扉を一枚隔てただけの違いでこれは一体どういうことなんだろう。人の尊厳ってなんだったっけ?ふと考えそれを打ち消すように、 「それではお願いします」 と軽く

    • だから多分ある程度は美しい

      最近、とても忙しい。本当に。 時間が有限だという事を自覚しているのに、自分の為に時間を使うことができていない。 本も読めてない、 映画も観てない、 ライブも舞台もいけてない、 写真も撮りにいけてない、 趣味はなんにもできてない。 (書いたら趣味がたいしたことなかった…) ただ慌ただしくて疲れている。 せっかくできたスキマ時間はうとうとしてしまったり、ぼうっとしてしまったりしている。 以前、Instagramで繋がってとても親切にしていただいたフォロイーさん(久しく繋がれ

      • たぶん誕生日が近づいてるせい

        わたしは今,何かにとても焦っているような気がする。 子どもたちが少しづつ子どもではなくなって、 わたしは少しづつ老いた。 子どもたちは少しづつ初めての経験を積み重ねキラキラしていて、 わたしは初めて経験する事柄が少しづつなくなり新鮮さを失う。 わたしはあとどれくらい生きるんだろう。 そのうちのどれくらい元気に楽しく美味しいものを食べたり出かけたりできるだろう。 その時々に感じたことや、脳内に浮かぶ思考を記録しておきたい。 強くそう思うようになっている。 巧みに文章

        • きっととしを重ねる自信がないせい

          脳裏に浮かんでは消える文章をどこかに書き留めておきたい衝動を日常の慌ただしさと怠惰がなかったことにさせる。 少し余裕のある週末は、たまには揃って食事でもと少し足を伸ばしてランチに出かける。帰宅後三人でスイーツを食べそのままウトウトしてしまう。テレビからは野球中継。家族の話し声。私の手には握りしめたままのスマートフォン。気がつけば夕方。帰宅するオットを駅まで送る。無意味なよくある日常を過ごしたような。よくある幸福な日常を過ごしたような。この生活がまだ数年は続くだろう。 さし

        憂鬱たち

          虚しくて空っぽな気がするけどどうしようもない

          そっち行くよ、と言われても一体何処からやってくるのか。また連絡するね、と戻ってゆくけど一体どんな風景をどんな道を辿って家路につくのか。どんな空間でどんなふうに息してるのか知らない。 自分の存在意義を求めるほどもう弱くはなくて、虚しさと向き合う意味や可笑しみも知ってしまった。 だけど、なんだかどうしても埋まらない何かがあって、それはもう埋まっても埋まらなくてもほんとはどちらでもいいこと。 誰かといても独りでいても結局それは同じこと。 時々しんみりして、 そういうところも全部わ

          虚しくて空っぽな気がするけどどうしようもない

          記念すべき日の記録

          なんだか無性に不安になるときがある。 誰かの投稿にそうなんです!と心が高揚していまい同意します、とメッセージを送ってしまったそんなとき… おそらく誰も私の言葉なんて目を凝らして読みはしないだろう、とツイートしてしまったそんなとき… 時間をつくっては読み進めた本についてたいして推敲もしないのに言葉が溢れてしまってどうせ誰も全部は読んでないよね、と投稿してしまったそんなとき… 誰かの他愛ない言葉に傷ついたとき… 所詮、私のしていることなんて匿名の無責任なお遊びでしかない。 誰

          記念すべき日の記録

          わたしがわけもなく考えてること

          ことばと真摯に向き合うのが好きだ。 ことばをたぐり寄せ撒き散らしておけば、うれしいとき、かなしいとき、くやしいとき、大抵はうまくバランスがとれる。 人を振り向かせるほどの魅力的なことばは知らない。物語を紡ぐほどの文章は書けない。ただ、真面目に真摯にその時感じた心の様をことばに充てがう。 わたしの側を通り過ぎる誰かが道端の雑草を見つけて春がきたなとふと気づくような。何気ないことばを書き残すこと。 わたしの撒き散らすもじに触れてくださった方がいたらありがとうと伝えたい。 今日もま

          わたしがわけもなく考えてること