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歴史が繰り返す、税による国家の盛衰

お金でわかる世界の歴史を読んだ。

国家の盛衰というのは古代から現代まで大体似たような経緯をたどる。
強い国は、財政システム、徴税システムなどがしっかりと整っている。そして国が傾くのは、富裕層が特権を作って税金を逃れ、中間層以下にそのしわ寄せが行く時なのである。だから国を長く栄えさせようと思えば、税金を逃れる「特権階級を作らないこと」だと言える。

とあるように、この実例を色々な時代から論証する本。税金は狩猟採取時代から集落の時代に変化してく中で生まれている。

狩猟採集から分業制になる→生きるために物の交換が必要→お金が発明されてく→集落が国になる→統治者が国を外敵から守る必要ができる→民衆から税を徴収→全員が富を分け合いながら分業していく

というもの。元々対価の循環を作るための税金なので、誰かに富が偏りすぎたりするのはおかしいのだ。

書記が税務調査をしている絵が、古代エジプトの遺跡から発見されているが、それは現代の税務調査そのものなのである。もちろん税金は書記の恣意的な算定額になることもあった。徴税役人が税金を多くとって、私腹を肥やすお決まりの「悪代官パターン」である。しかし、国を治めるファラオ(王)たちは、そうしたことが起こらないように、初期に対して「慈悲のある振る舞いをせよ」と命じていた。

税金は古代エジプトに既に存在していたが、この辺りにも非常に注意していたことが見える。「もし貧しい農民が税を納められなかったら、3分の2は免除せよ」「もし税が払えなくて万策尽きてしまっているようなものには、それ以上追求してはならない」「国民から過分な税金を取った徴税役人は鼻を切り落とした上でアラビアに追放する」という様な言葉もあったようだ。

エジプトでは官僚機構が腐っていくに従い、領民は次々にアメン神殿に逃げ込み、課税対象となる土地や資産を寄進した。そうしてアメン神殿が大きな力を持つようになったのだ。古代エジプトの末期には、王家の課税基盤は2分の1にまで減っていったという。その分だけ、アメン神殿に吸収されたのだ。

しかし時間が経つと、バランスは崩れ、衰えていった。

古代ローマが反映した要因の一つも、市民の自由な経済活動だった。古代ローマの共和制時代には、ローマ市民はほとんど直接税を払っていなかった。国家にとって最大の財政負担である軍隊でも、経費はほとんどかからなかった。ローマ市民は無報酬で一年間従軍する決まりになっており、武器なども自前で調達することになっていた。行政官も無報酬でローマ市民が務めていた。最低限の行政経費は、輸出入における関税や奴隷税で賄っていた。奴隷は売買する時に2%から5%の売却税がかかり、奴隷が自由になる時には奴隷の価格の5%の税金が課せられたのだ。

次はローマ。経済活動で栄えたローマは元々税金が少なかった。

しかし、やがてローマが周辺国との戦争を拡大するようになると、傭兵からなる軍を擁するようになり、税を必要とするようになった。そのため「戦争税」が設けられるようになった。

最初は資産に応じた累進性かつ、戦争に勝った時は還付されるものだったようだが、徐々に征服地からの税徴収をしたり、収穫税をとったりし始める。

紀元前130年ごろ、ローマの属州に対して「収穫税」を課すようになった。しかも、この収穫税は徴税請負人に委託して徴税業務を行わせた。

この辺りからおかしくなる。

徴税請負人は予めローマ政府から5年分の徴税権を買い取るという仕組みだった。つまりローマ政府は5年分の税収を、徴税請負人から一括して支払ってもらえるようになったのだ。政府としては5年分の前払いを受けられるので、目先の収益は増えるが、その分、徴税請負人に「前納割引」をしなければならないので、長期的に見れば減収となる。

5年分を前納するには莫大な資金が必要となるので、徴税請負人たちは結託して会社組織のようなものを作ったという。これが世界最古の会社と言われているようだ。こうなると、税収が上がり、住民は苦しくなり反乱が起きやすくなるのだ。

裕福な貴族や大地主たちは、賄賂を使って税の免除を受けたり、安く済ませることができた。ローマ市民や農民たちは、貴族や大地主に自分の土地や資産を寄進し、その配下になっていった。

こうやって一部が肥えて、一部が破綻する構図が、国終わりの始まり。ローマ帝国は終わりに向かっていく。

マホメットの時代というのは、ローマ帝国が滅亡しようとしていた時期とほぼ重なる。この時代、旧ローマ帝国の領民たちは重税に苦しんでいた。当時この地域には人頭税(人一人当たりに課す税)と土地税(土地の生産力を示す単位によって課す税)が課せられた。

イスラム教の隆盛はこのローマの滅亡とうまくシンクしている。

ローマ帝国は、キリスト教の教会と結びつくことで、過酷な税の徴収を行なっていた。そのため、キリスト教徒であれば、過酷な税の徴収からは逃れられないようなシステムになっていたのだ。

この辺りに、ローマ帝国が国を治めるためにキリスト教を国教にした要因があるのだろうなと思った。

マホメットは「イスラム教に改宗すれば人頭税を免除する」と呼び掛けた。そのため、人頭税に苦しんでいたキリスト教徒たちはごそっとイスラム教に改宗したのである。

イスラム教はそれを解放した。また、イスラム帝国は占領地から撤退する時に税の還付をしていたりと税金に優しかった。

「彼らのところに行ったら、その財産を没収するようなことはするな、土地税の不足にあてるために、彼らの持ち物を売り払うようなことはするな。税金はあくまで余りからだけとるように、もし私の命令に従わなかったら、神はお前を罰するだろう」

と言っていたようだ。これは冒頭の古代エジプトのファラオの言葉に似ている。

この後も、ヘンリー8世、エリザベス1世、ナポレオン、第一次世界大戦等々世界史の大きなイベントを税の観点から見ていくのだが、今日はここまで。

現代も貨幣経済と実体経済がどんどん乖離して、各国が借金まみれになる中で、大企業がタックスヘイブンで脱税したりしてたりするので、現代はどこに向かっていくのだろうか。











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