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チームラボのアート

チームラボの猪子さんと宇野さんの対話形式である、人類を前に進めたいを読んだ。先日芸術起業論を読んでから、"アートは歴史を理解し、現在を理解し、その延長線上に変化を加えるものが受け入れられる"という考え方を得たので、チームラボはどんな変化を加えているのかを確認したかった。

チームラボの空間はお台場、豊洲、御船山を体験したけど、本を読んで、よりボーダレスの奥深さを知ることができた。ものとものの境界、ものと人の境界、人と人の境界をアートで溶かしていく。面白かった変化は二つ。

1. 無意識に作られてる境界線を溶かしていること

脳内では本来、考えや概念は境界が曖昧だと思う。当たり前だけど、考えや概念は、いろんな他の考えと影響を受けあって存在している。それを、実世界に出現するために物質に媒介させる。物質に媒介させるから作品に境界が生まれるんじゃないかと思っているんだよね。

確かにアートは枠の中に収める、人は枠組みを作れば理解が進むので、アートはずっと限られた空間やものにやとっていた。これは例えば音楽もそうで、一定のリズムで時間を区切ることで、その制限された中で楽しむものだ。この境界を取るとは、秩序立った枠を取っ払うようなこと。

従来のものを中心としたアートに対して、加工しすぎることで自然の持つ情報量を殺す方向に行っていると考えている。ところが、その一方で現在の情報技術を使えば、自然が持っている情報量をそのまま活用したアートができてしまう。要するに自然を加工することで支配するか、それともその力をそのまま活用するかの違いだね。

自然の中のデジタルアートにについて話している部分だが、自然の"支配と加工の違い"を見て、無意識的な境界ってあらゆるところにあるし、それを共存させるように溶かすのは面白いなぁと思った。

2. 見えてないけど存在するものを見せていること

工業社会では燃油タンクや工場といった目に見えるアイデンティティがあったけど、IT社会ではそれを持てないから、代わりにアートという目に見えるものを必要としているところがあるんじゃないか。

最近アートに興味を持つ理由はこれだなぁと思う。かれこれ10年くらいITの領域にいて、10以上の事業を作ったかと思うが、これ半分はサービスクローズしてしまっている。懐かしむ場所が無くなったり、少なくともすごい速さで変わっていくので、そのノスタルジーみたいなものを表現したり、アイデンティティを保存したくなる。

人間が普段肉眼では捉えられないけれども、確実に存在する世界の本当の姿にアクセスする方法として、デジタルアートの力が必要。

確かに、お台場のチームラボボーダレスにいった時、カフェがあるが、カウンターの上に置いていあるお茶の入ったお椀にデジタルアートがうつされ、飲み干すと消えるみたいなのも、お茶が来た時、飲んでいる時の気分の移り変わり(見えないもの)がデザインされていると思った。

今支持されているアートが、どういう文脈で支持されていているのかをみていくことはアートの面白さの一つだなぁと思った。


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