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お金はこれからどう形を変えるか

新しい時代のお金の教科書を読んだ。お金の現在・過去・未来が整理されていてとてもわかりやすい本。未来予想図の部分も、あり得なくはない未来。

(2013年から2013年にかけて)実体経済が約1.2倍の成長しかない時に、お金は197兆ドルから710兆ドル、つまり3.6倍くらいになっているのです。そして実体経済と金融経済の差額は約4.5倍から約14倍になっており、実態の裏付けがなく、お金がどんどん膨らんでいます。

現代はこのような形で、実体経済と金融経済が合っていない。長らく論じられていることではあるが、これは本来のお金のあり方としてはおかしい。

(資本主義経済において)貨幣の本質的な問題は、格差ではなく文脈の毀損

と言われているが、確かにお金が一人歩きをして、何のためのお金だったかがわからなくなっている。

母体とその信用、そして信用が外部化されて匿名の存在として流通する。そのことによって人々が自由に分業しながら取引を活発化させる。それがお金の役割です。

現代のお金は、信用を外部化して数字化したものでしかない。なので、お金を集めるのではなく、信用を集めることが先であり、お金は後からついてきたものだった。この文脈を捉え直す必要がある。

最初は、信用は外部下しない形、つまりみんなによる持ち寄りの時代でした。原始的な共同体においては、生産物は個人ではなく、集団の持ち物だったのです。(中略)。家族全体でシェアされ、それが故に構成員は安心と信頼を得るのです。その前提として婚姻制度を中心とした共同体を規定する仕組みがありました。

元々は、お金は存在しなかった。生活に必要なものが循環するのであれば、そもそもお金はいらないのだ。

次に信用が一部、外部化され、個人間の取引になります。ここでは会計の仕組みによってここ人が互いの取引を記帳することによって、財の交換を行いました。この段階においては、個人間の信用関係を基礎としています。

メソポタミア時代あたりに生まれた"記帳"こそが、お金の原点。記帳されているものを見て、これだけ交換できているということは信用できるやつという証になるのだ。

次の段階として、兌換通過の発行。金に変えられる通貨の発行です。貴金属などとの交換を前提として、信用を持ち運ぶことができる形態に変化した段階です。

アテネやローマの時代に、信用が徐々に外部化して行く。この辺りから人の信用を集めるという本質が見えにくくなって行く。

次は不換通貨の発行です。信用の前提を貴金属などにおくのではなく、その信用を権威つまり、王権や政府に置くものであり、現代の貨幣はここにあたります。

これが現代。信用が外部下していけば行くほど、お金の本質が見えにくくなって行く。

そして、昨今話題になっている仮想通貨やデジタルマネー(Libra等)は信用の外部下と流通エリアの広さが過去最大に拡大する。

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これらを一枚にまとめるとこういう図になるようだ。

そして、ここからの未来は信用の外部下が徐々に過去に戻って行くという。というのも、モノが溢れて何でも手に入る世の中になって、人の興味がものではなくコトに向かい始めたからだという。

時間主義経済とは人々の欲求がモノではなく社会的欲求(コト)にシフトしたときに、人々がお金ではなく時間を中心にして経済活動を行うコトです。近い将来は、ほとんどの産業が人間の時間を主要な資源とする産業となり、時間が通過そのものとして流通してゆく経済になるでしょう。

人の欲望が生存から社会的欲求へと変化すると、それをお金で購入することが難しくなる。社会的欲求の充足には人間関係・価値意識の醸成が求められるので、時間をかけて生産・蓄積しなければいけなくなるので、時間の価値が上がるという。個人が発行できる外部化できる信用は人が平等に与えられた「時間」だと。(Timebankがやろうとしていたけど、資本主義に引っ張られてしまった感じがある。)

記帳主義経済は、ものを対象としながらも、それをお金を使わないで流通させようという試みです。広くいえばベーシックインカムのように生活に必要な最低資金は共同体で配ってしまおう、というものもこちらに含まれます。しかし、メインの考え方は、ものを互いにシェアする中で、お金を使わずにあげたもの、もらったものを全て記帳してしまうことでやりとりを簡単にするということです。

モノが直接やり取りされ、ブロックチェーンなどの技術によってやり取りされた物品がそのまま個人の台帳に記載されれば、お金はいらないよねという考え方。メソポタミアの時代の型を現代の技術でアップデートする形だ。レターポットはこれに近い気がする。

最後の信用主義経済は、人々が求めるものが信用であり、それをやり取りするツールも信用であるという不思議な世界です。(中略)。信用主義経済の世界ではまず、みんなが求めているのが承認です。そして承認とは信用に他なりません。一方、お金を使わずにやり取りするツール(手段)も信用となっています。つまり、「みんなが、信用を求めていて、それをしかも信用でやり取りする」という世界です。

これは現代で言うなら金銭のやりとりをしないけど信用のやりとりができている、家族のユニットで起きていることが、全人類で起きると言うことだろう。現代からは少し遠い未来だが、それこそお金のない国に書いてある世界に近いのだと思う。

お金のない世界はワクワクするので、時間主義と記帳主義の路線で何か考えてみようと思った。



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