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電博というコトバの発明

GO三浦さんの言語化力という本が出た。一度少しだけど一緒に仕事をさせていただくことがあり、一発の言葉でぶん殴ってくる感じはすごく新しかった。

私自身、昨年は本当に多くのコトバの一流プレイヤーに触れることができ、コトバの世界の強さと広がりにゾクゾクした1人だ。

不確かさが増した世界だからこそ、確かさの一つの手がかりとなるコトバが力を持っていくのは、しばらくは不可逆的だと思っている。論理は不確かさに弱いので、思いやコトバが会社や組織のエンジンとなる。

一通り言語化力を読んで、下記の電博というコトバの発明について、話を広げたい。この話は元リンクアンドモチベーションの麻野さんも話していて、有名な話だ。

実際のビジネスの規模は、電通が10としたら、博報堂は5、3位のADKは3くらいだろう。普通に考えたら電通の一強体制、あるいは電通、博報堂、ADKを3社並べて御三家と呼んでいいかもしれない。しかし「電博」という言葉によって、電通と博報堂の2社がセットだといえイメージを植え付けた。「電通だけではなくて博報堂もプレゼンに呼ぼう」という流れができたのだ。そのことでビジネスをものすごく広げたわけだ。恣意的にカテゴライズすることで、他を排除したり、機会を拡大することができる。

ローランドも俺か俺以外かと言っているが、勝手に二者択一論にしてしまうというのは非常に有効な手段だ。

例えば10年ほど前にDeNAで新卒採用をしている際、当時は全く無名だった会社にどうしたら優秀な人が集まるのかをチームで考えていった結果。"外銀外コンか、DeNAか"という選択を学生に投げていくことになった。

DeNAに圧倒的に外コン出身が多かったので、そこを前に出すことによって、コンサルなのか事業会社なのかという問いを投げつつ(こうすると就職マーケットだと勝手に外銀もカテゴライズされた)、事業会社には人勝負を仕掛ける。

その後血を吐くくらいの努力量が必要だったことは言うまでもないが、DeNAが学生にとって一定人気の会社になった(はずだ)。それは、どういうポジショニングをとりにいったかという戦争の開戦時にもう一定決まっていたなと振り返ると思う。

会社は個人事業主を抜くと、日本で170万社ほどあり、ありふれてる。そんな中で二者択一論に持っていく。有効な塊or会社 vs 自社という構造を作るのだ。

GOであったら、博報堂がやったように、電博かGOかという問いをつくるのだろうし、どの会社やブランドも、そう言ったA or Bの選択肢のポジショニングをとれるといいよねと思う。

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