見出し画像

天才田中角栄から学ぶ

天才を読んだ。歴代最高峰の首相として名高い田中角栄を知りたくて読んだ。この本が変わっているのは、石原慎太郎さんが田中角栄になりきって自伝を書いていること。

現代という私たちにとって身近な歴史的現実が、アメリカという外国の策略で田中角栄という未曾有の天才を否定し葬ることで改竄されることは絶対に許されるものではありはしない。ロッキード裁判という日本の司法を歪めた虚構を知りつつ、それに加担した当時の三木総理や、トライスターなどという事例よりも遥かに大きな事件の山だった対潜哨戒機P3-C問題を無視して逆指揮権を発動し、それになびいた司法関係の責任者たちこそが売国の汚名のものに避難糾弾されるべきだったに違いない。

石原さんは田中角栄の金銭問題を最初に論上に挙げた政治家だったはずだが、このようにあとがきで締め括っている。

国民の多くの様々な情操や感性に多大な影響を与えている。テレビというメディアを造成したのは他ならぬ田中角栄という若い政治家の決断によったものだし、狭小なようで実は南北に極めて長い日本の国土を緻密で機能的なものに仕立てた高速道路の整備や、新幹線の延長配備、さらに各県に一つずつという空港の整備の促進を行なったのは彼だし、エネルギー資源に乏しいこの国の自活のために未来のエネルギーの最たる原子力推進を目指しアメリカ傘下のメジャーに依存しまいと独自の資源外交を思い立ったのも彼だった。

これだけ見ても、リスペクトを感じるし、やってきたことは、今の日本の骨格になっている。

いきなりこれらを真似できるとは思えないけど、田中角栄を形作ったいくつかのエピソードからは誰もが得るものがある。

驚いたのは村の土木工事をしていた業者の監督たちだった。今までトロッコを押していた若造が工事現場の監督になってしまったのだから、立場がガラリと変わっての平身低頭となった。その時俺が悟ったのはこの世の中の仕組みなるものについてだった。金も含めて、この世を全て仕切っているのは、大なり小なりお上、役人たちが作っている縦の仕組みなのだ。ならばそれを自在に使う立場の人間とはいったい誰なのだということだった。その時の認識というか、一種の目覚めこそがそれからの俺の人生の出発点となったと思う。

土木工事の現場で働いていたところから、県の土木派遣所職員になることになったことで、自分の見られ方がガラッと変わった。それで世の中の仕組みを理解し、仕組みを使う側を目指すようになったこと。(ちなみにこれはどの業界が給与が高いのかを理解する観点の一つでもある。)

ノモンハンでの戦闘が始まり戦局が傾きかけた頃、俺は兵営内の酒保勤務に回され得難い経験をさせられたものだった。軍隊の酒保の備蓄の食糧の管理は杜撰なもので、兵隊たちはそれをよく知っていて夜半闇に塗れて食べ物や酒を盗みにやってくる。張り番をしている俺もそれを察知していてその度誰何しては銃剣を突きつけては見せるが、にやにや笑って大方は見逃してやったものだった。そんなことで仲間内ではいい人間関係ができてもいった。つまり人の世の中での賄賂なるものの効用の原理を悟らされたということだ。

賄賂は人付き合いを円滑にするとして、その後戦略にきちんと組み込まれることになる。犯罪はダメだが、圧倒的なレベルでGiverになるというのは真理だと思う。

誰か相手を選ぶ時に大事なことは所詮人感触の問題なのだ。それについては俺には地震というか確信もあった。そのために俺としては日頃さんざ心遣いをしてきたものだ。特に身近な相手に関わる冠婚葬祭には腐心し手を尽くしてきた。何よりも人間にとって生涯たった一度の死に関する行事である葬式の折には精一杯の義理を果たしてきた。

心理学者のダニエルカーネマンが発見した、ピークエンド効果*というものがあるが、そのピークとエンドを尋常じゃないくらい振り切って腐心する人だったのだろう。

*われわれは自分自身の過去の経験を、ほとんど完全にそのピーク(絶頂)時にどうだったか(嬉しかったか悲しかったか)ならびにそれがどう終わったかだけで判定する法則

仕組みを動かす側になるために、圧倒的なGIVERになって人を掌握し、お金を持ったらさらにGIVERになって、大きな局面を動かしていく。

大局を作るためにももっとGIVERになろうと思った。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?