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高尚な理は卑近の所にあり

具体と抽象を読んだ。メモの魔力のメインテーマでもある具体と抽象の往復の元祖と思われる本。人と話が噛み合わないなぁと思った経験がある人は基本的に全員がターゲットになる本だと思う。

例え話の上手い人とは「具体→抽象→具体という往復運動による翻訳」に長けている人のこと。

これができる人は基本的に人と話が噛み合わないということがかなり減る。1) 具体の人→2)抽象を得た人→3)具体と抽象を行き来する人と進化していくわけだが、大体1と1、大体のことは1と2の衝突である。

「一を聞いて十を知る」という最大の意義は「同種の集まり」の間での汎用性を高めるという「横方向」の応用に加えて、階層の上のルールや属性が下の階層にも同じように適用できるという点で「縦方向」の応用も意味する

例えば「TOEIC点数あげたいから、いい単語帳を教えて欲しい」と言われた時に、単語・リスニング・文法・読解・・・みたいなのが横方向。なんで英語を学びたいのか?を問うて「出世したい」みたいなのを引き出すのが縦方向。「出世したい」から縦方向に落として、TOEICの点数を上げる以外の方法を拡張していくのは横方向。みたいな形で具体と抽象の上げ下げをすれば、1の情報で10を知ることができる。

これができれば、具体vs具体の戦いも、抽象vs具体の戦いも位相を揃えることができる。

福沢諭吉は「高尚な理は卑近の所にあり」という言葉を残しています。まずは徹底的に現実を観察し、実践の活動を通じて世の中の具体を掴み、それを頭の中で抽象化して思考の世界に持ち込む。そこで過去の知識や経験をつなぎ合わせてさらに新しい知を生み出したのちに、それを再び実行可能なレベルまで具体化する。これが人間の知とその実践の根本的なメカニズムということになる。

最後にこのような文章が書かれているわけだが、この能力を鍛えるには、ほんとこれしかないよなぁと思う。

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