「流星のスコール」について話していたのにどんどん脱線していく文章


「流星のスコール」、いーい曲だよなぁ。
ユニゾンの中でもかなりストレートなサウンド、詞だと思う。
爽やかでありながら急かすような、夜空に星が降り注ぐ景色をイメージさせるメロディ。
詞がなくても、この曲は「流星のスコール」だと主張している。

「こりゃライブの曲だぁ(感涙)ステージから見える輝いた景色、最高のパフォーマンスをしなければという焦り、客への思いが詰まった曲だぁ(感涙)」
と腕組みしてうんうん頷いていたんだけど、何度も聴いている中で、そう決めつけるのは早計だなと考えを改めた。

曲作りに難航して光明を見いだす、とある夜の話にも捉えられる。
何かアイデアを出さなきゃいけない時、今出さなきゃ二度と出ねぇぞ!みたいな感覚あるじゃないですか。そうでなくても締め切りの関係とかで今夜しかない、みたいな状況だったりとか。
それはそれで閉鎖空間の話なのに描写が壮大というギャップがあって素敵だ。

個人的に一番好きなところは落ちサビ。

全部 流星のスコールで 全部 街が染まって
一瞬 永遠みたいに光るのは 僕のため?
ずっと抱えた想いは ずっと抱えたメッセージは
そうか わがままでもいいよね

「ここだよ」

「流星のスコール」


最高かよ……こんな綺麗なメロディにこんな綺麗な詞が乗っていいのか?さすがに芸術作品すぎる。
この部分は何度聴いても目を閉じて全身で浴びたくなる。だから運転中は絶対聴けない。

前述した解釈のうち、前者だとステージから圧巻の景色を見た時。客とリンクしたような、ライブの絶頂を迎えた時。
後者だと良いフレーズを思いついたり、表現する上で今までとは違う感覚に辿り着いたりして、道が開けた時。
タイトル通り「流星のスコール」で世界の見え方が一新される瞬間を、とんでもなく美しく描いた一節だ。

まるで世界の中心が自分かのような、自分の為に全てが存在しているかのような、言い方は悪いが自己陶酔に包まれている感じがとても良い。
この瞬間の為に生きてきたのかもしれない、とまで言っているかのような、塞がった道が一気に開ける感じが爽快だ。

どんな解釈にせよ、「何かと向き合って自分の想いを伝えたい時、もっとエゴでいい、もっと自分を押し出していい」という答えに辿り着いて朝を迎える曲なんだなと思った。

音楽との向き合い方。客との向き合い方。
それだけじゃなく、全ての人や物と関わる時にリンクする。
多少強引じゃないと人の目に留まるものにはなれない。想いはいつでも伝えられるわけじゃない。綺麗な言葉を使いながらも、がむしゃらで必死な思いが伝わってくる、熱い曲だ。

物語が綺麗にまとまっていて、印刷して額縁に入れて飾りたいなと思うぐらいには大好きな詞である。



割とストレートな詞でもいろんな解釈の余地があって、詞って面白いなと思う。

言葉は短ければ短い程、良くも悪くもどうとでも解釈できる。
だから私達は相手に誤解がないように伝えたい時、1から10まで丁寧に説明しなくてはならない。
例えば「〇〇は✕✕だ」という意見を述べる時、「△△ってことではないからね」「〇〇は□□という意見を否定しているわけじゃないからね」などと予想できる誤解を解きながら、話さなければならない。
だから一言で済む話なのに何百文字、何千文字の文章になってしまう場合もある。
全ての誤解を防ぎ、解釈を一通りにしなければならないからだ。

対して詞は真逆で、限られた文字数で伝えたいことを表現しなければならない。だから前述の理屈で言うと、誤解を生み放題。受け取り側の数だけ解釈がある。

で?という話なんだけど、何というか、普通はデメリットでしかない「説明不足」という行為が、詞においてはメリットとなり、多角的で美しい作品になる。そしてそれは日本語だからこそだな〜としみじみ感じた。

たぶん日常生活をこなしているだけではそんなこと1ミリも考えないので、いろんなメッセージに触れる機会をくれたり、感受性を刺激してくれる音楽は、生活を豊かにしてくれるものだなと思う。

極論、音楽がなくても生きていけるけど、あった方が絶対にいい。

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